第1章 第19.5話 王都の休日
「お待たせ!」
宿から戻ると、姉はもう支度を終えて待っていた。
「早かったね」
「うん」
「荷物は?」
「必要なものだけ持ってきた」
ルナは、肩にかけた小さな鞄を見せる。その中には、さっき見つけた小さな袋も入っている。姉には、まだ言っていない。
「じゃあ、行こっか」
「うん!」
二人で王都の通りへ出る。
昨日も歩いた道。でも、今日は全然違って見えた。王宮へ連れていかれるわけでもない。誰かに急かされることもない。隣には姉がいる。
「まず、どこ行きたい?」
「お姉ちゃんが手紙に書いてたところ」
「いっぱい書いたよ?」
「だから、いっぱい」
「一日で?」
「できるだけ!」
「ふふ。分かった」
姉が歩き出す。
「じゃあ、まずは中央広場かな」
「中央広場?」
「王都に来たなら、一度は見ておいた方がいいよ」
「行く!」
「はいはい」
ルナは、姉の隣を歩いた。
*
「わぁ……」
思わず声が出た。
中央広場には、昨日通った大通りよりもさらに多くの人が集まっていた。大きな噴水。その周りには露店が並び、食べ物、服、アクセサリー、見たことのない魔道具まで売られている。
「すごい……」
「まだ入口だよ」
「これで?」
「王都だからね」
姉は、少し得意そうに笑った。
「お姉ちゃんが作ったわけじゃないでしょ」
「住んでるからいいの」
「そうなの?」
「そうなの」
二人で笑う。
ルナは辺りを見回した。
人。人。人。
その中に。
「……あ」
足が止まる。
一人の大きな男が、露店で何かを買っていた。人間よりもずっと大きな身体。腕には毛が生え、頭には獣のような耳がある。腰からは太い尻尾が伸びていた。
男は代金を払い、大きな肉の串焼きを受け取る。その隣を、今度は小さな耳を持つ女の子が走っていった。
「……獣人?」
「うん」
姉が答える。
「初めて見た?」
「こんな近くでは」
「王都には結構いるよ」
「そうなんだ……」
「南の方から来る人が多いかな」
ルナは、もう一度広場を見る。
今まで、本では読んだことがあった。人間とは違う種族。遠い土地に暮らす人々。でも今は、同じ広場で同じように買い物をしている。
少し先では、杖を持った女性が小さな魔物のような生き物を連れて歩いていた。
「あれは?」
「使い魔じゃないかな」
「使い魔……」
「知らなかった?」
「本では読んだことあるけど」
「王都だと時々見るよ」
「へえ……」
見たことのないものが、次々に目へ入ってくる。ルナは歩きながら何度も振り返った。
「ルナ」
「なに?」
「前見ないとぶつかるよ」
「あ、ごめん」
「ふふ」
姉が笑う。
「そりゃ大変だね」
「何が?」
「見たいものが多すぎて」
「……うん」
ルナも笑った。
*
「これ美味しいよ」
姉が指したのは、露店で焼かれている小さな菓子だった。
「食べる?」
「食べたい」
「二つください」
姉が財布を出そうとする。
「あ、待って」
「ん?」
「今日は私も出す」
「いいよ。せっかく来たんだから」
「でも」
「お姉ちゃんに任せなさい」
「……」
ルナは鞄の中を見る。小さな袋がある。でも、姉が嬉しそうにしている。
「……じゃあ、お願い」
「よろしい」
二人で焼きたての菓子を受け取る。
「熱っ」
「気をつけて」
「お姉ちゃん先に言ってよ」
「言う前に食べたの誰?」
「私」
「でしょ?」
ふうふうと息を吹きかけて、もう一口。
「……美味しい」
「でしょ?」
「うん!」
甘い。外は少しだけ固くて、中は柔らかい。
手紙に書いてあった店も、広場も、食べ物も、全部、文字で読んでいたものとは違った。匂いがあって、音があって、味がある。
ルナは、残りを少しずつ食べながら歩いた。
*
「次は?」
「買い物しよっか」
「買い物?」
「旅を続けるんでしょ?」
「うん」
「必要なもの、見ておいた方がいいんじゃない?」
「それはそうだけど……」
ルナは、少しだけ鞄を見る。
自分が持ってきたお金は、それほど多くない。旅はまだ始まったばかりだ。これから先、何にお金が必要になるか分からない。
「見るだけでもいいでしょ」
「……うん」
二人で通り沿いの店へ入る。
旅用の鞄。水筒。厚手の外套。簡単な調理器具。地図。方位を示す魔道具。いろいろな物が並んでいた。
「これ、便利そう」
姉が一つの魔道具を手に取る。
「なに?」
「夜に使う灯り」
「へえ」
「魔力を少し流せば光るんだって」
「……」
ルナが魔道具を見る。手に取ってみると、小さくて旅にも持っていけそうだった。
「便利そうだけど……私じゃ使えないね」
「あ……」
姉がすぐに気づいた。
「ごめん」
「ううん」
ルナは魔道具を棚へ戻した。
以前なら、こういう時、胸の奥が少し重くなった。自分だけ、当たり前にできることができない。そんなことを何度も考えた。
でも、今は少し違う。
「必要なら、ユニちゃんに使ってもらえばいいし」
「……うん」
「それに、他にも使えるものあるかもしれない」
ルナは隣の棚を見る。
「魔力がなくても使えるもの、探してみよ」
姉が少しだけ笑った。
「そうだね」
二人は、また店の中を歩き始めた。
*
店を出て、また通りを歩く。その途中。
「……あ」
ルナが止まった。
「今度は何?」
「あれ」
小さなお菓子屋。窓の向こうに、色々な形の焼き菓子が並んでいる。その中に、星の形をした小さな焼き菓子があった。
「かわいいね」
「……うん」
ルナは、しばらくそれを見る。
「ユニちゃんっぽい」
「ユニさん?」
「うん」
「星が?」
「なんとなく」
理由は、自分でもよく分からない。ただ、見た瞬間、ユニの顔が浮かんだ。
「買う?」
「……うん」
ルナは鞄を開いた。今度は自分の財布ではなく、その隣に入れていた小さな袋を取り出す。
姉が見る。
「それ?」
「ユニちゃんが置いてくれてた」
「お金?」
「うん。朝、宿に戻ったら鞄の横に」
「……そうだったんだ」
「何も言わないで置いてた」
姉が少し笑う。
「優しい子だね」
「うん」
ルナも笑った。
「だから、これで買う」
「自分のものじゃなくて?」
「いいの」
店へ入り、星の焼き菓子を一つ包んでもらう。
そして、ルナはもう一つ何かを探した。
「どうしたの?」
「にゃん吉君にも」
「ああ」
二人で焼き菓子を見る。
「……」
「……」
「ルナ」
「なに?」
「にゃん吉君って、何が好きなの?」
「……」
考える。
「分かんない」
「一緒に旅してるんだよね?」
「うん」
「犬じゃないんだよね?」
「違う」
「猫でもない?」
「違う」
「じゃあ、何を食べるの?」
「何でも食べてる気がする」
「……」
「にゃん吉君だから」
「昨日ユニさんも同じようなこと言ってたよ」
「……そうだっけ?」
姉が笑う。
「あ」
ルナが一つの焼き菓子を見つけた。
丸い。白い砂糖が、表面に薄くかかっている。
「これ」
「これ?」
「うん」
「どうして?」
ルナは丸い焼き菓子を見る。
「似てる」
「……」
姉が焼き菓子を見る。それから、昨日見たにゃん吉君を思い出す。
「……似てるね」
「でしょ?」
二人で笑った。
星を一つ。丸を一つ。小さな包みに入れてもらう。
ルナは、それを大事に鞄へしまった。
「喜ぶかな」
「どうだろうね」
「にゃん吉君は『ワン』って言うと思う」
「それ、喜んでるか分かるの?」
「……たぶん」
「ふふ」
ルナは鞄を軽く押さえた。
ユニが、自分のために置いてくれたお金。そのほんの少しが、今度は二人へのお土産になった。




