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願いを魔法に  作者: 由吉


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第1章 第18話 ただいま

 王宮を出ると、ルナは大きく息を吐いた。

「……疲れた」

 王都に着いて、門をくぐったと思ったら、そのまま王宮へ連れてこられた。

 そこで待っていたのは、元Sランク冒険者にして、王直属の最高魔術師。

 マグナス・ヴァルハイト。

 一週間後には、そのマグナスがユニを直接試すことまで決まった。

 まだ王都に着いたばかりなのに、ずいぶん長い一日を過ごした気がする。

「疲れましたか?」

 隣から、ユニが覗き込んできた。

「ちょっとね」

「私もです」

「ユニちゃんはマグナスさんとずっと遊んでたじゃん」

「遊んでません」

「きゃー、とか言ってたけど」

「緊張です」

「棒読みだったよ」

「アワアワです」

「それも」

「ワン」

 ルナは笑った。

 王宮の中にいたときより、少しだけ肩の力が抜ける。

 ふと、ルナはユニを見る。

「……あれ?」

「はい?」

「ユニちゃん、コートは?」

 いつも着ている青いコート。

 王都の門にいたときには、確かに着ていた。

 今はない。

「しまいました」

「どこに?」

「ここです」

 ユニが何もない場所を指差した。

「……ここ?」

「はい」

「何もないよ?」

「あります」

「何が?」

「コート」

「……どこに?」

「見えないところです」

「……」

 ルナは何もない空間を見る。

 当然、何も見えない。

「なんでしまったの?」

「目立つので」

「もう王都の入口でバレたじゃん」

「今から気をつけます」

「遅いよ」

「そうですか?」

「ワン」

 白銀の髪。

 エメラルドグリーンの瞳。

 頭の上には、白くて丸いにゃん吉君。

 コートだけが原因ではない気がする。

 ルナはそう思ったが、言わないことにした。


     *


「ユニ・N・スターチスさん」

 王宮の門を離れたところで、後ろから声をかけられた。

 ルナたちが振り返る。

 一人の女性が、こちらへ歩いてくる。

 焦げ茶色の長い髪を後ろでまとめ、王宮魔術師の外套を羽織っていた。

 二十代前半くらいだろうか。

 腰には細身の杖が一本。

 落ち着いた雰囲気の女性だった。

「初めまして」

 女性が軽く頭を下げる。

「エレナ・フィルスです。王宮で魔術師をしています」

「ユニです」

「存じています」

「なんと!」

 エレナが少し笑った。

「先ほど、王宮中でお名前を聞きましたから」

「有名人です」

「自分で言うんだ……」

「どやです」

「ワン」

 ルナが笑う。

「それで」

 エレナの視線がユニへ戻った。

「一週間後の試験まで、私が同行します」

「同行?」

「はい」

 エレナは少しだけ言いにくそうに続けた。

「正確には、監視役です」

「監視」

「マグナス様から、試験まで王都を離れないようにと」

「離れませんよ」

「ええ。そうしていただけると、私も助かります」

「ワン」

 エレナがにゃん吉君を見る。

「……分かるんですね」

「ワン」

「賢いですね」

「はい」

 ユニが少しだけ胸を張った。

「どやです」

「なんでユニちゃんがドヤるの?」

「一緒に旅しているにゃん吉君なので」

「ワン」

 エレナがまた少し笑った。

 王宮から監視役を任されるくらいなのだから、きっとかなり腕の立つ魔術師なのだろう。

 けれど、話してみると、思っていたより柔らかい人だった。


     *


 ルナは鞄から一通の手紙を取り出した。

 何度も読んだ、姉からの手紙。

「姉が働いてるお店、この辺りなんです」

 住所を見せる。

 エレナは、すぐに場所が分かったようだった。

「ここなら歩いて行けますよ」

「本当ですか?」

「ええ」

 まだ、姉の仕事が終わる時間には少し早い。

 それでも。

「……ちょっと見に行きたい」

 ルナは言った。

 手紙でしか知らない、姉が働いている場所。

 もう、この王都のどこかにある。


     *


「あ……」

 ルナの足が止まった。

 大通りから一本入った場所。

 そこに、一軒の店があった。

 木の看板。

 大きな窓。

 開いた扉から、焼きたてのパンの香りが流れてくる。

「ここ……」

 何度も手紙に書かれていた。

 朝が早いこと。

 焼きたてのパンを並べる時間が一番忙しいこと。

 新しい焼き菓子を作ったこと。

 失敗して、店主に怒られたことまで。

 ルナは知っている。

 全部、文字で。

 窓の向こうを見る。

 客がいる。

 店員がいる。

 そして。

「あ……」

 いた。

 髪をまとめ、店の服を着て、客と話している。

「……お姉ちゃん」

 思わず、声が小さくなった。

 姉は気づかない。

 忙しそうに、店の中を動いている。

「声をかけますか?」

 エレナが聞いた。

「……ううん」

 ルナは首を振った。

「仕事中だから」

 もう少し、その姿を見る。

 知らない王都で。

 知らない人たちに囲まれて。

 姉は普通に笑っていた。

 ここで、ずっと暮らしていたんだ。

「あとで来る」

 ルナが言った。

「では、その間に宿へ行きましょう」

「うん」

 ルナは自分の服を見る。

 旅の汚れが残っている。

「荷物も置きたいし……」

 袖を少しつまむ。

「着替えたい」

「はい」

 ユニが頷いた。

「お姉さんに会いますから」

「……うん」

 ルナはもう一度だけ窓の向こうの姉を見てから、店を離れた。


     *


 マグナスが用意してくれた宿は、王宮から少し離れた大通り沿いにあった。

 部屋へ入り、ルナは背負っていた鞄を床へ下ろした。

「……軽い」

 肩を回す。

 ようやく、旅が一度止まった気がした。

 顔を洗う。

 髪を整える。

 鞄から服を取り出す。

 財布も一緒に出して、机の上へ置いた。

 着替えを終え、鏡の前に立つ。

「……」

 いつもの自分。

 でも、少しだけ違って見えた。

 日に焼けたのかもしれない。

 髪が伸びたのかもしれない。

「どうですか?」

 後ろから、ユニが鏡を覗き込んだ。

「変じゃない?」

「はい」

「ほんと?」

「綺麗です」

「……」

 ルナが振り返る。

「ユニちゃんって、急にそういうこと言うよね」

「そうですか?」

「うん」

「そうでしたか」

「……ありがと」

「はい」

 ルナは机の上の財布を取って、鞄をそのまま部屋へ置いた。

「行こっか」

「はい」

「ワン」


     *


 陽が傾き、王都の建物が橙色に染まり始める。

 ルナたちは、もう一度姉の店へ戻ってきた。

 しばらくして、扉が開く。

「お疲れさまでした」

 店から一人の女性が出てきた。

 姉だった。

「……」

 ルナは声をかけようとする。

 でも、一瞬、出なかった。

 姉がこちらを見る。

 そのまま通り過ぎそうになって、止まった。

 もう一度、こちらを見る。

「……え?」

 ルナの胸が、どくんと鳴った。

「……ルナ?」

「うん」

「……」

 姉がゆっくり近づいてくる。

「なんで?」

「来た」

「来たって……王都に?」

「うん」

「いつ?」

「今日」

「今日!?」

「うん」

「聞いてないんだけど!」

「言ってないもん」

「なんで言わないの!」

「驚くかなって」

「驚くよ!」

 ルナが笑った。

 姉は何か言おうとして、やめた。

 ルナの顔を見る。

 髪を見る。

 服を見る。

「……ほんとにルナ?」

「そうだよ」

 姉の手がルナの頬へ伸びる。

 触れる。

「……本物だ」

「偽物だと思ったの?」

「だって……」

 姉の目が少しだけ揺れた。

 そして、ルナを抱きしめた。

「……!」

 思っていたより強かった。

「お姉ちゃん?」

「ほんとに……」

 すぐ近くで、姉の声がする。

「よく来たね」

「……うん」

 ルナも姉の背中へ腕を回した。

 会ったら、話したいことがたくさんあった。

 村のこと。

 旅のこと。

 セレナ。

 森。

 湖。

 でも、今は何も出てこなかった。

「……ただいま」

 代わりに、その言葉が出た。

 姉が少しだけ身体を離す。

「ここ、ルナの家じゃないでしょ」

「いいじゃん」

「……もう」

 姉が笑った。

「おかえり」

「うん」

 ルナも笑った。


     *


「それで」

 姉がルナの後ろを見る。

「こちらの人たちは?」

「あ」

 ルナが振り返る。

「一緒に旅してるユニちゃん」

「ユニです」

 ユニがぺこりと頭を下げる。

「初めまして」

「初めまして。妹がお世話になっています」

「はい」

「ワン」

 姉の目がユニの頭へ向く。

「……この子は?」

「にゃん吉君です」

「ワン」

「にゃん吉君……」

「はい」

「犬?」

「違います」

「ワン」

「猫?」

「違います」

「ワン」

「……じゃあ、何?」

「にゃん吉君です」

「……そう」

 姉が少しだけ考えて、諦めた。

 ルナが笑う。

「私も最初そんな感じだったよ」

「そうなの?」

「うん」

「それから」

 姉がエレナを見る。

「エレナ・フィルスです」

 エレナが先に頭を下げた。

「王宮魔術師をしています。今はユニさんの監視役です」

「……監視役?」

 姉の顔が止まる。

 ユニを見る。

 ルナを見る。

 もう一度エレナを見る。

「ルナ」

「なに?」

「何があったの?」

「長くなる」

「……でしょうね」

 姉が小さく息を吐いた。

 それから。

「みんな、ご飯まだ?」

「まだ」

「私もお腹空いた」

「私も」

 ルナが答える。

「私もです」

「ワン」

 姉が笑った。

「じゃあ、ご飯食べに行こうか」

「うん!」

「今日は私が払います」

 ユニが言った。

「え?」

「お金あります」

「……それはよかった?」

「魔獣の報酬です」

「魔獣?」

 姉の顔がまたルナへ向く。

「ルナ」

「……ご飯行こ!」

「その話も聞くからね」

「はい……」

「ワン」


     *


 姉が選んだのは、仕事帰りに時々寄るという小さな食堂だった。

 焼いた肉。

 温かい野菜の煮込み。

 焼きたてのパン。

 料理が並ぶ。

 そして、ルナは姉に話した。

 村でユニと出会ったこと。

 世界樹へ行きたいと思ったこと。

 半年かけて、旅の準備をしたこと。

 十五歳になって、村を出たこと。

 途中の街。

 セレナ。

 森。

 湖。

 そして今日、王都まで来たこと。

「ちょっと待って」

 何度目か分からない。

 姉が話を止めた。

「森でそんなことがあったの?」

「うん」

「怪我は?」

「ないよ」

「本当に?」

「本当」

「……」

 姉がユニを見る。

「本当に?」

「はい」

「ワン」

「……よかった」

 姉が息を吐く。

 そして、少しして。

「世界樹まで行くんだね」

「うん」

「願いの泉に?」

「うん」

「魔法を使えるようになるために」

「……うん」

 姉はしばらく何も言わなかった。

「怖くない?」

 ルナは少し考える。

「怖いよ」

「……」

「森でも怖かったし。これから何があるかも分からない」

 姉が何か言おうとする。

 でも、ルナは続けた。

「それでも行きたい」

「……」

「私ね」

 湖を思い出す。

 本の中にあった、地図の青。

 でも、本物は全然違った。

「知らなかったものを、自分で見てみたい」

 姉は何も言わず聞いている。

「世界樹も」

 ルナは続けた。

「願いの泉も」

「……うん」

「それに」

 ルナは少しだけ笑った。

「ここまで来れたから」

「……」

「村から王都まで」

 自分の手を見る。

「自分の足で来たよ」

 姉がルナを見る。

 しばらくして、笑った。

「……頑張ったね」

「うん」

 それだけで、ルナは嬉しかった。


     *


 食事をしながら、話はまだまだ続いた。

「そういえば」

 姉が言った。

「私、明日休みなんだ」

「ほんと?」

「うん」

 姉が少し嬉しそうに笑う。

「せっかくだし、王都を案内してあげる!」

「行く!」

 ルナは、ほとんど考えずに答えた。

「行きたいところいっぱいある!」

「まだ今日来たばっかりなのに?」

「もうある!」

「ふふ」

 姉が笑う。

 その会話を、ユニは静かに聞いていた。

「では」

「ん?」

 ルナがユニを見る。

「明日は別行動ですね」

「え?」

「ユニちゃんたちは?」

「ギルドへ行きます」

「ギルド?」

「はい。少し用事があります」

「でも……」

「王都には一週間います」

 ユニはルナを見る。

「明日は、お姉さんとゆっくりしてください」

「……」

 ルナは少しだけ黙った。

「いいの?」

「はい」

「……ありがとう」

「はい」

「ワン」

 姉もユニを見る。

「ありがとう、ユニさん」

「いえ」

 ユニは、それ以上何も言わなかった。


     *


 食事を終える頃には、外はすっかり暗くなっていた。

 王都の通りには、魔道具の灯りが並んでいる。

「ルナ」

「ん?」

「今日、うちに泊まる?」

 姉が聞いた。

「いいの?」

「何言ってるの。せっかく来たんだから」

「泊まる!」

「即答だね」

「だって」

「ふふ」

 姉が笑う。

 ルナはユニを見る。

「じゃあ、今日はお姉ちゃんのところに泊まるね」

「はい」

「ユニちゃんたちは?」

「宿に戻ります」

「そっか」

 ユニは姉へ軽く頭を下げた。

「家族で、ゆっくり過ごしてください」

「……ありがとう」

「はい」

 ユニがエレナを見る。

「帰りましょう」

「はい」

「また明日ね、ユニちゃん」

「はい」

「ワン」

 ルナは、ユニたちが夜の通りへ消えていくまで、その背中を見送った。


     *


 その夜。

 姉の部屋。

 灯りを消してからも、二人はなかなか眠らなかった。

「ニーナは元気?」

「元気だよ」

「お父さんは?」

「変わらない」

「お母さんは?」

「旅に出る前、ずっと心配してた」

「そりゃそうでしょ」

「お姉ちゃんも?」

「当たり前」

「……そっか」

 暗い部屋。

 隣から、姉の声が聞こえる。

 昔、こんなふうに眠る前まで話したことがあった。

 どうでもいいことを、ずっと。

「ルナ」

「ん?」

「明日、どこから行こうか」

「いっぱい行きたい」

「だから、どこから?」

「お姉ちゃんが手紙に書いてたところ」

「全部?」

「できるだけ」

「一日じゃ足りないよ」

「いっぱい歩けばいいよ」

「旅人になったね」

「……うん」

 ルナは暗闇の中で笑った。

「なんか」

「ん?」

「少し変わったね」

「私?」

「うん」

「……そうかな」

「前だったら、一日じゃ足りないって言ったら諦めてた気がする」

「……」

 ルナは少し考えた。

「今は?」

「いっぱい歩けばいい、だもん」

「……そっか」

「うん」

 姉が小さく笑う。

「でも、ルナはルナだね」

「なにそれ」

「そのままの意味」

「分かんない」

「分からなくていいよ」

 ルナも少し笑った。

 少しして。

「お姉ちゃん」

「ん?」

「来てよかった」

 すぐ隣から返事があった。

「うん」

 それだけだった。

 でも、ルナにはそれで十分だった。

 明日は姉と二人で王都を歩く。

 手紙の中にあった場所を、今度は一緒に見に行く。

 ルナはゆっくり目を閉じた。


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