第1章 第15話 確かめる者
王都。
王城の一角にある一室で、一人の老人が机に向かっていた。
窓から差し込む昼の光が、何枚もの報告書を照らしている。
老人は、その中から一枚を手に取った。
白銀の髪。
青い服。
年齢、十四歳。
名前は、ユニ・N・スターチス。
そして。
Sランク昇格特別試験候補。
「……まだ納得できん」
老人――マグナス・ヴァルハイトは、報告書を机へ戻した。
六十八歳。
王直属の最高魔術師。
そして、かつてSランク冒険者として、その名を知られた男だった。
冒険者を退いた今も、その魔術は衰えていない。長い年月で積み上げられた知識と技術は、むしろ若い頃より深みを増していた。
マグナスは、別の報告書へ目を移した。
黒龍の一件。
王都近郊に現れた黒龍。
連れ去られていた幼体。
そして、その場に現れた少女。
あの日、マグナスは王命を受けて王都を離れていた。知らせを受けて戻った頃には、すべてが終わっていた。
「……儂が見ておれば、話は早かったものを」
ユニは黒龍を討ったわけではない。
連れ去られていた幼体を返し、事態を収めた。
黒龍の一件だけで、特別試験の候補になったわけではない。
それ以前から、各地のギルドにはユニに関する報告が残されていた。
魔獣。
依頼。
いくつかの異常事態。
そして、そのたびに残る奇妙な記録。
記録だけを見れば、並の冒険者でないことは分かる。
だが。
「肝心なところが、何も分からんではないか」
どれほどの魔力を持つのか。
何を得意とするのか。
どんな魔法を使うのか。
それすら、はっきりしない。
にもかかわらず、十四歳の少女がSランク昇格特別試験の候補として挙げられている。
「……ふざけおって」
若いからではない。
マグナス自身、年齢だけで人の力量を測る愚かさを、嫌というほど見てきた。
若かろうが、老いていようが、強い者は強い。
問題は、そこではなかった。
見えない。
測れない。
分からない。
それを理由に、分からないまま試験の場へ上げろと言われている。
それが気に入らなかった。
*
扉が叩かれた。
「入れ」
一人の男が入ってくる。
「マグナス様」
「なんじゃ」
「……また、その資料ですか」
「悪いか」
「いえ。ただ、もう半年になりますので」
「まだ半年じゃ」
「そうですか……」
男は困ったように笑った。
「まだ、ユニという少女を認められませんか」
「話をすり替えるな。儂は候補にするなとは言っておらん」
「では、何が問題なのですか」
「何も分からんことが問題じゃ」
マグナスが立ち上がる。
「お前。Sランクとは何じゃ」
「……また突然ですね」
「答えろ」
「冒険者の最高位です」
「それだけではない」
マグナスは窓の外へ目を向けた。
眼下には王都の街並みが広がっている。城壁のさらに向こうまで、多くの人々が暮らしている。
「一人の判断が、多くの命を左右する」
大規模な魔獣災害。
国をまたぐ異変。
普通の冒険者では手に負えない事態。
そこへ向かう者たち。
「強いだけでは足りん」
マグナスの声が少し低くなった。
「力を持つ者が判断を誤れば、守れるはずだったものまで失う」
男は黙って聞いている。
「十二人だから価値があるのではない」
マグナスは続ける。
「そこまで辿り着いた者が、十二人しかいなかった。それだけじゃ」
「では、その少女が本物なら?」
「十三人でよい」
答えは早かった。
「百人がそこまで辿り着ける世界になったのなら、百人でも構わん」
マグナスは、机の上にあるユニの報告書を見る。
「だが」
指先で、その紙を叩いた。
「分からんものを分からんまま通すことだけは、許さん」
*
「まだやってるのか、マグナス」
聞き慣れた声がした。
マグナスが眉を寄せる。
扉のところに、一人の大柄な男が立っていた。
ガルド・レイヴァン。
四十二歳。
現役のSランク冒険者。
そして、黒龍の一件をその場で見ていた男だった。
「ノックくらいせんか、ガルド」
「したぞ」
「聞こえんかった」
「じゃあ、あんたの耳の問題だ」
「出ていけ」
「今来たばっかりだ」
ガルドは気にした様子もなく机へ近づき、そこにある報告書を見る。
「ユニか」
「呼び捨てにするほど親しいのか」
「一度見ただけだ」
「なら知ったような口を利くな」
「見たから言ってる」
その瞬間、ガルドの声からわずかに軽さが消えた。
「俺は、あの場にいた」
「何度聞いたと思っておる」
「なら分かってるだろ」
「分からんから調べておる!」
「調べて分かるなら、とっくに分かってるさ」
マグナスの眉間に深い皺が寄る。
「……何が言いたい」
「見れば分かる」
「またそれか!」
「ああ」
「貴様らは揃いも揃って、それしか言わん!」
「仕方ないだろ。本当にそうなんだから」
「貴様は見たからそう言えるんじゃ!」
マグナスが机を指で叩いた。
「儂はあの日、王命で王都を離れておったんじゃぞ!」
「運が悪かったな」
「他人事のように言うな!」
「実際、俺のことじゃないしな」
「貴様……!」
ガルドは小さく笑った。
だが、すぐにその表情を戻した。
「あの時」
半年前の光景が頭に浮かぶ。
荒れた大地。
黒龍。
その幼体。
そして、いつからそこにいたのかすら分からなかった小さな少女。
「気配がなかった」
「……」
「魔力も分からなかった。あるのか、ないのか。それすらな」
「そんなことがあるものか」
「だから言ってるんだよ」
ガルドはマグナスを見る。
「あの場にいなきゃ分からないって」
「……気に食わん」
「何が?」
「その言い方がじゃ!」
「仕方ないだろ」
「だから、それをやめろ!」
ガルドは笑った。
だが、その目だけは笑っていなかった。
「俺も長いこと冒険者をやってきた」
戦って。
生き残って。
失って。
それでも歩いて。
ようやく辿り着いたSランク。
その名を、誰より誇りに思っていた。
だからこそ。
「俺は、ユニが特別試験を受けることに異論はない」
「……」
「必要なら、俺が推薦人になってもいい」
マグナスの目が鋭くなる。
「貴様がか」
「ああ」
「一度見ただけの相手を?」
「一度見れば十分だった」
「またそれか!」
「事実だから仕方ないだろ」
ガルドは、机の上の報告書を見る。
「少なくとも、力だけなら俺より上だ」
「何を根拠に言っておる」
「根拠なら何度も話した」
「気配も魔力も分からなかったという話の、どこが根拠じゃ!」
「分からなかったことが根拠なんだよ」
「そんなものが通るか!」
ガルドは肩をすくめた。
「なら、本人を見ればいい」
「だから連れてこいと言っておる!」
「本人がどこにいるか分からないんだから、仕方ないだろ」
「役に立たん奴じゃ!」
「俺に言うな!」
ガルドは声を上げて笑う。
だが、マグナスは笑わなかった。
「ガルド」
「なんだ」
「貴様が何年かけて、その場所へ辿り着いたと思っておる」
ガルドの笑みが少し消える。
「自分の積み重ねを軽く扱うな」
「軽くしているつもりはない」
「なら、簡単に他人を自分より上だなどと言うな」
マグナスは真っ直ぐにガルドを見る。
「それでも言うのなら、相応の責任を持て」
しばらく、ガルドは何も言わなかった。
やがて。
「だから、推薦人になると言ってる」
今度は笑っていなかった。
マグナスも黙る。
しばらく二人の視線がぶつかり合った。
先に口を開いたのはガルドだった。
「……相変わらずだな、あんた」
「何がじゃ」
「いや」
ガルドは少し笑った。
「やっぱり、ユニのこと嫌いじゃないだろ」
「話を聞いておったか?」
「聞いてたよ」
「なら、なぜそうなる!」
「本物なら認めるってことだろ?」
「本物ならな!」
「だったら、見ればいい」
「だから連れてこいと言っておる!」
「同じところに戻ったな」
「貴様のせいじゃ!」
*
そのとき、廊下から慌ただしい足音が近づいてきた。
マグナスとガルドが同時に扉を見る。
扉が開いた。
「マグナス様」
「今度はなんじゃ」
「ギルドから、急ぎの連絡です」
「ギルド?」
「はい」
男が一度、息を整える。
「ユニ・N・スターチスの所在が確認されました」
部屋が静かになった。
ガルドの表情が変わる。
マグナスは、ゆっくりと男を見る。
「……どこじゃ」
「セレナを発っています」
「行き先は」
男は答えた。
「王都です」
沈黙。
そして、ガルドの口元がゆっくりと上がった。
「来るぞ、マグナス」
「……」
「半年待った相手が」
マグナスは机の上へ視線を落とした。
そこにある一枚の報告書。
白銀の髪。
青い服。
ユニ・N・スターチス。
何ができるのか。
どれほど強いのか。
なぜ黒龍を前にしたガルドが、自分より上だと断言するのか。
分からない。
だから、マグナスは自分の目で見る。
「……よかろう」
老人は、ゆっくりと立ち上がった。
「ならば、この目で確かめてやる」




