↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
願いを魔法に  作者: 由吉


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/42

第1章 第14話 地図の青

 街道を外れてから、人とすれ違うことがほとんどなくなった。


 道は少しずつ細くなり、両側には背の高い木々が続いている。枝葉の隙間から落ちる日の光が、歩くたびに足元を流れていった。


「こっちで合ってるよね」


 ルナは地図を開く。


「はい」

「よかった」


 地図を畳み、また歩き出す。


 王都へ向かう街道から外れて、もう随分歩いた。自分で決めたこととはいえ、荷物を背負って歩き続ければ、やっぱり疲れる。


「湖って、まだ?」

「まだです」

「あとどれくらい?」

「歩けば着きます」

「それは知ってるよ」

「そうですか」

「そうなの」

「ワン」


 頭の上から聞こえた声に、ルナは少し笑った。


「にゃん吉君は楽そうでいいなぁ」

「ワン」

「否定しないんだ」

「ワン」


 ルナたちは、木々の間を歩いていった。


     *


 しばらくして、ルナは足を止めた。


「……ん?」


 風が少し変わった。


 木々の間を抜けてきた風が、頬に触れる。さっきまでより少しだけ冷たく、どこか湿っている。


 ルナは顔を上げた。


 木々の向こう。遠くに、青いものが見えた。


「……あ」


 足が自然と速くなる。


 一歩。また一歩。


 木々の間を抜ける。


 視界を塞いでいた枝葉が途切れ、空が一気に広くなった。


 そして。


 ルナは立ち止まった。


     *


 目の前いっぱいに、水が広がっていた。


「……わぁ」


 それ以上、すぐには言葉が出なかった。


 向こう岸は遠い。湖を囲む山々が、薄い青の向こうに霞んでいる。


 空には大きな白い雲が浮かび、同じ雲が湖の中にも浮かんでいた。


 風が渡るたび、水面に細かな波が生まれる。映っていた空と雲が、ゆっくりと形を崩していく。


 陽の光が波の一つ一つに触れ、細かな光となって遠くまで続いていた。


 岸辺には、白や灰色の丸い石が並んでいる。透き通った浅瀬の底では、細い水草が流れに合わせて揺れていた。


 少し離れた水面には、何羽もの水鳥が浮かんでいる。


 一羽が飛び立った。


 続いて、もう一羽。


 羽が水面をかすめるたび、細い波紋が広がっていく。


 聞こえるのは、風の音。鳥の声。そして、小さな波が岸へ届く音。


 ルナは、ただ立っていた。


 地図では、青く塗られていただけだった。


 そこに風が吹いている。


 鳥が飛んでいる。


 水が揺れている。


 ずっと遠くまで、景色が続いている。


「……すごい」


 やっと、それだけが口から出た。


「はい」


 隣でユニが答えた。


 ルナは湖を見たまま、少し笑った。


     *


 岸辺まで降りる。


 近くで見ると、水は思っていた以上に澄んでいた。浅瀬の底にある小石が、揺れる水越しにはっきり見える。


 ルナはしゃがみ込み、手を伸ばした。


 指先が水に触れる。


「冷たっ」


 思わず手を引っ込める。


 ユニも隣にしゃがみ、水へ指先を入れた。


「冷たいです」

「でしょ?」

「はい」


 ルナは笑った。


 なぜだか、それだけのことが楽しかった。


「にゃん吉君も触る?」

「ワン」

「触る?」

「ワン」

「触らない?」

「ワン」

「……どっち?」

「ワン」

「分かんないなぁ」


 もう一度、今度はゆっくりと手を水へ入れた。


 冷たい。


 でも、今度はすぐには引っ込めなかった。


 指の間を水が流れていく。


 両手ですくうと、手のひらの中に空の青まで一緒に入ったように見えた。


 けれど、指を開けば全部湖へ戻っていった。


     *


 ルナたちは湖のそばを歩いた。


 急ぐ理由はなかった。


 ルナは何度も立ち止まった。丸い石を拾ったり、水辺に残された鳥の足跡を見つけたり、浅瀬を泳ぐ小さな魚の影を追ったりした。


 風が強く吹けば、水面の色が変わる。雲が陽を隠せば、さっきまで光っていた場所が静かに青へ戻っていく。


 同じところを見ているはずなのに、少し目を離すだけで湖は違う顔を見せた。


「あ」


 ルナがしゃがむ。


 一つだけ、薄い青色をした石があった。


 拾い上げて陽にかざすと、少しだけ光を通した。


「綺麗」

「はい」

「持っていこうかな」


 手のひらの上で、ころりと転がす。


 旅の思い出に、鞄へ入れてしまおうかと思った。


 けれど、ルナはもう一度湖を見た。


 そして、石を元の場所へ戻した。


「やっぱり、いいや」

「はい」

「……聞かないの?」

「何をですか?」

「なんで戻したのか」

「聞いてほしいですか?」

「ううん」

「では、聞きません」

「……そっか」


 ルナは立ち上がった。


 青い石は元いた場所で、浅い水に濡れて光っていた。


     *


 夕方。


 同じ湖なのに、昼とはまるで違って見えた。


 空が少しずつ橙色に染まっていく。遠くの山も湖も、その色を静かに受けていた。


 昼間、青く光っていた水面には、夕日の道が伸びている。


 風が弱くなり、波も昼より穏やかになった。遠くから、水鳥たちの声が聞こえる。


 ルナは岸辺に座り、膝を抱えて湖を見ていた。


 隣にはユニ。その頭の上には、いつものようににゃん吉君がいる。


「……昼と全然違うね」

「はい」

「同じ湖なのに」

「はい」


 ルナはしばらく黙っていた。


 ここへ来るために、王都へ向かう道を外れた。歩く時間も増えた。疲れた。明日から、また歩かなければならない。


 それでも、遠回りしたとは思わなかった。


 村にいた頃。


 本を開けば、知らない土地の名前があった。地図を開けば、知らない場所が描かれていた。


 遠くにあるものを、ただ眺めていた。


 でも、今は違う。


 自分で歩いて、ここまで来た。


 ルナは湖へ視線を戻す。


 夕日に照らされた水面は、遠くへ行くほど空との境目が曖昧になっていた。


 どこまでが湖で、どこからが空なのか。


 少しだけ分からなくなる。


「……来てよかった」

「はい」


 ユニはそれだけ答えた。


「ワン」


 ルナは笑う。


「にゃん吉君も?」

「ワン」

「そっか」


 夕日が少しずつ山の向こうへ沈んでいく。


 ルナたちの前で、湖は橙色から薄い紫へ、そしてゆっくりと夜の青へ変わっていった。


     *


 翌朝。


 湖には薄い霧が浮かんでいた。


 昨日の青とも、夕暮れの橙とも違う。朝の光の中で、水面が静かに揺れている。


 ルナは荷物を背負い、最後にもう一度だけ振り返った。


 地図の中では、ただ青く塗られていただけの場所。


 でも、もうルナにとっては違う。


 水の冷たさを知っている。


 風の音を知っている。


 夕日に染まる色を知っている。


「行こう」

「はい」

「ワン」


 ルナたちは歩き出した。


 ルナは、もう振り返らなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。