第6章 第11話 小さな灯り
列車が街を離れると、窓の外に畑が広がった。
低い垣根が後ろへ流れていく。その向こうでは、二人の人が、長い布を畝の上へ広げていた。
ルナは窓枠へ肘をつきかけ、揺れに合わせて座り直した。
隣ではユニが外を見ている。にゃん吉君は二人の間で丸くなり、列車が大きく揺れるたびに、耳だけを動かしていた。
「海が見えるのは、乗り換えてからかな」
「どうでしょう」
「地図だと、まだ遠いね」
ルナは膝の上の手帳を閉じた。
向かいの席には、布で包んだ細長い荷物が立てかけられていた。持ち主の青年は、その紐を結び直している。
紐が短いらしく、片方を引くと、もう片方が指から抜けた。
二度目に抜けたところで、青年が小さく息を吐いた。
「あの。押さえましょうか」
ルナが言うと、青年は顔を上げた。
「いいのかい。助かる」
包みの端を押さえると、青年は両手で紐を回した。今度は結び目ができた。
「中は、何ですか?」
「仕事で使う道具。揺れてぶつかると困るから、包み直してたんだ」
青年は荷物を足の間へ戻した。
「ありがとう。君たちも、北まで?」
「はい。海沿いの町へ」
「じゃあ、乗り換えも同じだな」
青年は、窓の上に貼られた路線図を指した。
「俺は、そこから岬の灯台へ行く」
ルナは指の先を見た。
「灯台で、働いているんですか?」
「明日から」
そう答えてから、青年は少し笑った。
「まだ、働けるかどうかは分からないけど。手伝いとして来いとは言ってもらえたんだ」
*
昼前に、列車は山の近くへ入った。
窓の外に岩肌が増え、畑が途切れる。車内を歩いていた係の人が、窓を閉めるよう声をかけた。
ルナも留め具へ手を伸ばした。
閉め終える前に、窓へ冷たい影が落ちた。
山の中へ、列車が入った。
車輪の音が急に大きくなった。
向かいの青年の顔も、窓の形も、暗さの中へ沈む。
少し離れた席で、子供が声を上げた。
「お母さん」
「ここよ」
「見えない」
天井の灯りが、一つずつともった。
けれど、子供の声は止まらなかった。抱き寄せられたらしく、衣服の擦れる音がした。
青年が、そちらへ身体を向けた。
「小さな灯りを出しても、いいですか」
母親らしい人が頷くのが、薄明かりの中で見えた。
青年は片手を差し出した。
掌の少し上に、光が生まれた。
丸く、小さな光だった。
白い指先が浮かび、袖口の縫い目まで見えるようになった。
子供が泣きやんだ。
「それ、熱い?」
「熱くないよ」
子供は母親の腕から、少しだけ顔を出した。
光が、揺れる車内で青年の手と一緒に動く。
ルナは、その掌を見ていた。
天空の島で、自分も同じように手を上へ向けた。
こんなふうに。
小さくてもいいので。
あのとき言ったものが、向かいの席にあった。
青年は子供の顔を照らしすぎないよう、手を少し下げた。
「出口まで、つけておこうか」
子供が頷いた。
ルナは膝の上で、自分の指を開いた。
掌には、青年の灯りが届いていた。
*
山を抜けると、車内へ日差しが戻った。
子供は窓へ顔を寄せた。母親が青年に礼を言い、青年も軽く頭を下げる。
掌の光が消えた。
ルナは、もう何もないその場所を見ていた。
「どうしたの?」
青年に尋ねられ、顔を上げた。
「あ……きれいだなと思って」
「灯り?」
「はい」
青年は自分の手を見た。
「これしか、あまり得意じゃないんだけどね」
ルナは返事をしかけて、少し迷った。
これしか。
自分なら、それが一度でもできたら。
そんな言葉が浮かんだ。けれど、青年は困らせようとして言ったわけではなかった。
「灯台でも、その魔法を使うんですか?」
「いや。あそこを俺の手で光らせるわけじゃないよ」
青年は笑った。
「大きな灯具があるんだ。俺が習ったのは、そっちの手入れ。汚れを落としたり、傷んだところを調べたり。ちゃんと習ったつもりだけど、現場じゃ勝手が違うだろうな」
足元の包みへ手を置く。
「灯りがつけば終わり、でもないし」
「違うんですか?」
「船から見えなきゃ、役に立たないから。光の向きとか、間を置いてともす仕方とか。別の灯台と間違われても困る」
ルナは窓の外へ目を向けた。
まだ、海は見えなかった。
あの海にも、夜に船を動かす人がいる。
ロークたちは、どんな灯りを見て港へ戻ってきたのだろう。
「手入れをしている間は、船が見えるんですか?」
「昼なら、見えると思う。でも、夜はどうかな。遠い船の人の顔までは、見えないだろうね」
青年は少し考えてから続けた。
「こっちが見えなくても、向こうから見つけてもらえれば、それでいいんだと思う」
ルナは、消えた光のあったところを、もう一度見た。
「……さっきの子、安心してましたね」
「そうなら、よかった」
青年は耳の後ろをかいた。
「灯台でも、あのくらいうまくできればいいんだけど」
*
乗り換えの駅では、人が一度に通路へ出た。
ルナは長杖を身体へ寄せ、ユニと並んで降りた。
ホームの向こうから、焼いたものの匂いがした。
「少し、時間があるね」
駅の時計と、書き留めた時刻を見比べる。
売店には丸いパンが並んでいた。ルナが二つ頼むと、店の人は紙で包んで渡してくれた。
青年は少し離れたところで、包みを肩へ掛け直していた。
「お昼、食べないんですか?」
「買ってあるんだ。今朝、詰めてもらった」
青年は鞄から、小さな包みを取り出した。
開くと、パンが少し潰れていた。
「ああ……」
ルナは思わず笑い、すぐに口を押さえた。
「すみません」
「いや。道具の下へ入れた俺が悪い」
青年も笑った。
三人で、ホームの端の腰掛けへ座った。
にゃん吉君がルナの膝へ前足を掛ける。
「これは私のだよ」
「ワン」
ルナは収納バッグから、にゃん吉君の分を取り出した。
青年はその様子を見ながら、潰れたパンをちぎった。
「君たちは、海へ何をしに?」
「岬まで、行ってみたいんです。昔、そこを歩いた人の記録を読んで」
「景色を見に?」
「それも、見たいです」
ルナは包み紙の端を折った。
「その先に、探している場所へ続く道があるかもしれなくて」
青年は頷いた。
「俺の行く灯台の岬と、同じかな」
ルナが町の名前を言うと、青年は首を横へ振った。
「そこなら、もう少し北だ。俺は町から西へ行くから」
「そうなんですね」
「岬って、あちこちにあるからなあ。最初、俺も違う方を地図で見てた」
発車を知らせる声が響いた。
青年が包み紙を畳み、立ち上がる。
ルナも残りのパンを包み直した。
さっきの灯りについて、自分も使ってみたいのだと、話そうかと思った。
けれど、人の流れが動き始めた。
ルナは長杖を取り、ユニと一緒に次の列車へ向かった。
*
午後の列車では、青年と席が離れた。
ルナは窓のそばへ座り、包み直したパンを膝へ置いた。
ユニが隣へ腰を下ろす。
「さっきの灯り、見た?」
「はい」
「私が言ってたの、あんな感じ」
ルナは小さく掌を上へ向けた。
ユニが、その手を見た。
「手の上に、ちゃんと光があって」
言葉にすると、胸の奥が少し痛くなった。
「いいなって、思った」
「はい」
ルナは指を曲げた。
あの子が泣きやんだことも、青年がほっとしたことも、嬉しかった。
その間も、自分の手ならと思っていた。
「いつか、できたら。ユニちゃんにも見てほしい」
「見ますよ」
ルナはユニを見た。
ユニは、いつもと同じ顔で隣にいた。
「……うん」
手を下ろし、窓へ顔を向ける。
家並みが途切れた。
遠くに、青いものが見えた。
空より濃く、畑よりも平らな色が、建物の隙間に広がっていた。
「海」
ルナは窓へ近づいた。
列車が曲がると、青いところが一度に大きくなった。
白い波が岸に並んでいた。遠くには、帆が小さく見える。
手帳を出そうとして、やめた。
今は、ユニと一緒に見ていたかった。
*
町へ着く頃には、屋根の片側が夕日に染まっていた。
駅前で、青年が二人を待っていた。
「じゃあ、俺はこっちへ」
道具の包みを持ち上げ、西へ続く道を見る。
「お仕事、うまくいくといいですね」
「ありがとう。君たちも、探してる道が見つかるといいね」
ルナは頷いた。
青年が歩き出す。
数歩先で包みがずれ、肩へ掛け直した。そのまま、人の間へ入っていった。
ルナは見送ってから、手帳を開いた。
写してきた宿の名前がある。
通りに立つ案内板と見比べていると、潮の匂いに混じって、焼いた魚の匂いがした。
「先に、宿を探そうか」
「はい」
広い通りを海の方へ歩いた。
店先の布が風に膨らみ、軒下で誰かが灯りをともした。道の向こうでも、一つ、また一つと窓が明るくなる。
ルナはそのたびに、少しだけ目を向けた。
海に近い角を曲がると、遠くの岬が見えた。
夕闇の中で、灯りが一つ光った。
しばらく消えて、また光る。
「あれかな」
青年は、明日からだと言っていた。
今夜は、別の誰かがあの灯りを見ているのだろう。
ルナは足を止めた。
暗くなり始めた海の上を、小さな船が進んでいた。




