第6章 第7話 水の行く先
岩の隙間は、奥で少し広くなっていた。
ルナは身体を横にし、収納バッグを前へ寄せて通った。
岩肌には苔がついている。肩が触れそうになり、少しかがんだ。
向こうへ出ると、細い木々の間に斜面が続いていた。
泉は見えなかった。
ルナは足元から順に見ていった。
落ち葉。木の根。岩の間にたまった土。
くぼ地の奥だからといって、何かがあるとは限らない。
それでも、引き返す前に見ておきたかった。
後ろからユニが出てきた。
にゃん吉君は岩の上を越え、少し先で浮かんでいる。
ルナが一歩進むと、靴の下で小さく水の音がした。
足を止めた。
落ち葉の間が、黒く濡れていた。
しゃがみ、長杖をそばへ置く。
葉を一枚持ち上げると、その下を水が流れていた。
指ほどの幅しかない、細い流れだった。
「水がある」
ルナは顔を上げた。
流れは斜面の上から来ていた。
小石の間を通り、今くぐってきた岩の脇へ向かっている。
「どこへ行くんだろう」
立ち上がり、水を踏まないように横へ寄った。
岩の陰で、細い流れは深い割れ目へ落ちていた。
ルナはのぞき込んだ。
暗くて底は見えない。耳を近づけると、水の落ちる音だけが聞こえた。
*
いったん隙間を戻り、くぼ地の側へ出た。
奥の岩の位置を確かめる。
さっき見た流れは、この裏にあった。
ルナは岩の下へしゃがんだ。
土が細くくぼみ、くぼ地の中央へ続いている。落ち葉を少しよけると、小石が並んでいた。
けれど、こちらは濡れていなかった。
指先で土に触れてみる。
乾いた粒が、ぽろりと崩れた。
「前は、こっちへ流れていたのかな」
ルナは岩の裏と、目の前のくぼみを見比べた。
水が通っていた跡なのかもしれない。
雨が降ったときだけ、水の通るところなのかもしれない。
今の自分には、どちらとも分からなかった。
ただ、裏で見た水が、このくぼ地へ出てきていないことは分かった。
ルナは手帳を取り出した。
泉の絵を開く。
男の絵には水面が描かれていたが、どこから水が入っていたかまでは、分からなかった。
「聞いておけばよかった」
ユニが、ルナへ目を向けた。
「水が、どこから来ていたのか」
道は何度も聞き返した。
岩の形も写した。
けれど、泉の水については、ただ、そこにあると思っていた。
ルナは絵の横へ、小さく書き足した。
岩の裏に、流れる水がある。
割れ目へ落ちている。
くぼ地には、流れ出ていない。
書き終えてから、手帳を閉じた。
「今の水を、たどってみよう」
*
岩の裏へ戻り、流れに沿って斜面を上がった。
水は、葉の下へ隠れては、少し先でまた現れた。
ルナは見失うたびに立ち止まった。
急いで上へ行けば、違うところへ進んでしまいそうだった。
途中で、流れが根の下へ入った。
ルナはその向こうへ回った。
小さな虫が水際から逃げ、濡れた葉の裏へ潜った。
その先で、地面が平らになっていた。
ルナは顔を上げた。
木の根元と岩の間に、水がたまっていた。
両腕を広げたくらいの幅だった。
底の小石が透けて見え、端に落ちた葉が、ゆっくり回っている。
ルナは近づいた。
水は奥の岩の下から、少しずつ出ていた。たまったところを満たし、低い縁から細い流れになって落ちていく。
先ほどたどってきた水だった。
「ここから……」
ルナは膝をついた。
水面に、自分の顔が映っていた。
その上へ、白い丸が入り込む。
「にゃん吉君、ちょっと待って」
「ワン」
白い姿が横へ動いた。
ルナは袖をまくり、水へ指先を入れた。
冷たかった。
指を動かすと、底の小石の形が揺れた。
水を見つけた。
胸の奥で、さっきまで縮んでいたものが、少しほどけた。
けれど、男の絵にあった泉とは違う。
岸に人が座れるほどの広さもない。木々の並びも、岩の形も違っていた。
ルナは濡れた手を引き上げた。
「水が見つかっただけで、こんなに嬉しいんだね」
ユニが隣へしゃがんだ。
ルナはもう一度、水を見た。
「さっきは、もう何もないのかと思ったから」
水の出ている岩の下は暗かった。
ここで湧いているのか、もっと奥から流れてきているのかは、見えなかった。
ルナは顔を近づけかけて、やめた。
岩の下へ手を入れるのも、今はやめておいた。
*
少し離れたところへ座り、食べ物を取り出した。
食べ始めると、思っていたより時間がたっていたことに気づいた。
木々の間から落ちる光が、来たときより傾いている。
ルナは、くぼ地までの道を振り返った。
ここからでも、岩の重なりが見えた。
水のたまった場所は、くぼ地より高い。
今は割れ目へ落ちているこの水が、昔は、あのくぼ地を満たしていたのだろうか。
そう考えると、男の絵と目の前の景色が、つながりそうだった。
けれど、途中がまだ見えていない。
ルナはパンを飲み込み、ユニを見た。
「泉がなくなったんじゃなくて、水の流れるところが変わったのかもしれない」
「そうかもしれませんね」
ユニはルナの話を聞いていた。
答えを急がせる様子はなかった。
ルナは手帳の新しい頁を開いた。
くぼ地を描き、その奥に岩を置く。
岩の裏から斜面を上がったところへ、小さな水たまりを描いた。
水の流れる線は、見たところまでつないだ。
割れ目から先は空けておいた。
前の頁には、水面のないくぼ地があった。
今の頁には、細い流れが加わっている。
何も見つからなかったわけではなかった。
*
食べ終えると、ルナは水際へ戻った。
小さな葉が一枚、縁に引っかかっていた。
水に押され、何度か向きを変えたあと、細い流れへ滑り出していく。
ルナはそれを目で追った。
葉は根の下へ入り、見えなくなった。
流れていく水を見ているうちに、故郷の本を開いていたときのことを思い出した。
あの頃、泉はずっと遠くにあった。
どうやって行くのかも分からず、挿絵の水面へ指を置いていた。
今は、自分の手が濡れている。
ルナは掌を上にした。
指の間に残った水が、手首へ伝った。
ここで願えば、灯りがつくのだろうか。
言葉にしかけて、唇を閉じた。
まだ、何も確かめていなかった。
見つかった水へ、手当たり次第に願うつもりで来たわけではない。
ルナは布で手を拭いた。
「今日は、この辺りを見ておきたい」
ユニへ向き直る。
「水が出ているところと、あの割れ目。それから、くぼ地の低い方も。流れ出るところがあったのか、見たいんだ」
「はい」
収納バッグを掛け直し、長杖を取った。
戻る途中、ルナは流れのそばで足を止めた。
水は、今も割れ目へ落ちていた。
地面の下から、かすかな音が返ってくる。
ルナは岩の脇へしゃがみ、今度は、くぼ地の方へ目を向けた。
あの乾いた土の下へ、水が続いているのかもしれない。
見えている場所だけで、泉を探していた。
ルナは立ち上がった。
「下へ回ってみよう」




