第6章 第3話 減らされる側
「世界を保つために、命の数を減らすことも、私たちは手段に含めているからです」
男は答えた。
ルナは、卓の上で指を止めた。
「人が死ぬと、分かっていてもですか?」
「はい」
声は静かだった。
ルナは男の顔を見た。
聞き違いではなかった。
「ですが、人が増えたというだけで、すぐに減らすわけではありません。食べ物や水、土地、マナの巡り。それらに、どのような変化が起きているかを見ます」
「足りなくなっているか、ということですか?」
「それも一つです。ある命が増えることで、ほかの命が生きられなくなる場合もあります。私たちが保とうとしているのは、人だけの暮らしではありません」
島の女性も、似たことを言っていた。
人間だけの世界ではない。
ルナは手帳へ目を落とした。
そこには、争いのない世界、と書いてある。
「でも、その役目は、人が奪い合わなくても生きられるようにっていう願いから、生まれたんですよね」
「ええ。その人が生きるには、人以外の命も、土地も、水も必要です。人の望むものだけを増やし続ければよい、という形にはなりませんでした」
ルナは男の言葉を聞き終えてから、口を開いた。
「水を引いたり、食べ物を分けたりする方法もあるんですよね。それをする前に、人を減らすんですか?」
*
男は、すぐには頷かなかった。
「不足を補えるのであれば、減らす必要も変わります。水を引くことも、食べ物を運ぶことも、意味がありますよ」
「それを、待つんですか?」
「待てると判断すれば」
ルナの指が、手帳の端へ掛かった。
「待てないって決めたら、その町の人が何か考えていても?」
「その方法では間に合わないと判断することはあります」
ルナは椅子へ座り直した。
足元で、にゃん吉君が顔を上げた。
「その人たちには、伝えるんですか。何が足りなくて、何が起きそうなのか」
「必ず伝えて、返事を得てから動く仕組みではありません」
「知らないままなんですか?」
「そういう場合もあります」
ルナは筆記具を置いた。
何も知らずに、畑を耕している人がいる。
荷物を積み、遠くへ運ぼうとしている人もいる。
その途中で、もう間に合わないと決められる。
「それなら、どうすれば間に合うか、考えることもできません」
少し強い声になった。
男はルナを見ていた。
「ええ。伝えなければ、その人たちには分かりません」
「教えれば、変わるかもしれないのに」
「その可能性はあります」
ルナは次の言葉を待った。
男は目をそらさなかった。
「ただ、知らせれば必ず変えられるとも、私たちは考えていません。知っても動かないことも、別の土地へ負担を移すこともあります」
「でも、知らされなかった人は、動こうとしたかどうかも分からないです」
男が口を閉じた。
葉の擦れる音が聞こえた。
ルナは自分の手を見た。
何かできたはずだと言い切ることは、自分にもできない。
けれど、できなかったはずだと決められることも、違うと思った。
*
「誰が、間に合わないと決めるんですか?」
「その変化に関わる役目を持つ者です。見たことや、これまでに起きたことから判断します」
「役目があれば、間違えないんでしょうか」
「いいえ」
短い返事だった。
ルナは顔を上げた。
男は続けた。
「役目を持っていることと、すべてを正しく見通せることは、同じではありません」
「それでも、減らすんですか」
「何もしないまま、失われるものもあるからです」
ルナは息を吸った。
何もしないことにも、結果がある。
それは分かった。
船を進めることも、引き返すことも、ロークは見たものから決めていた。進めばどうなるかを、全部知っていたわけではなかった。
けれど、ロークが引き返したのは、船にいる人たちを帰すためだった。
「あなたも、同じように考えるんですか?」
男は膝の上で手を重ねた。
「私の役目は、外から来る脅威への対処です。ですが、ほかの者が命を減らすことを、すべて止めるべきだとは考えていません」
ルナは、目の前の手を見た。
椅子を運び、茶を入れ、頁を押さえる石を渡してくれた手だった。
「もっと多くの命が失われると、判断したら?」
「私は、その判断を受け入れることがあります」
「減らされる人が、生きたいと思っていても?」
「はい」
男は言った。
ルナは唇を閉じた。
この人は、知らないから答えられないのではなかった。
生きたいと思う人がいると分かっていて、それでも受け入れると言っている。
島の女性が怖かった。
今、目の前の男も怖かった。
けれど、こちらを怒らせようとしているわけではないことも、分かった。
*
ルナは椅子から立った。
すぐに歩き出すつもりはなかった。ただ、座ったまま、次の質問を考えられなくなっていた。
「少し、立っていてもいいですか」
「もちろん」
男は引き止めなかった。
ルナは卓の横へ出た。
木々の間に、黒い背が見えた。
黒龍は、身体を伏せて休んでいる。帰りも乗せると言って、待ってくれていた。
山には、子供がいる。
親が帰れば、また並んで飛ぶのかもしれない。
ルナはその姿をしばらく見た。
「島へ行くために、船に乗せてもらったんです」
男へ背を向けたまま、話した。
「船長は、危ない海を見て、引き返すと決めました。私たちは途中からユニちゃんに連れていってもらって、その人たちより先に港へ戻りました」
男は黙って聞いていた。
「船が帰ってくるまで、何度も見に行きました。違う帆だって分かっても、知っている人が乗っていないか、探してしまって」
ルナは卓へ向き直った。
「帰ってきたら、安心しました。顔を見て、声を聞いて、やっと」
男の前には、冷めた茶があった。
「その人たちが、減らした方がいい数に入っていたらって、考えてしまいます」
言ってから、ルナは首を振った。
「知らない人ならいい、という意味じゃありません。でも、今、顔が浮かぶんです」
「ええ」
「その人が帰ってくるのを、待っている人もいるんです」
男は頷いた。
「いるでしょうね」
その返事が、苦しかった。
否定されれば、言い返せたかもしれない。
けれど、男は分かっていても、先ほどの答えを変えなかった。
*
ルナは椅子へ戻った。
隣のユニが、ルナを見た。
目が合うと、少し息が整った。
手帳は、開いたままだった。
その頁には、まだ男の答えを書いていなかった。
「泉で願った人は、このことも知っていたんですか?」
ルナは尋ねた。
「自分の願いから生まれた役目が、人を減らすこともあるって」
「その後に起きることを、どこまで知っていたのか。私には分かりません」
男は答えた。
「ただ、私が話を聞いたとき、その人は、人の数を減らしてほしいとは言いませんでした」
ルナは、頁の上の文字を見た。
争いのない世界。
子供たちが家へ帰れるだろうか。
そう尋ねた人がいた。
「その人が、そうしてほしいと言っていなくても、あなたたちは判断するんですね」
「ええ」
「世界を変えても、そのあとの全部を、自分で決められるわけじゃないんですね」
「願った人が、私たちの判断を一つずつ決めているわけではありません」
ルナは筆記具を取った。
願った人の言葉。
男が話した役目。
その役目を持つ者が、実際に選ぶこと。
同じ頁に並んでいても、全部を一つの思いとしては書けなかった。
ルナは少し間を空けて、男の答えを書いた。
減らすという判断を、受け入れることがある。
書き終えてから、顔を上げた。
「私は、まだ、それでいいとは思えません」
「はい」
「説明してもらったことは、覚えておきます。でも、ほかの方法がなかったのかも、知りたいです」
男はゆっくり頷いた。
「私の言葉だけで、納得する必要はありません」
ルナは手帳へ目を戻した。
納得していない、とも書いた。
それは男から聞いたことではなく、自分が今、思っていることだった。
*
茶の器を持つと、すっかり冷えていた。
ルナはひと口飲んだ。
最初より、苦みを強く感じた。
「泉へ行きたい気持ちは、変わりましたか?」
男が尋ねた。
ルナは器を置いた。
すぐには答えられなかった。
掌に、小さな灯りをともしたい。
その願いを考えることまで、悪いことになったような気がしていた。
けれど、ここまで聞いた話は、自分が魔法を使いたいと思ったことを、責めるものではなかった。
「怖くなりました」
ルナは答えた。
「願ったことの先で、何が起きるのか分からないので」
「ええ」
「でも、行きたいです」
男を見た。
「使えるようになりたい気持ちも、まだあります。だから、泉がどんな場所なのか、もっと知りたいです」
手帳の頁を押さえていた石を外した。
自分の願いの横に、今日聞いたことが増えていた。
ルナはそれを閉じずに、次の空いた頁を開いた。
「泉の場所を、教えてもらえますか?」




