第5章 第24話 翼を借りて
「お話を、聞いてもらえますか?」
黒龍は、ルナを見ていた。
畳まれた翼の向こうで、小石が斜面を転がっていく。その音が止まるまで、返事はなかった。
「何を聞きたい」
低い声だった。
ルナは長杖を握る手に力を込めた。
「天空に浮かぶ島を、探しています。龍なら、行き方を知っているかもしれないと聞いて」
「空に浮かぶ島か」
「はい。そこに、最古の十二災神がいると教えてもらいました」
黒龍の頭が、わずかに動いた。
「誰から聞いた」
「神に見放された島で会った、女性からです。眠りを届けることができると、話していました」
黒龍はしばらく黙っていた。
それから、隣のユニへ目を向けた。
「また会うとはな」
「お久しぶりです」
ユニは、いつもと変わらない声で答えた。
「あの子は、無事に育っている」
「それはよかったです」
ルナは二人を見た。
姉の手紙に書かれていた出来事には、その先があった。
親へ返された子供は、ここで暮らしている。
「あのときの子供も、この山にいるんですか?」
「いる」
黒龍の目が、尾根の向こうへ動いた。
ルナもそちらを見た。岩と木々が重なり、奥までは見通せなかった。
けれど、会えなくても、無事だと聞けたことが嬉しかった。
「よかったです」
黒龍はルナへ視線を戻した。
「それで、その島へ何をしに行く」
*
「願いの泉について、話を聞きたいんです」
口にすると、黒龍の目が細くなった。
「泉を探しているのか」
「はい。私、魔法を使えるようになりたくて、旅をしています」
風が谷を抜けた。
ルナは髪を耳へ掛け、言葉を続けた。
「島で会った方にも、私が魔法を使えない理由は分からないと言われました。でも、最も古くからいる方なら、泉について、もう少し知っているかもしれないと」
「その者が、願いをかなえるわけではないぞ」
「はい」
ルナは頷いた。
「会えば泉が見つかるとも、まだ分かりません。でも、話を聞けるなら、聞いてみたいんです」
黒龍の鼻先が、少し下がった。
近くで見る鱗は、一枚ずつが大きかった。傷のような白い線が、その縁を横切っている。
ルナは顔を上げたまま、返事を待った。
「島はある」
胸の奥が、強く動いた。
「行ったことが、あるんですか?」
「ある。そこにいる者とも、話をした」
ルナはユニを見た。
ユニもこちらを見ていた。
言い伝えを知っている人には、会えた。
今度は、その場所へ行ったことのある相手に会えたのだ。
ルナは収納バッグへ手を伸ばしかけ、止めた。
まず、聞きたかった。
「どこにあるんでしょうか」
黒龍は谷の向こうへ頭を向けた。
「あちらへ飛ぶ。海を越え、雲の上へ出る」
ルナはその先を見た。
尾根の向こうに、薄い雲が続いている。
方角は分かった。
けれど、その雲のどこまで進めばよいのかは、見上げても分からなかった。
「船から、空に陸地を見たという話も聞きました。それも、その島でしょうか」
「見たものに聞かなければ分からん。空には、遠い雲が陸のように見えることもある」
「そうですか」
ルナは頷いた。
案内所で聞いた目撃の話と、今聞いている島のことを、すぐに同じものにはできなかった。
「ここからだと、遠いですか?」
「私の翼なら、途中で休まずに届く」
ルナは畳まれた翼を見た。
谷を渡ってきたとき、あの翼は尾根より高く上がっていた。
自分が歩く距離とは、比べられなかった。
*
「ユニちゃん」
ルナは隣へ顔を向けた。
「黒龍に道を教えてもらえたら、一緒に行けるかな」
「はい」
短い返事だった。
海の嵐を越えたときにも、ユニはそばにいた。
ルナは頷き、黒龍へ向き直った。
道を、もう少し詳しく尋ねようとした。
「背に乗るか」
ルナは口を閉じた。
黒龍を見上げる。
「乗せて、もらえるんですか?」
「行き先は知っている。運んだ方が早い」
ルナの目が、首から肩へ、その奥へ移った。
自分の背より高いところに、黒い鱗が続いていた。
「あの、私たちを乗せても、大丈夫なんでしょうか」
「その程度の重さは、変わらん」
頭上で、にゃん吉君が揺れた。
ルナはもう一度、背の高さを見た。
乗ることなど、考えていなかった。
会って話ができれば、道を聞ければと思って来たのだ。
「こちらは、子を返してもらった」
黒龍がユニを見た。
「礼をする機会もなかったのでな」
「私は、親のところへ連れていっただけです」
「私にとっては、それで十分だ」
ルナはユニを見上げた。
ユニは黒龍を見ていた。
あのときのことを、大きな出来事として話したことはなかった。今も、自分のしたことを短く答えただけだった。
けれど、返してもらった方は、覚えていた。
「ユニちゃん。乗せてもらっても、いい?」
「はい」
ルナは黒龍へ向き直り、頭を下げた。
「お願いします。天空の島へ、連れていってください」
「よかろう」
返事を聞いてから、ルナはもう一つ尋ねた。
「帰るときも、お願いできますか? お話が、どのくらいかかるか分からないんですけど」
「その間は、私も島で休む。話が済んだら呼べばいい」
「ありがとうございます」
ルナは息を吐いた。
行くことだけを決めてしまうところだった。
帰る方法も聞けると、ようやく、背に乗ることを考えられた。
*
黒龍は首を上げ、尾根へ向かって低く鳴いた。
声が岩肌に響き、谷の奥へ続いていく。
少し間を置いて、向こうから声が返ってきた。
ルナは顔を上げた。
尾根の上に、黒い姿が現れていた。
木の間から頭を出し、こちらを見ている。遠くて細かなところまでは分からないが、目の前の黒龍より小さかった。
「あの子ですか?」
「そうだ」
ルナは手を上げかけ、少し迷ってから振った。
黒い頭が傾いた。
にゃん吉君も高く浮かび、「ワン」と鳴いた。
ユニが尾根を見上げた。
「大きくなりましたね」
黒龍はしばらく子供を見ていた。
それから、前脚を折った。
大きな身体が低くなる。地面へ腹が近づいても、背はまだ高かった。
「首の後ろへ。翼の付け根には寄るな」
ルナは長杖を収納バッグへ収めた。
留め具を閉じ、肩紐を確かめる。
近づくと、黒龍の身体から温かさが伝わってきた。鱗は陽の当たる岩とは違う熱を持っていた。
「触っても、いいですか?」
「乗るのだろう」
「あ、はい」
ルナは両手を置いた。
鱗の表面は硬かった。
足を掛けられそうなところを探したものの、次に手を伸ばす場所が遠い。
「ユニちゃん。上まで、お願い」
「はい」
身体が持ち上がった。
ルナは黒い鱗の上へ下り、両手をついた。すぐ後ろへ、ユニも上がってくる。
首の後ろには、身体を寄せて座れるところがあった。
足を落ち着け、顔を上げる。
さっきまで見上げていた岩が、横にあった。
「もう、高い……」
地面に伏せているだけなのに、下を見ると肩が縮こまった。
ユニが後ろへ座った。
「ユニちゃん。飛んでいる間、落ちないようにしてもらえる?」
「はい」
腰の辺りを、そっと支えられた。
ルナは振り返った。
「風も、強かったらお願い」
「分かりました」
にゃん吉君が目の前を横切り、二人のそばへ下りてきた。
黒龍の首が動いた。
「よいか」
ルナは収納バッグを身体へ引き寄せた。
谷の向こうを見る。
歩いてきた道は、木々に隠れていた。
島で聞いた言葉が、ここまで自分を連れてきた。
この先には、まだ会ったことのない人がいる。
「はい。お願いします」
黒龍が立ち上がった。
背が大きく持ち上がり、ルナは思わず息をのんだ。
左右へ、翼が広がる。
その影が、岩も、倒れた木も覆った。
ルナは鱗へ手を添えたまま、空を見た。
翼が一度、深く下がった。
地面が離れた。




