第5章 第23話 黒龍のいる方へ
「会って、話を聞きたいんです」
ルナがそう言うと、受付の女性は、開かれた手帳へ目を落とした。
天空の島。その下に、黒龍のことが書いてある。
「行き方を知っているか、直接お尋ねしたいのですね」
「はい。島の場所も、まだ分からなくて」
女性は頷いた。
「黒龍の街から届いた報告に、目撃の記録があったはずです。確認してきますね」
腕の中のにゃん吉君を、そっと台へ下ろす。
白い身体はそのまま丸くなった。
「そこ、受付の人が使うところだよ」
ルナが声をかけると、にゃん吉君は顔を上げた。けれど、動こうとはしなかった。
女性は笑い、奥へ入っていった。
ルナはユニを見上げた。
「黒龍の子供、今も親と一緒にいるのかな」
「どうでしょう」
「会えたら、分かるね」
初めてユニのことを知ったのは、姉の手紙だった。
黒龍と戦わず、その子供を親へ返した少女。
あの頃は、どんな人なのかも知らなかった。
今は隣に立っている。
ルナが見ていると、ユニが顔を向けた。
「どうしました?」
「ううん。あの手紙を読んだときは、一緒に黒龍へ会いに行くなんて、思ってなかったなって」
ユニは少し首を傾けた。
「まだ、会えるか分からないけどね」
ルナは笑って、手帳を引き寄せた。
*
戻ってきた女性は、台の上へ地図を広げた。
にゃん吉君が浮き上がり、その端を空ける。
「街の北側です。この山並みの辺りで、何度か姿が見られています」
指が、地図に描かれた山をたどった。
「最近も、ですか?」
「ええ。ただ、目撃された場所は同じではありません。ここへ行けば必ず会える、とまでは言えませんが」
街から山へ向かう道があった。
途中で細くなり、谷の手前で途切れている。
「この道は、歩けるんですか?」
「麓までは使われているそうです。その先の様子は、現地で確かめてください。道の状態も変わりますから」
ルナは頷き、街と山の位置を写した。
「黒龍は、人を襲っているんでしょうか」
「届いている報告に、被害はありません。けれど、近づいて安全だと確認されたわけではありませんよ」
「はい」
ルナは書く手を止めた。
島の魔獣も、自分たちを襲わなかった。
だからといって、どこまで近づいてよいのかは分からなかった。今度の相手も、同じように考えるべきだった。
「子供の姿も、見られていますか?」
女性が報告へ目を戻した。
「二頭を見た、という記録はあります。ただ、小さい方があのときの子供かどうかまでは」
「そうですか」
ルナは、二頭、と書き添えた。
会う前から、同じ親子だと決めてしまわないように。
「ありがとうございます。街で最近の様子を聞いて、それから向かいます」
女性は地図を畳みかけ、ふと手を止めた。
「ルナさん」
「はい」
「会えたら、何とお話しするかは決めていますか?」
ルナは口を開きかけた。
天空の島について、聞く。
それは決めていた。
けれど、山で突然会った相手へ、いきなり質問をしていいのだろうか。
「……まず、話を聞いてもらえるか、尋ねます」
女性が微笑んだ。
「よい旅になりますように」
*
王都では一泊した。
船の連絡をギルドで受け取れるように手続きをし、ロークへ宛てた手紙を出した。食べ物を買い足し、翌朝には駅へ向かった。
列車は西へ進んだ。
窓の向こうに流れる景色には、覚えているものもあった。
初めて通ったときには遠く感じた道だった。
ルナは長杖を膝のそばへ寄せ、手帳を開いた。
天空の島にいるという、最古の十二災神。
泉について、もう少し知っているかもしれない人。
その人に会うために、今は黒龍を探している。
「順番に聞いていかないと、届かないね」
隣のユニが手帳を見た。
「天空の島ですか?」
「うん。空を見上げるだけじゃ、どこにあるか分からないから」
ルナは窓へ顔を向けた。
雲の下を、鳥が飛んでいた。
あの向こうに陸地があると言われても、まだうまく思い浮かべられなかった。
*
黒龍の街では、山へ向かう前にギルドへ寄った。
受付で地図を見せると、職員はルナが写した場所より、少し西を指した。
「近ごろ見られているのは、この谷です。飛んできて、尾根の向こうへ下りていくそうですよ」
「麓までの道は、通れますか?」
「ええ。山へ入るところに古い分かれ道があります。右は崩れているので、左を使ってください」
ルナは地図へ印をつけた。
王都で聞いた場所より、行き先が少し狭くなった。
それでも、谷のどこにいるのかは分からない。
翌朝、三人は街を出た。
山の下には畑があり、しばらくは荷車の跡が続いていた。やがて畑が途切れ、道の両側に木が増えた。
教えられた分かれ道には、右側へ縄が張られていた。
その先で、道の端が崩れ落ちている。
「聞いておいてよかったね」
ルナは左へ進んだ。
日が高くなる頃、木々の間から谷が見えた。
向かいの斜面に、白っぽい岩肌が露出していた。上の方には木がまばらに生え、さらに奥へ尾根が続いている。
ルナは足を止めた。
大きな姿は、どこにも見えなかった。
「この辺りのはずだけど……」
岩の間も、木の陰も見た。
山は広かった。
地図では指先で隠れた場所が、目の前では、歩いて回れるかも分からない広さになっている。
にゃん吉君が少し先へ浮かんでいった。
ルナも続こうとして、足元に気づいた。
道の脇の低い木が、何本も同じ方向へ倒れていた。
折れ口は乾ききっていない。土の上には、深くえぐれた跡が残っている。
ルナは近くへしゃがんだ。
自分の靴より、ずっと大きかった。
「何かが、通ったのかな」
ユニはそばに立っていた。
ルナは跡に触れず、顔を上げた。
倒れた木の向こうは、谷へ下る斜面だった。
この先へ行ったのかもしれない。
けれど、帰ってきた跡かもしれなかった。
立ち上がったとき、頭上を影が横切った。
*
ルナは空を見た。
黒い翼が、谷の上に広がっていた。
一度羽ばたくと、その身体が尾根より高く上がった。
遠くにいるのに、大きかった。
陽を受けた鱗の縁が光り、長い尾がゆっくりと曲がる。
ルナは息を止めた。
手紙で読んだ名前と、目の前の姿が、すぐには結びつかなかった。
「……黒龍?」
「はい」
隣から返事があった。
黒龍は谷を渡り、円を描くように向きを変えた。
こちらへ頭が向く。
ルナは長杖を握ったまま動けなかった。
翼を広げた姿が、近づいてくる。
「ユニちゃん」
「はい」
「あのときの、黒龍?」
「そうです」
ルナはユニを見た。
その間にも、風の音が大きくなった。
にゃん吉君が戻ってきて、二人の頭上へ浮かぶ。
ルナは木の下から離れ、岩のそばへ寄った。顔を上げると、黒龍が翼を傾けていた。
谷の斜面へ、大きな影が落ちる。
足が地面に触れた。
土が跳ね、低い音が足元へ響いた。
ルナは片手で髪を押さえた。巻き上がった葉が、肩をかすめて飛んでいく。
黒龍が翼を畳んだ。
その目は、ユニへ向いていた。
ルナは二人を交互に見た。
黒龍の頭が、少し下がる。
見つけたのは、自分たちの方だと思っていた。
けれど、向こうもユニに気づいて、下りてきたのかもしれない。
ルナは長杖を身体の横へ寄せた。
口の中が乾いていた。
受付で答えた言葉を思い出す。
まず、話を聞いてもらえるか、尋ねる。
「あの」
声が小さくなった。
黒龍の目が動いた。
今度は、ルナを見ていた。
ルナは息を吸い直した。
「お話を、聞いてもらえますか?」




