第5章 第21話 帰ってきた港
目を開けると、白いものが目の前にあった。
ルナはしばらく見つめてから、毛布の上で丸くなっているにゃん吉君だと気づいた。
身体を起こそうとすると、毛布が引っ張られる。
「にゃん吉君、ちょっとだけ、どいてくれる?」
白い身体が浮き上がった。
冷たい朝の空気が、首元へ入り込んだ。
昨夜と同じように、波が砂利を洗っていた。ルナは両手をついて座り直し、隣を見た。
「おはよう、ユニちゃん」
「おはようございます、ルナ」
いつもの声だった。
眠る前にはあれほど気になっていたのに、気づけば朝になっていた。
ルナは毛布を膝へ引き寄せた。
森の奥から、何かの鳴き声が聞こえた。昨日見た黒い魔獣を思い出し、そちらへ目を向ける。木々の間に姿はなかった。
収納バッグから水を取り出し、ひと口飲んだ。
「今日、港へ戻りたい」
ユニがルナを見た。
「天空の島について、調べてみようと思う」
手帳を開く。
島で歩いた道の先には、何も描いていない場所が広がっていた。山の向こうにも町の跡があるかもしれない。あの女性に聞いてみたいことも、まだ残っている。
けれど、全部を確かめるまでここにいれば、いつ出発できるか分からなかった。
「泉の場所は、分からなかったけど」
頁をめくる。
「話を聞けるかもしれない人は、教えてもらえたから」
天空に浮かぶ島。
そこにいる、最古の十二災神。
ルナはその下へ、場所と行き方を調べる、と書き足した。
「それと、ロークさんたちにも、帰ってきたって伝えたい」
「はい」
ルナは海へ目を向けた。
近くの水面は穏やかだった。その向こうには、船で越えられなかった海がある。
「ゲートで、戻してもらえないかな」
魔獣が外へ送り出されていたところを思い出す。
「あの男の人に、頼んでみたい」
*
朝食を済ませ、毛布と敷物を片づけた。
長杖を拾うと、石突きの近くに昨日の土が残っていた。
ルナは町の方を見上げた。
階段の先には、崩れた壁がある。道に面した側が強く傷んだ建物も、欠けた器の残る部屋もあった。
ここへ来る前には、どれも知らなかった。
十二災神がいることも。
魔獣が生まれるところも。
人の数を減らすことを、穏やかな声で話す者がいることも。
収納バッグの留め具を閉じ、ルナはユニとともに浜を歩いた。
町へ上がる石段の手前に、男の姿があった。岩原から、島へ戻ってきていたらしい。
「もう帰るのかい?」
男はルナたちを見て、そう尋ねた。
「はい。お話を聞かせてもらって、ありがとうございました」
ルナは頭を下げた。
「それで、お願いがあるんです。ゲートで、私たちが来た港へ戻してもらえますか?」
「どこの港だい?」
ルナは船を出した港の場所を伝えた。
男は少し考えてから頷いた。
「ああ、そこならいいよ」
「お願いします」
男の前にゲートが開いた。
その向こうに、石畳が見えた。木箱を積んだ荷車が通り過ぎ、車輪の音がこちらまで届いてきた。
ルナは息をのんだ。
魔獣が通っていた道を、今度は自分が通る。
長杖を持ち直し、開いた向こうを見た。
倉庫の壁に、見覚えがあった。
「ありがとうございます」
「気をつけて」
ルナは一度振り返った。
男はその場に立ち、こちらを見ていた。
聞きたいことも、納得できなかったことも残っている。
ルナはもう一度頭を下げ、ゲートへ足を踏み入れた。
靴の下が、石畳に変わった。
魚の匂いがした。
縄を引く人、荷物を担ぐ人。桟橋からは、何人もの声が重なって聞こえてくる。
ユニが隣へ出てきた。にゃん吉君も頭上を通り、白い身体を揺らした。
三人が通り終えると、ゲートは閉じた。
ルナはしばらく、その場所を見つめていた。
「戻ってきた……」
倉庫の向こうには、帆柱が並んでいた。
*
船は、まだ帰っていなかった。
ルナは岸に並ぶ船を見て歩き、港で働く人にも尋ねた。けれど、ロークたちの船が入ったという話は聞けなかった。
桟橋の先で立ち止まり、沖を見る。
あの嵐が見えるところまで、船で何日も進んだ。
自分たちは島で一晩過ごし、ゲートを通って戻ってきた。ロークたちは、その間も海を戻っているのだ。
「まだ、途中なんだね」
ルナは隣を見た。
「帰ってくるまで、ここで待とう」
「はい」
宿を取り、港へ様子を見に来ることにした。
部屋で靴の土を落とし、顔を洗う。窓の外からは、荷車の音が聞こえていた。
ルナは手帳を収納バッグへ戻した。
「待っている間に、天空の島のことも聞いてみようか」
にゃん吉君が、寝台へ下りかけたところで浮き直した。
*
「天空に浮かぶ島、ですか?」
港の案内所で、女性が聞き返した。
「はい。そこへ行く方法を探しています。場所だけでも、何か分かればと思って」
女性は少し考え、壁に掛けられた海図へ目を向けた。
「船乗りの方から、空に陸地のようなものを見たという話を聞くことはあります。ただ、雲の見間違いかもしれませんし、こちらでは確かめられていません」
「同じ場所で、何度も見られているんですか?」
「私が聞いたものは、場所も時期も違いますね。船で向かう場所でしたら、航路や寄港地をご案内できるのですが……」
「そうですよね」
海図には、海岸に沿って港の名前が並んでいた。
海を横切る線も引かれている。
空へ向かう道は、そこにはなかった。
「龍が降り立つ島だ、という伝承ならありますよ」
ルナは顔を上げた。
「龍が、そこへ行くんですか?」
「そういう話です。もし本当なら、龍は行き方も知っているのかもしれませんね」
ルナは隣を見た。
姉の手紙にあった黒龍の事件。
連れ去られた子供を見つけ、親へ返した少女は、ここにいる。
「ユニちゃん。前に子供を返した黒龍が、今どこにいるか、知ってる?」
「今、どこにいるかは知りません」
ルナは頷いた。
そのとき会った場所に、今もいるとは限らない。
「そっか。じゃあ、会える場所を調べないといけないね」
手帳を開き、天空の島の下に黒龍のことを書き添えた。
「王都のギルドで、あの事件のことを相談してみようかな」
ユニへ顔を向ける。
「今の居場所につながる話が、何かあるかもしれない」
「はい」
案内所の女性にも、ルナは頭を下げた。
「ありがとうございます。まず、黒龍に会う方法を調べてみます」
*
外へ出ると、夕方の風が通りを吹き抜けた。
店先では、女の人が器を並べている。白い皿の縁に青い模様が見えて、ルナは少しだけ足を緩めた。
客が一枚を手に取り、店の人へ話しかけた。
ルナはその横を通り過ぎた。
「ロークさんたちが帰ってきたら、王都へ戻ろう」
「はい」
港へ出て、桟橋の先まで歩いた。
沖から、一隻の船が近づいていた。ルナは立ち止まって見つめたが、帆の形が違った。
船はゆっくり岸へ向きを変えていく。
ルナは甲板の上に、ロークやバルトの姿を探しかけていた。
顔を見れば、ようやく安心できる気がした。
「また明日、見に来よう」
隣のユニが頷いた。
王都で聞きたいことは決まった。
その前に、この港で待っていたかった。




