第5章 第19話 眠りを届ける者
「私たちの中で、最も古くからいる方なら、もう少し知っているかもしれません」
女性の言葉に、ルナは手帳を開いたまま顔を上げた。
「十二災神の中で、ですか?」
「はい。私よりも長く、この世界を見てきた方です」
「その人は、どこにいるんですか?」
女性は空を見上げた。
ルナもつられて顔を上げる。山の向こうを、白い雲がゆっくり流れていた。
「天空に浮かぶ島に」
「……空に、島があるんですか?」
「ええ」
ルナはもう一度、空を見た。
雲の間には青空が広がっている。目を凝らしても、島らしいものは見えなかった。
「この島の上にあるわけではありませんよ」
女性が微笑んだ。
ルナは少し頬を熱くして、視線を戻した。
「どうすれば、そこへ行けるんでしょう」
「地上の町へ行くようには、たどり着けないでしょうね」
「場所は、分かるんですか?」
「今、どの空にあるのかを、ここでお教えすることはできません」
ルナは手帳へ目を落とした。
天空に浮かぶ島。
その場所も、そこへ行く方法も、まだ分からない。けれど、泉について尋ねられるかもしれない相手がいる。
「会えば、泉のことを教えてもらえるでしょうか」
「何をお話しになるかは、その方が決めることです」
「そうですよね」
ルナは頷いた。
ここへ来てから、二人の十二災神に会った。
同じことを尋ねても、返ってきた言葉は違った。次に会う相手も、こちらが望む答えを持っているとは限らない。
それでも、名前も場所も分からず探していたときより、尋ねたい相手が一人増えた。
ルナは、泉について書いた言葉の下に、天空の島のことを書き添えた。
*
「十二災神は、みんな別々の場所にいるんですね」
ルナが言うと、女性は頷いた。
「この島にいる者ばかりではありませんから」
「ほかにも、人の暮らしている場所の近くに?」
「ええ。南の海の向こうにある、獣人たちが暮らす大陸にも、一人いました」
「いました?」
ルナは聞き返した。
女性は道の脇の石へ目を向けた。
「あるダンジョンで、大きな戦いが起きたんです。多くの冒険者が命を落としました」
ルナの手が止まった。
ダンジョン。
その言葉に、暗い通路と、第九十九層の封印が浮かんだ。
「その十二災神と、戦ったんですか?」
「はい。五界域の一人も、その戦いに関わっています」
「五界域の……」
ヴェラの顔が浮かんだ。
魔大陸で出会い、話を聞いた相手。その一人と同じ呼び名を持つ者が、十二災神と戦った。
「どうなったんですか?」
「相討ちに近い形だったそうです。最後には、その十二災神は封じられました」
「倒されたわけでは、ないんですね」
「ええ。封印されています」
風が通り、道端の草が揺れた。
ルナは、女性の顔を見た。
声は変わらなかった。
船の入っていた海の話をしたときも、天空の島を教えてくれたときも、同じように穏やかだった。
「亡くなった冒険者は、たくさんいたんですか」
「はい」
ルナは手帳を見下ろした。
ここへ来るまで、自分も何人もの冒険者に会ってきた。
依頼の話をする人。食事をしながら笑う人。帰ってきた仲間へ声をかける人。
亡くなった冒険者たちにも、一人ひとり、名前があったはずだった。
ルナはすぐには書けず、紙の端を押さえた。
少しして、顔を上げる。
「その戦いを、見ていたんですか?」
「いいえ。私は、その場にはいませんでした」
「では、誰かに聞いたんですか?」
女性はルナへ向き直った。
「その戦いから戻った者が、何を見たのかを知ることはできます」
ルナは眉を寄せた。
「戻った人に、会ったんですか?」
「眠りの中で」
*
ルナは、女性の言葉を待った。
女性は静かに続けた。
「眠る者は、その日に見たことや、知ったことを整理します。古い記憶が浮かぶこともありますね」
「夢のことですか?」
「夢として見るものも、その一部です。私は、そうした眠りの世界へ入ることができるんです」
ルナは相手を見つめた。
「その人が、見たものを?」
「はい」
「話してもらわなくても、分かるんですか?」
「眠りの中に現れれば、知ることができます」
ルナは、これまで宿で眠った夜を思い出した。
疲れて、寝台に横になる。
目を閉じると、知らないうちに朝になっていることもあった。夢を見た気がしても、起きる頃には忘れてしまっている。
その間に、誰かが入ってくる。
「入られた人には、分かるんでしょうか」
「気づく者もいれば、夢だったと思う者もいるでしょうね」
女性は、眠っている子供の話でもするように答えた。
ルナは手帳を持ち直した。
この人が知っていることは、目の前で見たものや、誰かが話してくれたことだけではない。
「それも、あなたの力なんですか?」
「ええ。私は、眠りを届ける者です」
女性の髪が、風に揺れた。
「眠りは、生き物にとって必要なものです。疲れた身体を休めることも、心を落ち着かせることもできます」
ルナは頷きかけた。
「そして、永遠に眠らせることもできます」
頷こうとしたまま、動きが止まった。
女性の声は、少しも変わらなかった。
「……永遠に?」
「はい。目覚めない眠りです」
遠くで、波が砕けた。
さっきまで聞こえていた音が、急にはっきりと耳に入った。
ルナは、女性の目を見た。
この人は十二災神だ。
それは、もう知っていた。
魔獣を生み出すところも見た。人の数を減らすこともあると、聞いていた。
けれど、今話している力は、自分が長杖を構えて防げるものなのかさえ分からなかった。
「遠くにいる人にも、できるんですか?」
「いいえ。その眠りを届けるには、相手が近くにいなければなりません」
「近く……」
「こうして、姿が見えるくらいのところに」
ルナは、足元へ目を落とした。
二人の間には、石畳がある。
声を張らなくても話ができる距離だった。
杖を握る手に、力が入った。
「その力で、誰かを永遠に眠らせたことはあるんですか?」
「あります」
短い返事だった。
ルナは息を吸った。
次の言葉が、すぐには出てこなかった。
女性は黙って待っている。
問いを聞き返すことも、笑うこともなかった。
「それも、均衡を保つために?」
「はい。そうする必要があると、判断したときに」
ルナは、森の奥で交わした話を思い出した。
何を見て、必要だと決めるのか。
その判断が正しいと、どうやって確かめるのか。
あの問いは、まだ終わっていなかった。
隣で、青いコートの裾が揺れた。
ユニがそこに立っていた。
ルナは一度だけその顔を見て、ゆっくり息を吐いた。
「……怖いです」
女性はルナを見つめた。
「そうでしょうね」
否定も、慰めもなかった。
ルナは、もう一度女性の顔を見た。
話を聞き始めたときと同じ人だった。
穏やかな目も、静かな声も、変わっていない。
*
しばらくして、ルナは手帳へ目を戻した。
天空に浮かぶ島。
南の大陸での封印。
眠りの中で、人が見たものを知る力。
書きかけて止まっていたところを、短い言葉で埋めていく。
女性は、その間も待っていた。
「いろいろ、教えてくれてありがとうございました」
ルナは手帳を閉じた。
「まだ、納得できないこともあります。でも、お話は聞けてよかったです」
「そうですか」
女性は小さく頷いた。
「これから、どうしますか?」
ルナは町の奥へ目を向けた。
建物の向こうに、森が続いている。
天空の島の場所は、まだ分からない。ここで聞いたことも、すぐに全て整理できるわけではなかった。
「もう少し、この島を見ていきたいです」
ルナは隣を見た。
「ユニちゃん、一緒に来てくれる?」
「はい」
いつもの返事だった。
頭上で、にゃん吉君も鳴いた。
「ワン」
ルナは顔を上げ、小さく頷いた。
女性は道の脇へ寄った。
「では、私は戻ります。足元に気をつけて」
「はい。ありがとうございました」
ルナは頭を下げた。
女性が森へ続く道を歩いていく。
その姿が建物の陰へ隠れるまで、ルナは見送っていた。
手帳には、願いの泉へつながるかもしれない言葉が残っている。
それを教えてくれた人を、今は怖いと思っていた。
ルナは鞄の留め具を閉じた。
「行こう、ユニちゃん」
「はい」
長杖を持ち直し、まだ歩いていない道へ足を向ける。
少し進んでから、ルナはユニの隣へ並んだ。




