第5章 第18話 神に見放された島
裏側には、石の継ぎ目が残っていた。
ルナは壁から離れ、表で見た高さと比べた。
上の縁はこちらも黒く、石同士がつながったようになっている。けれど、その下には四角い石の形が残っていた。表側では、同じ辺りまで滑らかに変わっていたはずだった。
「ユニちゃん。こっちは、間の線が見える」
「はい」
ルナは壁の端から表を見直し、手帳に裏側の形を描き足した。
先に調べた二つの建物も、道に面した方が強く傷んでいた。この壁にも、同じような違いがある。
「道の方で、何かが起きたのかな」
女性が壁を見上げた。
ルナは図の下へ、表と裏で違っていたところを書き留めた。それから、手帳を持ったまま女性へ向き直った。
「さっき、この島で大きな戦いがあったって言いましたよね」
「はい」
「変わったのは、町だけなんですか?」
女性の視線が、ルナへ戻った。
「どうして、そう思ったんですか?」
「昔は、ここへ船が来ていたからです」
ルナは頁をめくった。
写した入江の形と、双岬泊の文字。
「でも、今は嵐に囲まれています。私たちをここまで案内してくれた船も、途中で引き返しました」
ロークが帆を見上げていた姿を思い出す。
船を買い、修理をして、人を集めてもらった。それでも、船で島まで来ることはできなかった。
「昔の人は、どうやってあの海を渡っていたんですか?」
「昔は、今のような海ではなかったんですよ」
ルナは顔を上げた。
*
女性は壁の脇を抜け、海が見える方へ歩いた。
ルナもユニと並んで後に続く。
道の先に、岬の間の青い海が見えた。浜へ寄せる波は小さく、ここから見える範囲には荒れたところなどなかった。
「古の戦いは、島の町だけで終わりませんでした。この島も、周りの海域も、戦いによって変わってしまったんです」
「周りの海まで……」
ルナは遠くへ目を凝らした。
島へ来るとき、頬を打った雨。すぐ近くで走った雷。
ユニに抱えられていても、黒い雲がどこまで続くのか分からなかった。
「あの嵐も、その戦いの後からですか?」
「はい」
女性は海へ目を向けたまま答えた。
「かつて船が通った海は、人が容易には渡れない場所になりました」
ルナは手帳の入江を見下ろした。
記録に残っていた岸の形は、今も見つけることができた。
けれど、そこまで続いていたはずの航路は、同じようにはたどれなかった。
「だから、船が来なくなったんですね」
「ええ。海を隔てた向こうから、この島へ来ることは難しくなりました」
ルナは少し黙ってから尋ねた。
「それが、神に見放された島って呼ばれる理由なんですか?」
女性はルナを見た。
「この島を囲む海域には、神すら立ち入れなくなった。そう伝えられるようになったんです」
「神すらも?」
「はい。そのために、神に見放された島と呼ばれるようになったんですよ」
ルナは海へ向き直った。
神が、人々を見捨てて去っていった。
その呼び名から、漠然とそんな光景を想像していた。
けれど、今聞いた話は違った。
「見放したんじゃなくて、来られなくなったってことなんですね」
「少なくとも、その呼び名は、そうした話とともに伝わっています」
女性は穏やかに答えた。
ルナは手帳に書き留めようとして、海を渡ってきたときのことを思い出した。
隣にいるユニを見上げる。
「私たちは、通ってきたね」
「はい」
ユニはいつもと変わらない声で答えた。
頭上では、にゃん吉君が海の方を向いていた。
ルナは少し考え、手帳には『神すら立ち入れなくなったと伝わる』と書いた。
嵐は、自分の目で見た。
けれど、その言い伝えまで確かめられたわけではなかった。
*
ルナは町を振り返った。
黒く変わった壁。その奥に続く、崩れた建物。
「そんな大きな戦いをしてまで、何を手に入れたかったんでしょう」
「この島には、秘宝があったと伝えられています」
「秘宝……」
ルナは道の先へ目を向けた。
建物の向こうには森が広がり、その先にも山の稜線が重なっている。浜から歩いてきた道は、この広い島のほんの一部だった。
まだ見ていない場所に、何が残っているのだろう。
手帳へ書き留めたところで、森の奥で記した言葉が目に入った。
マナ。世界を巡る力。
ルナは指を止めた。
「あの、私のことも聞いていいですか?」
「はい」
「私、魔法が使えないんです」
女性はルナへ向き直った。
「練習もしました。研究院で調べてもらったこともあります。でも、どうして使えないのかは、まだ分かっていません」
ルナは長杖へ目を落とした。
「さっき、魔力はマナを取り込んで使うものだって教えてくれましたよね」
「ええ」
「私が魔法を使えないことも、それと関係があるんでしょうか」
女性は少し考えてから答えた。
「ごめんなさい。あなたが魔法を使えない理由は、私には分かりません」
ルナの指が、杖を握り直した。
魔獣を生み出し、長い間、世界を見てきた人だった。
この人なら、何か分かるかもしれない。
そう思っていた。
「……そうですか」
隣で、ユニが静かに待っていた。
ルナは息をつき、顔を上げた。
「では、願いの泉については、何かご存じですか?」
ルナは続けた。
「あの男の人は、泉のことは知っているけれど、今どこにあるのかまでは分からないと言っていました」
女性はルナを見つめた。
「願いの泉を探しているんですか?」
「はい。魔法を使えるようになりたくて、旅をしています」
「その泉に、行きたいんですね」
「はい」
ルナは頷いた。
女性は、海から戻ってくる風に髪を揺らしながら口を開いた。
「この世界は、マナで満ちています。それを忘れないでください」
ルナは、すぐには返事ができなかった。
さっき聞いた、世界を巡る力。
それが、願いの泉につながるのだろうか。
「それが、泉を探す手掛かりになるんですか?」
「覚えておいてください」
女性は静かに答えた。
ルナは周りを見た。
道端の草が風に揺れている。石壁の向こうには森があり、岬の間には海が見える。
マナで満ちていると言われても、今の自分には、その流れは見えなかった。
けれど、聞き流したくはなかった。
ルナは手帳の空いたところへ、女性の言葉をそのまま書いた。
『この世界は、マナで満ちている』
泉の場所を示す地図は、まだない。
それでも、探すときに忘れてはいけない言葉を、一つ受け取った。
「ありがとうございます。覚えておきます」
ルナは書き終えた頁を確かめた。
そして、手帳を閉じる前に、もう一度顔を上げた。
「泉について、ほかにも話を聞ける人はいますか?」




