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願いを魔法に  作者: 由吉
五章

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第5章 第17話 均衡の役目

「……どんな役目ですか?」


 ルナの問いに、女性は静かに微笑んだ。


「この世界に生きる、すべての命の均衡を保つことです」


「すべての命……?」


「はい。人間も、動物も、魔獣も、森の木々も。どれも、この世界を形作る命ですから」


 女性は足元に目を向けた。


 岩の隙間から、小さな花が咲いている。


「ある生き物だけが増え続ければ、ほかの生き物にも影響が出ます。食べるものが足りなくなったり、暮らす場所を失ったりすることもあるでしょう」


 ルナは頷いた。


「私たちは、そうした世界の均衡が大きく崩れないようにする役目を持っています」


「……魔獣を召喚するのも?」


「その一つですね。マナの濁りを集め、魔獣にして浄化する。あれも世界の循環を保つための働きです」


 ルナは、先ほど魔獣が生まれた岩肌を見た。


 今はもう、そこに光の輪は残っていない。


「十二災神は、みんな同じことをしているんですか?」


「いいえ。それぞれ異なる災いの力を持っています」


「災いの力……」


「大地を揺るがす者もいれば、老いをもたらす者もいます。ほかにも、さまざまな災いを司る者がいますよ」


 ルナはマグナスの話を思い出した。


 東の国で大地を揺るがした十二災神。


 そして、この島でユニと戦った男。


 もう一人、思い浮かぶ相手がいた。


「……あの」


「はい?」


「私、前にダンジョンの九十九層で、女の人に会ったことがあるんです」


 女性はルナを見た。


「その人は、ずっとお腹が空いているって言っていました」


 封印の向こうにいた女性。


 あのときは、何者なのか分からなかった。


 けれど、その後に古い記録で十二災神の名を知り、気になっていた。


「……その人も、十二災神なんでしょうか?」


 女性は、少しだけ目を細めた。


「……その方については、今はお話ししないでおきましょう」


「……そうですか」


 ルナは頷いた。


 女性は答えを知らないのではなく、話さないことを選んだように見えた。


 それ以上尋ねても、今は答えてもらえないかもしれない。


 ルナは、いったん問いを胸にしまった。


「災いは、生きとし生けるものに及びます」


 女性が話を戻した。


「人間だけに向けられた力ではないんですよ」


「……みんなに?」


「はい」


 ルナは足元の花を見た。


 小さな命も、大きな命も、この世界に生きている。


 そのすべてが、十二災神の役目に関わっているという。


「……じゃあ、人が増えすぎたときも?」


 女性は頷いた。


「人間も、この世界の命の一つです。増えすぎれば、均衡を保つために数を減らすこともあります」


「……人を、減らすんですか?」


「はい」


 女性の声は変わらなかった。


 ルナは、すぐには言葉を返せなかった。


 リーネの町で出会った男の子を思い出した。


 魔獣が現れ、怯えていた子供。


 あの子は、ただ町で暮らしていただけだった。


 増えすぎた人間の一人だなんて、考えていたはずもない。


 けれど、女性の言葉では、そうした人々も均衡を保つために減らされることがある。


「……その人たちは、何も悪いことをしていないかもしれません」


「そうですね」


「それでも、ですか?」


「はい。私たちが守るのは、人間だけの世界ではありませんから」


 女性は静かに答えた。


 ルナは長杖を握った。


 世界を守る。


 その言葉の中には、自分が考えていたよりも、ずっと多くのものが含まれていた。


     *


「ルナさん。人間は家畜を育てますね」


 女性が口を開いた。


「……はい」


「食べるために育て、必要になれば、その命をいただきます」


 ルナは頷いた。


 旅の途中で牧場を見たこともあった。


 食卓に並ぶものが、ほかの生き物の命によって支えられていることも知っている。


「町や村に魔獣が現れれば、人々は討伐します。魔獣が増えすぎて暮らしを脅かすなら、その数を減らそうともするでしょう」


「……そうですね」


「それは、人間が自分たちの暮らしを守るためですよね」


「はい」


「では、私たちが世界の均衡を守るために、生き物の数を調整することと、何が違うのでしょう?」


 ルナは口を閉じた。


 人は、ほかの生き物の命に関わりながら暮らしている。


 食べるために家畜を育てる。


 町を守るために魔獣を討伐する。


 それを全部やめればいいとは、自分も言えなかった。


「人間は、自分たちを守るために、ほかの生き物の数を減らすことがあります」


 女性は続けた。


「けれど、自分たちが同じように数を調整されることは、認められない。それは、なぜでしょう?」


「……そういうことじゃありません」


 ルナは顔を上げた。


「人間も、ほかの生き物の命を奪って暮らしていることは分かります」


 女性は黙って聞いていた。


「でも……」


 ルナは少し考えた。


「増えすぎたって、誰が決めるんですか?」


 女性はルナを見つめた。


「……誰が、ですか?」


「はい。何を見て、増えすぎたって分かるんですか?」


 女性は静かに答えた。


「私たちは、世界全体の変化を見ています」


「世界全体……」


「はい。人間の暮らしも、ほかの生き物の暮らしも、互いに影響し合っています。それらがどう変わっているのかを見ているんです」


「……それを見て、決めるんですね」


「そうです」


 ルナは女性を見つめた。


「でも、その判断が正しいかどうかは、どうやって確かめるんですか?」


 女性は、しばらくルナを見ていた。


「なるほど。そこが気になるんですね」


「……はい」


「私たちは、長い時間をかけて世界を見てきました。それでも、説明を聞いただけでは納得できませんか?」


 ルナは首を振った。


「信じないって決めているわけじゃありません」


 言葉を選んで、続けた。


「でも、私が見てきたのは、この島のほんの一部だけです。世界全体のことは、まだ知りません」


 女性は頷いた。


「だから、ちゃんと確かめたいんです」


「……何をでしょう?」


「あなたたちが、何を見て必要だと判断しているのか」


 ルナは、はっきりと答えた。


「それを知らないまま、十二災神は必要ないって言いたくありません」


 少し間を置いた。


「でも、必要だって言われただけで、全部正しいとも思いたくないんです」


 女性は小さく微笑んだ。


「ルナさんは、自分で答えを出したいんですね」


「……はい」


「そうですか」


 女性は森の向こうへ目を向けた。


「では、少し歩きましょうか。ここにいても、見えるものは限られていますから」


 ルナは頷いた。


 女性が歩き出す。


 ルナもその後を追おうとして、一度だけユニを見た。


 ユニは静かに二人の話を聞いていた。


「ユニちゃん、もう少し付き合ってくれる?」


「はい。もちろんですよ」


 その返事を聞いて、ルナは歩き始めた。


 頭の上から、小さく声がした。


「ワン」


「……にゃん吉君も、ありがとう」


     *


 森の中には、細い道が続いていた。


 足元の草は低く、魔獣の足跡が残っている。


 女性は倒木を避けながら、ルナへ話しかけた。


「ルナさんは、災いが必要だと思いますか?」


「……まだ、分かりません」


 ルナは正直に答えた。


「魔獣がいることで、マナの濁りが清められるのは分かりました。でも、ほかの災いについては、知らないことばかりです」


「そうですね」


 女性は頷いた。


「ただ、人間は災いを前にして、何もしてこなかったわけではありません」


 ルナは顔を上げた。


「危険に備え、道具を作り、町を守る方法を考えてきました。そうして、今の文明が築かれてきたんです」


 それは、先ほども聞いたことだった。


 ルナは、少し考えてから尋ねた。


「……でも、災いがなかったら、人間はもっと幸せだったんでしょうか?」


 女性は足を緩めた。


「それは、私にも分かりません」


「……分からないんですか?」


「はい。災いがなかった世界で、人々がどう生きていたのか。それを確かめることはできませんから」


 ルナは女性を見つめた。


 世界を長く見てきた十二災神にも、分からないことがある。


「ですが、今の人間が災いを乗り越えながら、多くのものを生み出してきたことは確かです」


「……はい」


 ルナは足元の道を見た。


 人々は、災いの中で工夫してきた。


 それは分かる。


 けれど、乗り越えられなかった人もいたはずだ。


「……それでも、仕方なかったって思いたくはありません」


 ルナは呟いた。


「危険な目に遭った人たちのことを」


 女性は頷いた。


「ええ。それも、ルナさんの考えですね」


 道の先に、古い石壁が現れた。


 行きに見た、森の中の壁だった。


 崩れた石の隙間へ、太い木の根が入り込んでいる。


 ルナは足を止めた。


 ここにも、かつて人が暮らしていた。


 その人たちは、何を考え、どう生きていたのだろう。


「……あの町に戻れますか?」


 ルナは尋ねた。


 女性は振り返った。


「浜から上がってきた町ですか?」


「はい」


 ルナは手帳を取り出した。


「最初に見た壁の、向こう側をまだ確かめていないんです」


 頁を開く。


 古い町で描いた道と、建物の位置。


 気になった場所に印が残っている。


「帰りに、もう一度見ようと思っていました」


 女性は手帳を見た。


「そうだったんですね」


「……そこへ戻りたいです」


 女性は頷いた。


「分かりました。ご一緒しましょう」


     *


 森を抜けると、草地が広がっていた。


 何匹かの魔獣が、離れた場所で草を食べている。


 ルナたちが通っても、顔を上げるだけだった。


 女性はその間を抜け、坂の方へ歩いていく。


 ルナも後に続いた。


 坂を下りると、古い広場が見えてきた。


 崩れた建物の間に、石畳が残っている。


 ルナは手帳を開き、道の位置を確かめた。


「……こっちです」


 広場から、浜へ続く石段の方へ戻る。


 以前調べた、道を挟んだ二つの建物は、この先ではない。


 ルナが探しているのは、もっと石段に近い場所だった。


 石段を上って間もなく見つけた、一枚の壁。


 その姿が、道の脇に見えてきた。


「……ありました」


 ルナは足を止めた。


 壁は、途中から石の形が変わっていた。


 上の方では、石同士がくっついたように見え、表面が滑らかになっている。


 黒いガラスのような色をした部分もあった。


 最初に見たとき、不思議に思った場所だった。


「この壁です」


 ルナは女性へ振り返った。


「上の方が、溶けたみたいになっているんです」


 女性は壁を見上げた。


「そうですね」


「でも、まだ向こう側を見ていません」


 ルナは手帳の図を指した。


「この前は、見えるところだけを描きました。裏側がどうなっているのか、確かめたいんです」


「何を調べるつもりですか?」


「同じように溶けているのか、それとも違うのか、です」


 ルナは答えた。


「両側が同じなら、壁全体に何かが起きたのかもしれません。違うなら、別の理由かもしれないので」


 女性は黙って聞いていた。


 ルナは壁を見上げた。


 世界の均衡が、本当にどう保たれているのか。


 その答えが、この壁に残っているとは限らない。


 昔の争いがあったことだけで、十二災神が必要だと証明できるわけでもない。


 それでも、まずは確かめられることから調べたい。


「……ルナさん」


 女性が声をかけた。


「はい?」


「その壁を調べても、私たちの役目が正しいかどうかは、分からないかもしれませんよ」


「……はい」


 ルナは頷いた。


「でも、この島で何が起きたのかは、少し分かるかもしれません」


 女性はルナを見つめた。


「だから、調べてみたいんです」


「……そうですか」


 女性は静かに頷いた。


 ルナは壁の端へ向かった。


 崩れた石が足元に散らばっている。


「ルナ」


 ユニが声をかけた。


「はい?」


「足元、気をつけてくださいね」


「……うん」


 ルナは長杖を持ち直した。


 石の間を確かめながら、一歩ずつ進んでいく。


 壁の端まで来ると、いったん立ち止まった。


 手帳には、表側から見た壁の形が描いてある。


 そこには、まだ空いている場所があった。


 ルナはその頁を開いたまま、壁の向こう側へ回った。


 今度こそ、見落としていた場所を自分の目で確かめるために。


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