第5章 第15話 濁りのかたち
「それなら、少しお話ししましょうか」
女性は穏やかに微笑んだ。
ルナは長杖を持ったまま、相手を見つめていた。
「……魔獣を送り出している人を、よくご存じなんですか?」
「はい。よく知っていますよ」
女性は森の奥へ目を向けた。
「魔獣たちが、どこから来るのか。それをお見せできます」
ルナはすぐには返事をしなかった。
目の前の女性は、優しそうに見える。
けれど、先ほど出会った男もそうだった。
その男は十二災神で、ユニと戦った。
穏やかに話す相手だからといって、何も確かめずに信用するわけにはいかない。
「私はルナです。こちらはユニちゃんで、頭の上にいるのが、にゃん吉君です」
「ワン!」
にゃん吉君が返事をした。
女性は小さく笑った。
「ルナさんですね。よろしくお願いします」
その視線が、ユニのところで一瞬止まった。
けれど、何かを尋ねることはなかった。
「ユニちゃん、どう思う?」
「ルナが確かめたいなら、一緒に行きますよ」
ルナは頷いた。
魔獣が人の町へ送られるところは見た。
今度は、その魔獣がどこから来るのかを知りたい。
「……お願いします」
「はい。こちらです」
女性は道の脇へ寄り、二人が歩き始めるのを待った。
*
森の中には、細い道が続いていた。
何匹もの魔獣が通るのだろう。足元の草は低くなり、ところどころで土が露出している。
女性は慣れた足取りで進んでいく。
倒木の前では、通りやすい側を指してくれた。
しばらく歩くと、木々の間に低い石壁が現れた。
「……ここにも」
ルナは足を止めた。
壁の一部は崩れ、太い木の根が石の隙間へ入り込んでいる。
積み方は、下の町で見たものによく似ていた。
「ここも、昔は建物だったんですか?」
「はい。この島には、かつて人が暮らしていましたから」
ルナは石壁を見つめた。
浜から上ってきた石段。
建物の跡。
欠けた器。
あの町だけではなく、森の奥にまで人の暮らしが続いていたのだろうか。
ルナは壁の位置を手帳に記し、女性の後を追った。
やがて、森の向こうが明るくなった。
木々が途切れ、岩に囲まれた空き地が現れる。
中央には平らな岩肌が広がり、その周囲にだけ短い草が生えていた。
魔獣の姿はない。
ゲートも見当たらなかった。
「ここです」
女性が足を止めた。
「ルナさん。魔力というものは、ご存じですよね」
「はい」
ルナは頷いた。
魔力。
自分には扱えない力。
研究院で何度も調べてもらったものだった。
「では、マナという言葉は?」
「……マナ?」
「世界を巡っている力のことです。人が魔法に使う魔力は、そのマナを取り込んで利用するものなんですよ」
「世界を巡っている……」
「はい。私たちの周りにも、流れています」
ルナは思わず、自分の手を見た。
研究院では、魔力を取り込めないのか、それとも取り込んでも身体に残せないのかを調べていた。
もし、魔力になる前の力が世界を巡っているのなら。
自分が魔法を使えないことにも、何か関係があるのだろうか。
まだ、答えは分からない。
ルナは手帳の端に書き留めた。
『マナ――世界を巡る力』
*
「そのマナには、困ったことがあるんです」
女性は片手を上げた。
掌の上に、小さな光が現れる。
光はゆっくりと広がり、内側に細い灰色の筋が混じった。
「……灰色のものが」
「マナは、世界を巡るうちに濁りを含んでいきます」
女性が手を動かす。
光は円を描くように流れ始めた。
けれど、灰色の筋が集まる場所では、流れが乱れている。
「この濁りを放っておくと、どうなるんですか?」
「マナの循環が滞ってしまいます。そうなれば、魔法に使える力も少なくなっていきます」
光の一部が、灰色に覆われた。
「特に、大きな魔法ほど扱いにくくなってしまうでしょう」
「……濁りを取り除けないんですか?」
「取り除いていますよ。世界樹も、マナを清める働きをしています」
「世界樹が……」
「はい。ですが、それだけでは、すべての濁りを処理しきれません」
女性は灰色の筋を一か所へ集めた。
光の流れが、少し滑らかになる。
「濁りが残り続ければ、野にいる魔獣へ集まってしまうこともあります」
「魔獣に?」
「そうです。集まりすぎた負の力は、魔獣を暴走させる原因になります」
ルナは顔を上げた。
「じゃあ、取り除かないと危ないんですね」
「はい」
女性は頷いた。
「だから、こうして集めるんです」
灰色の筋が、掌の中央へ寄っていく。
「……集めたあとは?」
「別の形にします」
女性は掌を下ろした。
「見ていてください」
*
灰色の光が、ゆっくりと地面へ降りていった。
平らな岩の上に、薄い輪が広がる。
輪の内側で、光が渦を巻き始めた。
ルナは思わず一歩、身を乗り出した。
渦の中央に、小さな影が浮かぶ。
最初は形がはっきりしなかった。
けれど、少しずつ輪郭が現れていく。
四本の脚。
丸い背中。
小さな耳。
光が弱まった。
そこには、一匹の魔獣が立っていた。
「……えっ」
ルナは目を見開いた。
灰色がかった毛並みの、小さな魔獣だった。
魔獣は足元の岩を嗅ぎ、ゆっくりと歩き始める。
岩の隙間に草を見つけると、顔を下げて葉を噛み取った。
つい先ほどまで、何もなかった場所だった。
今は一匹の魔獣が、草を食べている。
「……今のが、召喚なんですか?」
「はい」
女性は頷いた。
「集めた濁りを、魔獣という形にしています」
ルナは魔獣を見つめた。
小さな口で草を噛み、次の葉を探している。
草地で見た魔獣たちと、何も変わらない。
「どうして、魔獣なんですか?」
ルナは女性へ向き直った。
「濁りを集めることは分かりました。でも、ほかの形じゃ、だめなんですか?」
「大切なのは、集めただけで終わらせないことなんです」
「……終わらせない?」
「はい。濁りを形にしても、それだけでは、まだ世界から取り除けたことにはなりません」
女性は魔獣のそばへしゃがんだ。
魔獣は一度だけ顔を上げ、また草を食べ始めた。
「魔獣が討伐されることで、その濁りは浄化されます」
「討伐……」
「そして、魔石が残るんです」
ルナは聞き覚えのある言葉に顔を上げた。
「魔石って、あの魔石ですか?」
「はい。清められたマナが凝縮されたものです。人々はそれを、魔法やさまざまな道具に利用しています」
ルナは、自分たちが旅で見てきた道具を思い出した。
魔法を使えない人でも、魔力を利用する道具に助けられている。
その材料になるものが、魔獣を倒すことで手に入る。
「……そうだったんだ」
ルナは草を食べる魔獣へ目を向けた。
今、目の前で生まれたばかりの魔獣。
この魔獣が討伐されれば、濁りが清められ、魔石が残る。
けれど。
「……この子も、いつか倒されるんですか?」
「そうなるかもしれませんね」
小さな魔獣は、二人の話など知らない様子で草を食べ続けている。
ルナは、その姿から目を離せなかった。
*
「……でも」
ルナは女性へ向き直った。
「浄化するためなら、どうして人の町へ送るんですか?」
女性は立ち上がった。
「ダンジョンだけでは、足りないからですよ」
「……足りない?」
「はい。ダンジョンは、世界のどこにでもあるわけではありません。今ある場所だけに魔獣を集めても、世界に生まれ続ける濁りの処理が追いつかなくなってしまいます」
ルナは考えた。
ダンジョンは、危険な場所だ。
自分もユニたちと一緒に入り、その恐ろしさを知っている。
「でも、冒険者の人たちが倒せば……」
「ダンジョンの奥まで進める人は、限られていますよね」
「……はい」
女性はゆっくりと続けた。
「世界中で濁りが生まれているのに、一部の場所でしか浄化できなければ、やがて追いつかなくなります」
ルナは説明の要点を手帳に書き留めた。
「……それで、いろんな場所に送り出しているんですね」
「はい」
女性は頷いた。
「ダンジョンに潜る冒険者だけが、魔獣と戦うわけではありません。町を守る兵士や、街道を巡る人たちもいます」
ルナは顔を上げた。
「その人たちが、倒すんですか?」
「そうです。討伐されれば、濁りは浄化され、魔石が残ります」
「……そういえば、リーネの町で見た魔獣は、ゲートへ戻っていったんです」
「そうなんですね」
「倒されずに戻ることもあるんですか?」
「はい。あの方が呼び戻したのかもしれませんね」
ルナは頷いた。
送り出された魔獣が、すべて討伐されるわけではない。
それでも、世界中で濁りを清めるために、魔獣を送り出し続けている。
「魔石は人々の暮らしを支えます。ダンジョンのない土地でも、魔獣を倒すことで手に入れられるんですよ」
ルナは、旅で見た道具を思い浮かべた。
携帯灯。
魔力を蓄える道具。
魔法を使えない人の暮らしにも役立っているもの。
それらを作る技術も、長い時間をかけて発展してきたのだろう。
「人々は、魔獣の危険に備えて道具を作り、町を守る方法を考えてきました」
女性の声は穏やかだった。
「その積み重ねが、今の文明につながっている面もあるんです」
ルナは手帳を閉じた。
「……町の人たちは、みんな戦えるわけじゃありません」
「そうですね」
「小さな子だっているんです」
リーネの町で出会った男の子を思い出した。
あの子は、魔獣と戦うために外へ出ていたわけではない。
ただ、町で暮らしていただけだった。
「ダンジョンがないところにも魔獣を送る理由は、分かりました」
ルナは女性を見つめた。
「でも、だからって、人が暮らしている町にまで送る必要があるんですか?」
女性は少しも動じなかった。
「私たちが考えているのは、世界全体の循環です」
「世界全体……」
「はい。そこが人の町なのか、そうでない場所なのか。それは、私たちにとって大きな違いではありません」
ルナは眉を寄せた。
「……でも、そこで暮らしている人には、大きな違いです」
「そうですね」
女性は静かに頷いた。
「だから人々は、町を守る方法を考え、力を合わせてきたのでしょう」
ルナは口を閉じた。
目の前の女性は、嘘をついているようには見えない。
魔獣が必要な理由も、ダンジョンだけでは足りない理由も、説明してくれた。
それなのに。
町の人が危険にさらされることについては、少しも考えを変えない。
「……あなたは」
ルナは、女性の顔を見た。
「ずっと、この役目をしているんですか?」
「はい。長い間、続けています」
若く見える女性だった。
けれど、世界を巡るマナを知り、魔獣を召喚し続けている。
ゲートを使う男も、この島で役目を果たしていると言っていた。
二人の言葉が、重なる。
「あの……もしかして、あなたも十二災神なんですか?」
女性は驚かなかった。
「はい。そうですよ」
ルナは息を呑んだ。
マグナスが話してくれた、神話級の存在。
その一人が、目の前にいる。
「……あの男の人も、十二災神でした」
「ゲートを使う方ですね」
「はい」
「よく知っていますよ。あの方は魔獣たちを各地へ送り出し、私はここで召喚しています」
ルナは二人の十二災神を思い浮かべた。
魔獣を送り出す男。
魔獣を生み出す女性。
二人の役目は、つながっていた。
ルナは足元を見た。
召喚されたばかりの小さな魔獣が、草を食べ終えて森の方へ歩いていく。
あの魔獣も、いつかどこかへ送られるのだろう。
ダンジョンかもしれない。
人の町かもしれない。
「……理由は、分かりました」
ルナは顔を上げた。
「ダンジョンだけじゃ追いつかないことも、魔石が人の役に立つことも」
「はい」
「でも、魔獣を送り出す場所を決めているのは、あなたたちなんですよね」
「そうですね」
「そこに住んでいる人たちは、何も知らないかもしれないのに」
女性は黙って聞いていた。
ルナは長杖を握り直した。
理解は、できた。けれど、その仕組みの中で危険にさらされる人たちは、何も選べない。
「……世界のために必要だからって」
ルナは女性をまっすぐ見つめた。
「そこに暮らしている人たちが、危険を受け入れなきゃいけないんですか?」




