第5章 第14話 坂の上の門
坂道は、森の奥へ続いていた。
石畳の上には土が積もり、木の根がところどころで道を横切っている。
ルナは長杖で足元を確かめながら上った。
湿った土には、魔獣の足跡が残っていた。
大きなもの。それより小さなもの。爪の形が違うものも混じっている。
「……一種類じゃないんだ」
ルナはしゃがみ、近くにある二つの跡を見比べた。
片方は、広場で見た魔獣のものに似ている。もう片方には、細い爪の跡が三本残っていた。
顔を上げると、道の先で枝が揺れた。
ルナは杖を握り直し、少し待った。
茶色い毛に覆われた、小さな魔獣が現れる。
四本の脚で石畳を歩き、途中でにゃん吉君を見上げた。
「ワン!」
魔獣は首を傾けた。
それから、ルナたちの脇を通って坂を下っていった。
ルナは後ろ姿を見送り、道へ目を戻した。
今ついた小さな足跡が、大きな足跡の間に並んでいた。
*
坂を上り切ると、急に視界が開けた。
「……わあ」
目の前には、木々に囲まれた広い草地があった。
その中に、魔獣たちがいた。
草を食べるもの。木陰で身体を休めているもの。何匹かで歩く姿もある。
ルナは木の陰で足を止めた。
「こんなにいるんだ」
背の高い魔獣が首を下げ、その隣では小さな魔獣が地面を掘っている。
草地の端には、水のたまったくぼみがあった。
一匹が顔を上げて離れると、近くにいた別の魔獣がそこへ近づく。
争う声は聞こえなかった。
ルナは手帳を取り出しかけ、やめた。先に、周囲を確かめておきたかった。
「ここでは、静かに暮らしているようですね」
「うん」
ルナは頷いた。
リーネの町で見た光景とは、あまりに違っている。
そのとき、草地の奥で、大きな魔獣が立ち上がった。
近くにいた二匹も、同じ方向へ顔を向ける。
「……何?」
三匹は、草地の中央へ歩き始めた。
そこだけ草がなく、地面が平らに踏み固められていた。
ルナは目を凝らした。
土の上に、いくつもの足跡が重なっている。
中央へ向かう跡はある。けれど、そのまま向こうへ抜けていく跡は、ここからでは見えなかった。
「あそこ、もう少し近くで見たい」
ルナはユニと並び、草地の端を回った。
*
平らな地面の手前に、一匹の魔獣が立っていた。
その後ろへ、別の魔獣が近づく。
ルナは足元から、その先へ視線を移した。
「……どこへ行くんだろう」
空間に、黒い線が走った。
ルナは息を呑んだ。
線が上下へ広がり、何もなかった場所に裂け目が開いていく。
「ゲート……!」
リーネの町で見たもの。そして、先ほど十二災神の男が使ったものと、同じ黒い裂け目だった。
魔獣たちは驚かなかった。
最初の一匹が近づき、向こう側を覗く。
ルナも、その先を見た。
石畳の道。
建物の壁と、その上に並ぶ屋根。
「……町?」
道の奥で、布のようなものが揺れている。
その下を、人影が横切った。
ルナの手に力が入る。
最初の魔獣がゲートへ踏み込んだ。
大きな身体が、向こう側の道へ現れる。
「……待って!」
ルナは一歩、前へ出た。
後ろにいた魔獣が顔を向ける。その間にも、最初の一匹は建物の陰へ進んでいた。
あの道には、人がいた。
今、魔獣と出会うかもしれない。
「ユニちゃん、あの町の人たちが……!」
ルナは振り向いた。
「あの魔獣、誰かを襲わないかな」
リーネの男の子の姿が浮かんだ。
ここで穏やかだったからといって、大丈夫だとは言えなかった。
「確かめてきます」
ユニはルナの頭上を見た。
「にゃん吉君、ルナをお願いします」
「ワン」
ユニはまだ開いていたゲートへ踏み込み、向こう側の町へ渡った。
黒い裂け目が細くなる。
ひび割れるような音がして、ゲートは閉じた。
残された魔獣は、しばらく何もない場所を見つめていた。
やがて向きを変え、草地へ戻っていった。
ルナはその場で待った。
草地では、大きな魔獣がゆっくりと首を動かしている。
さっきまで見えていた町は、もうどこにもない。
ルナは長杖を握り、何もない空間から目を離さなかった。
しばらくして、ユニが隣へ戻ってきた。
「ユニちゃん!」
「怪我をした方はいませんでした。魔獣は、私たちが降りた島の浜へ戻しました」
「……よかった」
ルナは、詰めていた息を吐いた。
「ありがとう」
「はい」
ユニの向こうで、一匹の魔獣が草を噛み取っていた。
ルナは、その姿を見た。
あの男は、本当にここから町へ送り出している。
聞いたときには、まだ遠い話のようだった。
今は、ゲートの向こうを横切った人の姿が、目に残っていた。
*
「ユニちゃん。今のゲートも、あの人が開いたのかな」
ルナは草地を見回した。
十二災神の男の姿はない。
魔獣を送り出していると言ったのは、あの男だった。けれど、今のゲートをどこから開いたのかは見ていない。
「ここは、送り出す場所の一つなんだね」
「そうですね」
ルナは平らな地面を見た。
そこへ集まっていた魔獣は、もう草地へ散っている。
「さっきの一匹を戻しても、また町へ送られるのかな」
長杖を持つ手に、力が入った。
「どうして町なのか、ちゃんと知りたい。ただ役目だからって言われても、納得できないよ」
ユニはルナの言葉を聞き、頷いた。
草地の奥で、枝が揺れた。
木々の間の細い道から、一匹の魔獣が出てくる。
そのまま木陰へ進み、身体を伏せた。
ルナは、魔獣が来た道へ目を向けた。
「あの人、島の奥で召喚されるって言ってたよね」
「はい」
「この子たちが、どこから来るのかも見てみたい」
今見たのは、ゲートを通って出ていくところだった。
島に現れるところは、まだ見ていない。
「あの道を、もう少し進んでもいい?」
「はい。行きましょう」
ルナはユニと一緒に、草地の端を歩いた。
木陰の魔獣は顔だけを上げ、二人を見送った。
*
森へ入ると、木々が視界を覆った。
足元には、魔獣の足跡が続いている。
坂道よりも草が少なく、土が広く露出していた。道の脇には、低い位置で折れた枝もある。
ルナは足を止めた。
先ほど草地へ出てきた魔獣も、ここを歩いたのだろう。
道の先を見ようとしたとき、声がした。
「魔獣の足跡を追ってきたんですか?」
ルナは振り向き、長杖を持ち直した。
少し離れた木の下に、一人の女性が立っていた。
若い女性だった。髪の間から、小さな角が覗いている。
魔人のような姿だった。
「驚かせてしまいましたね」
女性は穏やかに言った。
「すみません。こんなところで人に会うのは、珍しいものですから」
ルナはユニを見た。
ユニは落ち着いた様子で、女性へ目を向けている。
頭上で、にゃん吉君が小さく鳴いた。
「ワン」
女性はにゃん吉君を見上げ、それからルナへ視線を戻した。
「魔獣たちのことを、何かお調べなんですか?」
ルナは、草地に開いたゲートを思い出した。
その向こうの町。道を横切った人。
ルナは女性へ向き直った。
「……はい」
ルナは長杖を持ったまま答えた。
「さっき、魔獣がゲートを通って、人の町へ行くところを見ました」
女性は静かに聞いていた。
「……あなたが、あのゲートを開いたんですか?」
「いいえ。ゲートを開くのは、別の方のお仕事です」
「別の方……?」
「はい。私には、別の役目があります」
女性の声は穏やかだった。
「どうして、魔獣を人の町へ送るんですか。あなたは、その理由をご存じですか?」
女性は小さく頷いた。
「それなら、少しお話ししましょうか」
森の向こうから、魔獣たちの足音が聞こえていた。




