第1章 第11話 森から逃げるもの
宿へ戻ったあとも、森のことが頭に残っていた。
草原で出会った魔物は、ルナたちを襲おうとはしなかった。こちらにはほとんど目も向けず、林の方を何度も振り返りながら逃げていった。
そのあとギルドへ戻ってきた冒険者も、同じような話をしていた。
一匹だけではなかった。
それでも、ルナにできることが急に増えたわけではない。
*
翌朝。
ルナは宿の部屋で身支度を整えた。
着替え。
水。
食料。
地図。
財布。
そして、長杖。
必要なものを確認してから、荷物を背負う。
「今日はどうしますか?」
ユニが尋ねた。
「ギルドへ行く」
「はい」
「昨日のことも気になるし」
そこまで言ってから、ルナは首を振った。
「……でも、森には行かないよ」
「はい」
「何があるか分かってないから」
「そうですね」
「ギルドなら、何か分かってるかもしれない。それに――」
ルナは自分の登録証を見る。
Eランク。
「今日受けられる依頼も見たい」
「はい」
「昨日、一回成功しただけだからね」
「そうですね」
「もう少し褒めてもいいと思うけど」
「昨日、褒めました」
「今日も褒めていいんだよ?」
「そうですか」
「そうなの」
「ワン」
「にゃん吉君は分かってくれる?」
「ワン」
「よし。二対一」
「何の勝負ですか?」
「知らない」
そんな話をしながら、ルナたちは宿を出た。
*
朝のセレナは、すでに動き始めていた。
店先へ商品を並べる人。
荷車を引く人。
焼きたてのパンを店へ運ぶ子供。
昨日と変わらない町の朝だった。
「……普通だね」
「何がですか?」
「昨日、あんな話があったから、もっと騒ぎになってるのかなって思ってた」
「まだ何が起きているか分かっていません」
「そっか」
魔物が森から逃げている。
それだけで、町の暮らしがすべて止まるわけではない。
パン屋はパンを焼く。
店は開く。
人は仕事へ向かう。
昨日までと同じ朝が続いている。
そのことが、少し不思議だった。
*
冒険者ギルドへ入る。
「……あれ?」
昨日とは少し様子が違った。
受付の近くに何人かの冒険者が集まり、壁には新しい注意書きが貼られている。
ルナも近づいて、その内容を読んだ。
――西側森林周辺において、魔物の移動が複数確認されている。
「やっぱり……」
原因は現在調査中。
西側森林へ立ち入る依頼の一部を、一時的に停止。
森林付近を通る者は、十分に注意すること。
「依頼、止めるんだ」
「はい」
「昨日は、まだ何とも言えないって言ってたのに」
「情報が増えたのでしょう」
「そっか……」
昨日、ルナが見た一匹。
そのあと戻ってきた冒険者の報告。
さらに夜の間にも、情報が入ったのかもしれない。
「ちゃんと変わるんだね」
「何がですか?」
「ギルドの判断」
ルナは注意書きを見る。
「昨日は分からなかった。でも、分かったことが増えたから、今日は止める」
「はい」
「……そういうものなんだ」
分からないうちから決めつけない。
けれど、分かったことが増えれば、判断を変える。
昨日、自分が森へ行かなかったことと、少しだけ似ている気がした。
*
「あ、おはようございます」
受付から声をかけられた。
昨日、薬草を確認してくれた受付の女性だった。
「おはようございます」
「昨日は報告ありがとうございました」
「いえ……」
ルナは注意書きへ目を向ける。
「やっぱり、ほかにも出たんですか?」
「はい。昨日の夕方から夜にかけて、似た報告がいくつか入りました」
「魔物が逃げていた?」
「そうです」
「何から?」
「それは、まだ分かっていません」
「……そっか」
やはり、そこはまだ分からない。
「誰か調べに行くんですか?」
「今朝、調査依頼を出しました」
「調査依頼?」
「森の様子を確認し、分かったことを持ち帰ってもらう依頼です」
「誰でも受けられるんですか?」
「いいえ。今回はCランク以上の冒険者に限定しています」
「Cランク……」
ルナは自分の登録証を見る。
Eランク。
二つ上だ。
「戦うため?」
「いいえ。今回の目的は、あくまで状況の確認です。ただ、何が起きているか分かりませんから」
「そっか……」
依頼を受ける。
薬草を採る。
荷物を運ぶ。
それだけではない。
まだ分からないものを調べ、情報を持ち帰る。
そんな依頼もあるのだ。
「じゃあ、私は受けられない」
「はい」
受付の女性は、はっきりと答えた。
「今は森へ行かないでください」
「……はい」
それから受付の女性は、ルナの隣へ視線を移した。
「それと、ユニさん」
「はい」
「もし可能でしたら、今回の調査に協力していただけませんか?」
「すでに、調査へ向かった人がいます」
「はい。ただ、状況が分からない以上、備えは多い方が――」
ユニは少しだけ考えた。
「今は、待ちます」
「……分かりました」
「必要になれば、もう一度呼んでください」
「はい。その時は、改めてお願いします」
ルナは二人のやり取りを聞きながら、ユニを見た。
Sランク昇格特別試験の候補者。
昨日知ったばかりのその立場が、こういう時に何を意味するのか、ほんの少しだけ分かった気がした。
依頼を受けるだけではなく、こうして頼られることもある。
自分とは、まだ違う。
だからといって、ルナまで森へついていけるわけではない。
ルナはもう一度、自分の登録証を見る。
Eランク。
今、自分にできることは別にある。
「私にできる依頼を探します」
「それがいいと思います」
*
依頼掲示板を見る。
西側森林に関係する依頼には、受付停止を示す印がついていた。
薬草採取。
木材の確認。
森林近くの道を使う荷物運び。
いくつもの依頼が受けられなくなっている。
「じゃあ……」
残っているEランク依頼を見る。
町の清掃。
店の手伝い。
荷物運び。
その中で、一枚の依頼書が目に留まった。
「これ……」
町の東側にある農園への荷物運び。
小麦粉。
乾燥豆。
塩。
そのほかの日用品。
「東なら、森と反対だね」
「はい」
荷物はギルド近くの商店で受け取り、町の東門から農園まで運ぶ。
距離もそれほど遠くない。
Eランク対象。
「昨日は薬草だったから、今日は荷物運び」
「はい」
「地味かな?」
「どう思いますか?」
「……またそれ?」
「はい」
ルナは依頼書を見て、少し考えた。
「ううん」
首を振る。
「誰かが必要だから、依頼になってるんだよね」
「はい」
「じゃあ、地味とか関係ないか」
ルナは依頼書を掲示板から外した。
「これにする」
*
受付で手続きを済ませ、指定された商店へ向かった。
「いらっしゃい」
「ギルドの依頼で来ました」
「ああ、農園行きの荷物だね」
店の奥から、いくつもの荷物が運ばれてくる。
「……結構ある」
小麦粉の袋。
乾燥豆。
塩。
そのほかの日用品。
ルナは一つ持ち上げてみた。
「重っ」
「大丈夫かい?」
「だ、大丈夫です」
「無理なら、二回に分けてもいいよ」
「……」
ルナは荷物を見る。
一度で全部運べないことはない。
けれど、かなり重い。
少しくらい無理をしてでも、一度で運んだ方が早い。
そんな考えが一瞬浮かんだ。
「二回にします」
「その方がいいね」
「はい」
無理をして、途中で動けなくなったら意味がない。
できることと、できないこと。
それを考えるのも、冒険者の仕事なのかもしれない。
*
一回目の荷物を背負う。
「……重い」
「先ほども言っていました」
「言いたくなるくらい重いの」
「そうですか」
「ユニちゃん、少し持つ?」
「ルナの依頼です」
「ですよね」
「ワン」
「にゃん吉君は?」
「ワン」
「……聞いた私が悪かった」
ルナは笑いながら、長杖を地面についた。
半年間、歩くためにも使えるよう練習してきた。
荷物が重い今日は、いつもよりそのありがたさが分かる。
「よし」
ルナたちは東門へ向かった。
*
町を出る。
昨日とは反対側。
西には、あの森がある。
けれど、今日向かうのは東だ。
緩やかな丘。
その先に広がる畑。
空は晴れ、風も穏やかだった。
「昨日とは全然違うね」
「そうですね」
「こっちは平和」
「今のところは」
「そういうこと言わないでよ」
「事実です」
「分かってるけど」
荷物が重い分、昨日より歩く速さは遅い。
けれど、急ぐ必要はない。
途中で一度休み、道の邪魔にならない場所へ荷物を下ろす。
「肩が痛い……」
「少し休んだ方がいいです」
「うん」
水を飲み、肩を揉む。
「荷物運びって、もっと簡単だと思ってた」
「運ぶだけです」
「その『だけ』が大変なの」
「そうですね」
「分かってるなら、最初から言ってよ」
「聞かれませんでした」
「……それ、便利だね」
「そうですか?」
「絶対便利」
ルナは少し笑った。
*
農園へ着いたのは、昼前だった。
「こんにちは!」
声をかけると、畑の向こうから一人の女性が歩いてきた。
「ああ、ギルドから?」
「はい。荷物を持ってきました」
「助かるよ」
荷物を渡し、女性が中身を確認する。
「小麦粉。豆。塩……うん、問題ないよ」
「よかった」
ルナは肩を回した。
「まだ半分あります」
「二回に分けたのかい?」
「はい」
「それがいいよ。無理して落とされた方が困るからね。粉物なんて、袋が破れたらそれだけで駄目になる」
「……ですよね」
少しだけ嬉しかった。
楽をしたわけではない。
荷物をきちんと届けるために選んだ。
それでよかったらしい。
「じゃあ、もう一回行ってきます」
「ああ。急がなくていいからね」
「はい!」
*
セレナへ戻り、東門が見えてきた頃。
ルナは、何となく違和感を覚えた。
「……あれ?」
門を守る衛兵たちが、慌ただしく言葉を交わしている。
町へ入る人。
町から出ようとする人。
その確認も、行きに通った時より明らかに厳しくなっていた。
何人かの冒険者も集まり、東門の衛兵たちまで警戒している。
「何かあったのかな」
ルナは少しだけ歩く速度を上げた。
近づくにつれて、途切れ途切れに話が聞こえてくる。
「西門を閉じるって?」
「まだ完全にじゃないらしい」
「でも、街道でまた出たって――」
ルナの足が止まる。
「西門……?」
西側で何かが起きた。
その知らせが、もう東門にまで届いている。
昨日、魔物が逃げてきた。
今日、ギルドが森林周辺の依頼を止めた。
そして今、町の西側でまた何かが起きている。
ルナは人混みの向こうを見る。
一人の冒険者が、衛兵へ何かを話していた。
服は泥で汚れ、息も荒い。
その男の声が聞こえた。
「森の中じゃない」
ルナは息を止める。
「もう、森の外まで出てきてる」
「何がですか?」
衛兵が尋ねた。
男は一度だけ、西の方を振り返った。
「魔物だよ」
周囲がざわつく。
「一匹や二匹じゃない。何十匹もだ」
ルナは昨日見た、あの一匹を思い出した。
こちらを襲おうともせず、ただ何かから逃げていた魔物。
あれが、一匹ではなく何十匹も。
森から逃げてきている。




