第5章 第9話 ユニVS十二災神
枝の揺れが止まっても、ルナは森から目を離せなかった。
リーネの町で、男の子に飛びかかった一体。閉じかけたゲートへ戻っていく背中も、確かに見た。
「どうして、ここに……」
「あの魔獣を知っているのかい?」
振り向くと、森の縁に男が立っていた。
三十代か、四十代か。仕立てのよい上着には、泥のはねひとつない。根や石を避けて浜へ下りてくる足取りは、散歩の途中のようだった。
近くの魔獣が、男の脇を通り過ぎる。男はそれを一度だけ目で追い、ルナたちへ顔を戻した。
「初めまして。珍しい客人だね」
「あなたは、ここに住んでいるんですか?」
「この島を担当している。十二災神の一人だよ」
十二災神。
マグナスは、黒龍よりも上の脅威だと言った。
ルナは杖を握り直した。目の前の男は、穏やかな顔のままだった。
男の視線が、ルナの隣で止まる。
ユニを見つめ、ゆっくりと目を細めた。
「なるほど。君が、あの力の主だったのかな」
「何のことですか?」
「以前、随分と遠いところから、今まで感じたことのない力が届いてね」
男は少し首を傾けた。
「島の外へ出ることもあるけれど、各地の出来事には詳しくなくてね。ただ、あの力だけはよく覚えているんだ。……君は、何者なんだい?」
「ユニ・N・スターチスです。冒険者をしています」
「ユニ君か。初めて聞く名前だ」
視線がルナへ移る。
「それで、何を探しに来たんだい?」
「双岬泊という、古い港です。この島から帰った人の記録も読んで……」
「帰った人?」
ルナが頷くと、男は黙った。何かを量るように、もう一度ユニを見る。
「話の前に、君の力を確かめさせてほしい」
「……戦うんですか?」
「そうなるね。これほどの力の持ち主を、何も知らずに島の奥へ迎えるわけにはいかない」
ユニが男へ向き直った。
「分かりました」
「ユニちゃん」
「ルナ。私と一緒に来てください」
男は森を見回した。
「場所を変えよう。彼らを巻き込みたくはないからね」
片手が上がる。
何もない空間に、黒い裂け目が走った。その内側に岩山と乾いた大地が覗く。
リーネの町で見たものと、よく似ていた。
男が先にくぐる。ルナはユニを見て頷き、後に続いた。頭上のにゃん吉君も、離れなかった。
*
乾いた風が、頬を撫でた。
見渡す限り、岩と砂だった。遠くに崖が連なり、その手前に広い平地がある。魔獣の気配は、どこにもない。
「君たちは、あちらから見ていてくれるかな」
男が示したのは、平地を見下ろす高台だった。
ユニはルナを抱え、平らな足場へ下ろした。
「ここで待っていてください」
「うん。気をつけてね」
「はい」
白銀の髪が、風に流れる。ユニは平地へ下りていった。
男は、ユニが向かい合う位置に着くのを待っていた。
「では、少し確かめさせてもらおうか」
男がユニを見つめる。
短い沈黙があった。
ルナの目には、何も起きなかったように見えた。ユニは同じ場所に立っている。白銀の髪も、青いコートも、風に揺れているだけだった。
「……ほう」
男の目が、わずかに開く。すぐに、口元が緩んだ。
「これは興味深い。では、次はこちらだ」
男の背後に、黒い裂け目がいくつも開いた。左右へ、頭上へ。円い口を開けたゲートが、男の姿を取り囲んでいく。
その奥で、刃が光った。
*
最初の剣が、裂け目から飛び出した。
ユニが片腕を上げる。弾かれた刃が宙で跳ね、そこへ別の裂け目から炎が噴き出した。青い影が、炎の横へ滑る。その先にも、もう一つ。
雷が地面を走り、辺りが白く染まる。光が消えたあとの地面には、長い割れ目が残っていた。
「……あんなに」
空にも、新しい裂け目が開く。拳ほどの赤い石が、尾を引いて降ってきた。ユニのいた辺りへ落ち、砂と破片が噴き上がる。
その端に、青い裾が見えた。
男が指先を動かす。跳ねていた剣の先で、裂け目が口を開いた。刃は吸い込まれ、次の瞬間、ユニの背後から同じ刃が飛び出す。
「後ろ!」
声は、爆ぜる音に消された。
ルナは目を凝らした。吸い込まれた刃と、現れた刃。その間を、目でたどれない。男は最初の場所から、ほとんど動いていなかった。
アメリアの白い双剣が、頭に浮かぶ。右の剣に炎、左の剣に水。蒸気の中でも、踏み込みを止めなかった。けれど今は、踏み込もうとした先に、別の攻撃の出口が開く。受けた先にも、また出口がある。
ネイなら。
止めておいた光を、あとから背後で動かしていた。《零刻領域》では、砂も、風も、光も止まった。
けれど、あの領域には範囲があった。今は遠くの崖にも、頭上にも、数えきれないほどの出口が現れては消えている。
どこを止めれば、この攻撃が終わるのだろう。
そのとき、ルナは気づいた。
炎も剣も、でたらめに出てくるのではない。ユニが動こうとする先へ、先へと、出口が置かれている。
出口を選んでいるのは、あの男だ。
「ユニちゃん!」
ルナは叫んだ。
「動く先に、先回りしてゲートを開いてる!」
砂煙の向こうで、青い影が、ほんの一瞬だけ、こちらを向いた気がした。
男の目も、高台へ流れる。
「なるほど。高台の君も、よく見ているね」
穏やかな声のまま、男はまた手を動かした。
*
「近くでは、どうかな」
男の前に、裂け目が開く。姿が消えた。
次に見えたのは、ユニのすぐ前だった。
拳が振り抜かれる。青い袖が動いたところで、足元の石が弾けた。砂煙が二人を隠し、その向こうで崖の壁面が崩れる。
崩れる壁の前に、ユニの姿があった。
「ユニちゃん!」
青い影が壁を離れ、男へ向かう。腕を伸ばす。その前に、黒い円が開いた。
拳が、見えなくなる。遠くの崖が、轟音とともに裂けた。
「速いね」
男の声は、もう別の場所から聞こえる。ユニの背後。蹴りが振り抜かれ、ユニの腕が上がる。二人の間に、深い溝が走った。
男は裂け目へ一歩踏み込み、また距離を消す。拳。横から剣。ユニが位置を変えれば、そこにも男が現れる。
ルナは二人を追おうとした。けれど目を向けるたび、砕ける破片と光が視界を遮る。青い影だけが、遠くへ、上へ、反対側へ移っていく。
ユニが近づいても、腕を伸ばしても、男はいつも別の場所にいる。
ルナには、ユニが押されているようにしか見えなかった。
「これほど続けられるとは、思わなかったよ」
男が空へ昇る。息の乱れは、声のどこにもない。
空の裂け目が、一つずつ閉じていく。
最後の裂け目が閉じるとき、ひび割れるような音がした。
リーネの町で聞いたのと、同じ音だった。
辺りに、風の音が戻る。ルナはユニを探した。割れた地面の向こうに、立っている。遠くて、顔までは見えなかった。
「では、最後に」
男が片手を上げた。
*
空に、光の線が走った。
大きな円。その外側に、さらに円が重なっていく。さっきまでの裂け目とは違った。平地を覆うほどの魔法陣が、ゆっくりと形を結ぶ。
中心へ光が集まる。遠くの山まで白く照らされ、ルナの影が足元へ縮んだ。
「君には、どこまで届くだろうね」
ユニが空を見上げた。男と、向かい合う。
光が落ちた。
青い姿が、見えなくなった。
「ユニちゃん!」
轟音が、声をかき消した。ルナは身をかがめ、杖を握り締める。視界の端で、崖が崩れていく。土煙が高台へ押し寄せ、ルナの手前で左右に割れて、両脇を過ぎていった。
白い。何も見えない。
やがて光が弱まり、土煙の向こうに、崖の輪郭が戻ってきた。
ルナは立ち上がり、ユニのいた場所を探す。
そこには、地面がなかった。
巨大な穴が、暗い口を開けている。縁は遠く、崩れた石が壁を削りながら落ちていく。その音も、途中で聞こえなくなった。
「……ユニちゃん?」
白銀の髪も、青いコートも、見えない。
ルナは一歩踏み出しかけ、足を止めた。
ここで待っていてください。
ユニの言葉が、耳の奥に残っている。
「ユニちゃん!」
返事はない。
どこかから出てくるはずだった。あのときのように。何でもない顔で、一歩、前へ。
けれど、土煙が薄れても、青い姿は戻らなかった。
男がゆっくりと地上へ下りた。穴の縁に立ち、暗い底を見下ろす。
「これほどの相手は、私も初めてだったよ」
穏やかな声が、高台まで届いた。
男がこちらを向く。
「さて」
口元に、先ほどと同じ微笑みが浮かぶ。
「次は君たちだね」




