第5章 第6話 水面の下の板
造船場の朝には、港とは違う音があった。
木を打つ音。綱を引く人たちの掛け声。どこかで水が跳ねる音もする。
昨日の船を見つけたルナは、思わず足を止めた。
「……大きい」
船は、斜めになった木の台に載せられていた。太い木材が船体を支え、その下には作業用の足場が組まれている。
水に浮かんでいたときには見えなかった船底が、目の前にあった。
「昨日より、大きく見えるね」
「はい。下まであります」
「そうだね。今まで隠れてたんだもんね」
船底の一部には、小さな貝殻が付いていた。
にゃん吉君が、その一つへ顔を近づける。
「にゃん吉君、それはお菓子じゃないよ」
「ワン」
ルナが笑っていると、後ろから声がした。
「来たか」
ロークの隣に、道具箱を抱えた男が立っていた。
「船大工の親方だ。今日はこの人に見てもらう」
「よろしくお願いします」
ルナが頭を下げると、親方は短く頷いた。
「まず外側だ。見たいところがあるなら言ってくれ」
ルナは、色の違う板を指した。
「あの板の下を見たいんです。昨日、帳面にも書いてあったところで」
「なら、こっちだ」
親方が船の横へ歩き始める。
ルナは、その後ろについていった。
*
水面の下にあった板には、ところどころ海藻が残っていた。
親方が板を叩くと、乾いた音が響く。隣の板も叩き、継ぎ目を確かめていく。
ロークは修理の帳面を開いていた。
「上から三枚目までは、記録と合っているな」
ルナも、そのページを覗き込んだ。
昨日確かめた板の続きが、今は下まで見えている。
その先に、短い板が一枚入っていた。
「あれ?」
ルナは帳面と船体を見比べた。
板の色が周りと違う。継ぎ目の位置も、隣の板とは揃っていない。
けれど、帳面には、そのあたりを直した記載が見当たらなかった。
「ロークさん」
「何だ?」
「この板、帳面に書いてありますか?」
ルナは短い板を指した。
「上の板は書いてあります。でも、その下は……」
ロークがページをめくる。
一枚戻り、もう一度確かめてから、船底へ目を上げた。
「見当たらんな」
親方が、指された場所へ屈み込んだ。
木槌で二度叩き、板の継ぎ目を調べる。
「こいつも、一度取り替えてあるな」
「やっぱり、そうなんですね」
「ああ。ただ、いつの仕事かは分からん」
親方が、継ぎ目の古い詰め物を道具の先で押した。
一部が崩れた。
「ここは詰め直しが要る。それだけで済むかは、もう少し見ないと分からん」
「船の中に、水が入るんですか?」
「隙間が広がればな。長い航海に出すなら、放っておけん」
親方はその場所に印を付け、隣の板も調べ始めた。
ルナは邪魔にならないよう、一歩下がった。
*
しばらくして、船主が造船場へやってきた。
ロークから説明を受けると、自分でも船底を見上げた。
「この板か……」
「ご存じでしたか?」
「いや。俺が買ったときには、もうこの状態だった」
船主は、ロークが持つ帳面へ目を向けた。
「今あるのは、俺が買ってからの修理の記録が中心だ。それより前のものは、全部は引き継いでいない」
「そうだったんですね」
「隠していたわけじゃないぞ。聞かれても、俺には分からん」
「はい。分からないなら、確かめたいです」
船主はルナを見てから、親方へ向き直った。
「それで、どのくらいの修理になる?」
「板を二枚取り替えたい。継ぎ目も詰め直す。船内側からも見て、周りに傷みがないか確かめる」
「直せるのか?」
「今見えている範囲ならな」
ロークも船底を見上げた。
「帆と舵は?」
「午後に調べる。全部見たところで、費用も出そう」
ルナは、印の付いた板へ目を向けた。
昨日の値札を思い出す。自分の手持ちとユニの賞金を合わせても、修理や船員の費用まで足りるかは、まだ分からない。
「あの、修理の金額を聞いてから、買うか決めてもいいですか?」
船主は腕を組んだ。
「昨日は、今日の点検まで待つと言った。ほかにも買いたいと言っている客はいる」
「はい」
ルナは返事を待った。
「ただ、見つかった修理の話を抜きにして、値段を決めるのも気が進まん。明日の昼までは待とう。俺も親方の見積もりを聞いておく」
「ありがとうございます」
「礼はまだ早いぞ。修理代を全部、売値から引けるとは限らんからな」
「分かっています。そこも相談させてください」
船主は頷き、親方と修理箇所を確かめに行った。
*
「ルナ。この船、どうしますか?」
ユニが隣へ来た。
ルナは船底を見上げた。
「直せるなら、買いたい気持ちはあるよ。でも、修理にたくさんかかるなら、別の船も考えたい」
「そうですね」
「ユニちゃんは?」
「寝る場所は気に入っています」
「私も。にゃん吉君も、もう寝てたし」
「ワン」
にゃん吉君が、二人の間へ降りてきた。
「でも、別の船を選ぶことになっても、また一緒に見ましょう」
ユニの言葉に、ルナは頷いた。
「うん。そのときは、にゃん吉君も一緒に選んでね」
「ワン」
「寝心地以外も見てよ?」
ユニが少し笑った。
*
午後、帆と舵の確認が終わると、親方は見積もりの紙を広げた。
「船底の板は二枚取り替える。内側も見たが、周りに大きな傷みはなかった。帆と舵にも手を入れるところはあるが、修理できる状態だ」
親方の指が、紙の上を順に動く。
材料。作業。それに、船を陸へ上げておく間の造船場の費用。
ルナは最後の金額まで目を通した。
「作業には何日かかかるぞ。船主と話がまとまったら、頼むかどうか知らせてくれ」
ロークが紙を受け取り、内容を確かめる。
「船主にも、この見積もりを見てもらおう。明日は船体の値段と合わせて相談だ」
「はい」
ルナはユニと顔を見合わせた。
昨日決めたとおり、二人で出せるお金と、これから必要になる費用を並べて考えたい。
「それから、乗組員のことだ」
ロークの言葉に、ルナは顔を上げた。
「話だけなら聞くと言っている船乗りが、一人いる」
「本当ですか?」
「ああ。まだ引き受けるとは言ってない」
ロークが続けた。
「行き先を隠して人を乗せるわけにはいかん。死海の手前までだとしても、あの海に近づくと聞けば、断る奴もいるだろう」
「私からも、ちゃんと話したいです」
「怖がらせるかもしれんぞ」
「それでも、知らないまま乗ってもらうのは嫌です」
ロークはルナを見て、頷いた。
「なら、あの島へ行きたい理由も話してやってくれ」
「はい」
「明日、船の値段の話が済んだら会いに行こう。俺が船長を引き受けるかどうかも、そのあとで決める」
ロークは、親方へ見積もりの内容をもう一度確かめてから、その紙をルナへ渡した。
ルナは受け取り、数字の並んだところを見直した。
「ユニちゃん。宿で、一緒に計算しよう」
「はい」
紙をしまい、ルナは船底を振り返った。
親方が付けた印が、足場の向こうに見える。
あの板を直して、この船で海へ出るのか。
船主へ返事をするまで、あと一晩だった。




