第5章 第5話 船を選ぶ日
翌朝、ルナたちは港へ向かっていた。
昨日と同じ通りなのに、朝の港は少し違って見える。店先には魚の入った木箱が積まれ、荷車を押す人たちの声が飛び交っていた。
「ユニちゃん、まずは商会の窓口だよね」
「はい。賞金を受け取ります」
「ワン」
にゃん吉君が、ユニの頭上で元気よく鳴いた。
「昨日の小さな船、速かったね」
「はい。ルナも楽しかったですか?」
「うん。すごく」
ユニは、手にした証書の端をそっと押さえた。
ルナは隣を歩きながら、金色の船が向こう岸へ着いた瞬間を思い出していた。
*
商会の窓口では、係員が証書の紋章と番号を確かめた。
「模型船の競走ですね。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
ユニが答えると、係員は奥から革袋を持ってきた。
受け取ったユニに見せてもらい、ルナも少し持ち上げてみる。
「……お金って、こんなに重いんだ」
「船は、もっと重いですよ」
「それはそうだけど」
ルナは笑って、袋をユニへ返した。
窓口を出ると、港の船が昨日より近く見えた。
「今日は、本物の船を選ぶんだね」
「はい」
「まずは、ロークさんに見てもらおう」
*
ロークは昨日と同じ岸壁にいた。
木箱に腰掛け、荷積みの記録らしい帳面をめくっている。ルナたちに気づくと、片手を上げた。
「来たか。昨日はどうだった?」
「聞いてください! 小さな船の競走をしたんです」
「船の競走?」
「はい。帆の向きを二人で考えて、ユニちゃんの金色の船が一着になりました」
ロークは帳面を閉じて笑った。
「そりゃよかった。風は読めたか?」
「旗が揺れているのを見て、こっちかなって。ちゃんと合っていたかは分からないけど」
「最初はそんなもんだ。ただ、実際の船じゃ帆だけ見ていても足りんぞ」
「ですよね」
ルナも笑った。
「それで、今日は本物の船を見たいんです」
「ああ。いいぞ」
ロークが立ち上がる。
「まずは昨日の二隻を、順番に見よう」
*
一隻目は、広い甲板を持つ貨物船だった。
船体は綺麗に塗られ、帆も新しい。岸壁から見上げると、昨日より立派に見えた。
「これなら、荷物がたくさん載りそう」
「そうだな。荷を運ぶには都合がいい」
ロークは船主に断り、ルナたちを甲板へ案内した。
甲板には大きな荷口があり、その下には広い船倉が続いている。
ルナは、端に置かれた水樽を見た。
「水もここに置くんですか?」
「置ける。だが、これから何日も海に出るなら、樽の置き場だけじゃ済まん。食料も要るし、濡らしちゃ困る道具もある」
「寝る場所も、ですよね」
「そうだ。船員たちが休めなきゃ船は動かせん」
ロークは船倉の奥を見た。
「悪い船じゃない。ただ、今の造りだと人を乗せて長く航海するには手を入れるところが多い。値段も高いしな」
ルナは船を降りる前に、もう一度甲板を振り返った。
見た目は立派だった。けれど、そこへ誰が乗り、どこで眠るのかを考えると、広いはずの船が少し違って見えた。
隣に停まっていた二隻目は、最初の船より地味だった。
帆は畳まれ、船体には古い傷が残っている。横腹には、色の違う板が何枚か並んでいた。
「あ……」
ルナは足を止めた。
「ここも直してあるんだ」
「よく見つけたな」
ロークが隣へ来る。
「補修の跡がある船は、やっぱり心配ですか?」
「跡があるだけじゃ決められん、と昨日も言っただろう」
「はい。だから、どう直したのか知りたいです」
ロークはルナを見て、それから船主を呼んだ。
「この船の修理の記録を見せてもらえるか」
船主は頷き、近くの小屋から帳面を持ってきた。
開かれたページには、板を取り替えた時期や、作業した船大工の名前が並んでいる。
ルナには知らない言葉も多かった。それでも、板を取り替えた場所を示す記載は見つけられた。
船体へ目を移す。
「……この板、帳面に書いてある場所と同じですか?」
ルナが色の違う板を指すと、ロークは帳面と船体を見比べた。
「そうだ。ほかにも取り替えた板があるな」
「ここも、ここも。だったら、直した場所を一つずつ確かめられますね」
「ああ。ただ、記録があるからといって、修理が良いとは限らん。そこは船大工にも見てもらおう」
ルナは頷いた。
昨日は補修の跡を見つけても、どう考えればいいか分からなかった。今日は、何を確かめればよいか、一つ分かった。
「中も見ていいですか?」
「もちろんだ」
*
二隻目の船内には、狭いながらも寝台が並んでいた。
荷物をしまう棚があり、船の奥には水樽を固定する場所もある。天井の低い通路を、ルナは少し頭を下げて歩いた。
「こっちは、長い航海でも船員が休める場所があるんですね」
「そうだな。だが、必要な人数が本当に乗れるかは確かめないとな」
ロークは床板の一枚を持ち上げ、下の様子を見た。
しばらく確かめてから、板を元に戻す。
「今のところ、すぐに見つかるような傷みはなさそうだ。だが、船底は陸へ上げて見たい。帆も広げて確認する必要がある」
「死海の手前まででも、そこまで確かめるんですね」
「前に俺が死海の縁で引き返したときも、船はまだ動いていた。動かなくなってからじゃ、戻る判断はできんからな」
ルナは、ロークの横顔を見た。
行けるところまで行くのと、帰ってこられるところまで行くのは、同じではないのだ。
甲板へ戻ると、ユニが手すりの向こうを見ていた。
「ユニちゃん、どう?」
「こちらの船は、休む場所がありますね」
「うん。私もそこがいいなって思った」
「にゃん吉君の場所もありますか?」
「にゃん吉君は、どこでも寝られそうだけど」
「ワン」
にゃん吉君が、ちょうど手すりの上で丸くなった。
ロークがそれを見て、声を上げて笑った。
「もう乗ったつもりか」
「ワン!」
ルナも笑ったあと、二隻を見比べた。
綺麗な船と、直した跡のある船。
最初は見た目の違いしか分からなかった。今は、船の中で過ごす人のことや、残された修理の記録が気になっている。
「ロークさん」
「何だ?」
「私、この船を第一候補にしたいです」
ロークはすぐには答えなかった。
「理由を聞いてもいいか?」
「船の中で眠る場所があって、水や食料を置く場所も考えられているからです。それに、直した跡があっても、どう直したかを確かめられるので」
ロークが頷いた。
「なら、船大工に点検を頼んでみよう。そこから先は、結果を見て決めればいい」
「はい」
*
船主に値段と点検の段取りを尋ねると、ルナの表情は少し引き締まった。
船主は、明日の点検が済むまでなら、ほかの客との商談を待つと約束してくれた。
ルナは手帳を開いた。
家族と用意した旅費と、依頼で貯めた報酬。その残りから自分が出せる額を確かめ、船の値段と並べて書いた。
整備と乗組員の費用を考える前に、船体の代金にも届かない。
「……私のお金だけじゃ、足りないね」
ユニが、ルナの隣へ来た。
「この賞金も、船のために使いましょう」
「ユニちゃんの賞金なのに、いいの?」
「はい。私も乗る船です」
ルナは、ユニが持つ革袋を見た。
昨日の金色の船を思い出す。二人で帆を合わせ、水路の端まで目で追った。
「……ありがとう。じゃあ、私の分と合わせて考えよう。でも、ユニちゃんの旅のお金は残しておこうね」
「はい」
手帳に、ユニが出してくれる賞金の額を書き足した。
「船を買ったあとに必要なお金も、残しておきたい。点検と整備の費用を聞いて、全部でいくらかかるか出してみよう」
「はい。私も手伝います」
ロークが横から口を挟んだ。
「船が決まったら、次は乗組員だな。俺もまだ引き受けると決めたわけじゃない」
「はい。ロークさんが危ないと思ったら、引き返す。その条件も覚えています」
ロークは頷き、修理の帳面を閉じた。
「明日は船大工に来てもらう。俺も立ち会おう」
「私も点検を見ていていいですか?」
「構わんさ。自分で選ぶ船なんだろう?」
「はい」
ルナは、もう一度その船を見た。
昨日は岸壁から眺めるだけだった船の上に、今日は自分で立ち、第一候補を選んだ。
「ユニちゃん。明日も来ようね」
「はい」
「ワン」
にゃん吉君が、手すりの上から返事をした。
ルナは甲板を降りる前に、船体の色の違う板へ目を向けた。
板の続きは、水面の下に隠れている。
「ロークさん。あの板の下も、明日なら見られますか?」
「ああ。陸に上げればな」
ルナは水面を見た。
自分で選んだ船には、まだ見ていない場所があった。




