第5章 第4話 小さな金の帆
夕方になると、カジノの見学広間は昼間よりも賑やかになっていた。
窓の外では、港へ戻る船の帆が夕陽を受けている。広間の灯りも一つずつ増え、天井の船の形も昼間よりくっきりと見えた。
「ユニちゃん、招待の時間だよ」
「はい」
ユニは、昼間の抽選でもらった招待札をもう一度眺めた。
「そんなに気に入ったの?」
「綺麗なので」
札を少し傾けると、金色の帆が灯りを映した。
「金色、好きなんだね」
「はい」
「ワン」
にゃん吉君も札の横へ浮かんでくる。
「にゃん吉君は、さっきのお菓子の方が好きでしょ」
「ワン!」
「やっぱり」
ルナは笑いながら、札に書かれた会場を確かめた。
*
案内された先には、細長い水路が作られていた。
両側には低い柵があり、その向こうに見物客の席が並んでいる。天井から下がった布には、港の商会の名前と、帆を張った船の絵が描かれていた。
「……水がある」
「船もあります」
ユニが指さした先に、小さな木の船が十六隻並んでいた。
本物の船と同じように、帆と舵が付いている。船体には小さな窓まで描かれていた。
「本日の特別催しは、港の商会による模型船の競走です!」
司会役の声に、席へ着きかけていた人たちが顔を上げる。
「これまでの記念抽選で招待された皆様にお集まりいただきました。競走は十六隻で行います。招待札をお持ちの方と、お連れ様お一人まで、一隻ずつお選びいただけます」
ルナはユニの持つ札を見た。
「私も選んでいいんだ」
「そのようですね」
司会役は、水路の端を示した。
「帆の向きを決めたら、水路へ浮かべてください。風は会場の設備から送ります。出発の合図があったあとは、船に触れないようお願いいたします」
水路の奥で、大きな風車がゆっくり回り始めた。端に結ばれた細い旗が揺れる。
「最初に向こう岸へ着いた船の持ち主へ、商会から賞金を贈ります。船を選ぶときや帆を合わせるときは、お付き添いの方と相談していただいても構いません」
ルナは、並んだ船を見た。
「思ってたのと違った」
「何を想像していたんですか?」
「また札が出るのかなって」
「船の方がいいです」
「ユニちゃん、船が好きになった?」
「はい。小さいです」
「理由が大きさなんだ……」
ルナが笑っていると、参加者を呼ぶ声がした。
ユニも前へ進みかけ、一度振り返る。
「ルナ。一緒に見てください」
「もちろん」
ルナは、その隣へ並んだ。
*
模型船は、帆の色こそ違うものの、大きさは同じだった。赤や青、緑や白の帆が並ぶ中に、金色の帆が一枚ある。
ユニは、金色の帆を張った船の前で足を止める。
「これにします」
「やっぱり金色なんだね」
「はい」
係員が、ルナにも声をかけた。
「お連れ様も、お選びになりますか?」
まだ選ばれていない船が、目の前に並んでいる。
自分の船が勝てば、その賞金を本物の船の代金に使える。
ルナは少し眺めてから、金色の船へ目を戻した。
「私は、ユニちゃんの船を手伝ってもいいですか?」
「もちろんです。お二人で準備していただいて構いません」
ユニがルナを見る。
「自分の船も選べますよ」
「うん。でも、私はユニちゃんの船にする」
「勝てるかは分かりませんよ?」
「うん。でも、ユニちゃんを信じたい」
ユニは少しだけ目を細めた。
「はい」
ルナが使わない参加枠には、補欠で待っていた客が案内された。
ルナはユニの隣へ屈み、金色の船を横から見た。
帆を支える棒は動かせるようになっている。ユニが指でそっと動かすと、帆の向きが変わった。
「これ、本物の船でも動くところなのかな」
「そうでしょうね」
「ロークさんに聞いたら、すぐ分かりそう」
今朝は、船の補修跡を見つけただけで、良い船なのかどうかも分からなかった。
目の前の船はずっと小さい。それでも、どの向きに帆を合わせればいいのか、ルナにはすぐには決められなかった。
隣の参加者も、帆の角度を変えては戻している。
ルナは水路へ目を向けた。
端に結ばれた旗が、風を受けて横へ流れている。
「ユニちゃん。帆、こっちへ向けてみる?」
「どうしてですか?」
「旗があっちへ流れてるから。風を受ける向きがあるんじゃないかなって」
ユニは小さな帆を動かした。
「このくらいですか?」
「たぶん。でも、船のことはまだよく分からないよ」
「では、一緒に確かめましょう」
ルナは頷き、もう一度、旗と帆を見比べた。
係員の案内に従って、参加者たちが船を水面へ置く。
十六隻が横一列に並んだ。
「それでは、手を離してください。始めます!」
風車の回る音が大きくなった。
色とりどりの帆がふくらみ、水面に細い波が重なった。
赤い帆の船が、先に動き出す。
続いて青い帆が進み、金色の帆もゆっくりと水を切り始めた。
「あ、動いた!」
「はい」
ルナは柵へ近づいた。
さっき二人で向きを決めた帆が、風を受けている。小さな船体が揺れるたびに、傾きすぎないかと目で追ってしまう。
赤い帆が半分ほど進んだところで、少し横を向いた。
「あれ、曲がっちゃった」
金色の帆は、その隣を進んでいる。
「ユニちゃん、追いつきそう!」
「はい」
「ワン!」
にゃん吉君が、二人の頭上で元気よく鳴いた。
青い船が先頭へ出た。
金色の船も、その横へ並ぶ。
ルナは柵の外を数歩進んだ。ユニも隣を歩いている。
向こう岸まで、あと少しだった。
二隻の帆が、ほとんど同時にふくらむ。
ルナは息を止めた。
金色の船の先が、ほんの少しだけ前へ出る。
そのまま、向こう岸に触れた。
「金の帆が一着です!」
歓声が上がった。
「やった!」
ルナは思わず両手を上げた。
「勝ったね、ユニちゃん!」
ユニも嬉しそうに、水路の端を見ている。
「はい。最後まで進みました」
「そこが嬉しいの?」
「はい」
ルナは金色の船を見た。
さっきまで二人の前にあった船が、今は水路の向こうに浮かんでいる。
「うん。ちゃんと着いたね」
にゃん吉君が、その船を見に行こうとした。
「にゃん吉君、柵の中には入らないよ!」
「ワン」
白い身体が、素直に戻ってきた。
*
表彰の間、ルナはまだ少し興奮していた。
ユニが受け取ったのは、商会の紋章が入った賞金の証書だった。港の窓口へ持っていけば、賞金を受け取れるという。
その額を見て、ルナは目を丸くした。
「……こんなに?」
「本日の催しへのご参加、ありがとうございました」
係員が頭を下げた。
証書には、ユニの名前が書かれていた。
「ユニちゃん、おめでとう」
「ありがとうございます」
「帆、あの向きでよかったね」
「はい。ルナも見てくれました」
ユニは証書を持ち直し、船の止まっている方を見た。
金色の帆は、もう風を受けていなかった。
*
会場を出たあと、ルナは入口の受付へ寄った。
収納バッグから引換札を取り出し、係員へ渡す。
「こちらですね。少々お待ちください」
戻ってきた係員から、長杖を受け取った。
先端の消魔晶も、石突きの部分も、預けたときのままだった。
「ありがとうございます」
ルナは杖を持ち直した。
手に馴染んだ重さが戻ってくる。
外へ出ると、港の上には夕焼けの色が残っていた。
通りでは店の灯りが増え、食べ物を載せた皿を手にした人々が行き交っている。
「ユニちゃん、今日は楽しかったね」
「はい。また来たいです」
「私も」
ルナはカジノの金色の看板を振り返った。
あの扉をくぐるときには、模型船の競走に参加することも、夢中で船を追いかけることも、想像していなかった。
「でも、明日はロークさんに会いに行こう」
「船を見てもらうんですね」
「うん。買って終わりじゃないって、言ってたから」
死海へ向かうには、どんな船が必要なのか。何を用意し、誰に乗ってもらうのか。
ロークに聞きたいことが、まだあった。
ルナは港へ続く通りを見た。
並んだ船の帆が、夕方の風に揺れている。
「さっきの船も、上手に走ったって話そうね」
「はい」
「ワン」
三人は、灯りの増え始めた通りを歩いていった。




