第5章 第2話 最後の寄港地
南の港を出た船が、モルガ島へ着いたのは数日後だった。
ルナが甲板へ出ると、港の向こうに色とりどりの屋根が並んでいた。
赤い屋根。青い屋根。金色の飾りをつけた大きな建物。
港へ近づくにつれ、人の声や音楽まで聞こえてくる。
「賑やかだね」
ユニは、丘の上に建つ大きな建物を見ていた。
窓がいくつも並び、その上では金色の看板が日差しを反射している。
「あれが、カジノでしょうか」
「たぶんね」
「大きいです」
「ユニちゃん、気になる?」
「はい」
「……まずは船を探そうね」
「はい」
少しだけ残念そうな返事だった。
にゃん吉君がユニの頭上で鳴く。
「ワン」
ルナは笑いながら、港へ目を戻した。
大きな商船の隣に、小さな漁船が停まっている。
帆を張った船もあれば、甲板に大きな荷台を備えた船もあった。
ここなら、死海へ行ける船が見つかるかもしれない。
*
港の一角には、船の売買を扱う店が並んでいた。
岸壁には値札を掛けられた船があり、陸へ引き上げられた小舟もある。
「……こんなに違うんだ」
ルナは値札を見比べた。
小さな船なら、想像していたより安いものもある。
けれど、その隣の大きな船は、値段が何倍も違った。
「ユニちゃん、これ見て。同じ船なのに、こんなに値段が違うんだね」
「大きさも違います」
「うん。でも、大きい方がいいのかな」
ルナは安い船へ近づいた。
船体には新しい塗装が施されている。
けれど、少し下を見ると、木板の色がところどころ違っていた。
「あれ?」
ルナが屈む。
継ぎ目の近くに、細い補修の跡がある。
別の場所にも、似た跡があった。
「直してあるんだ……」
「何がだ?」
突然、後ろから声がした。
振り返ると、一人の男が立っていた。
日に焼けた顔。短く刈った黒髪。
年齢は四十代の終わりくらいだろうか。
手には古い縄を持っている。
「えっと、船です」
ルナが答える。
「ここ、何か所も直してありますよね」
男は船体を見る。
「そうだな」
「じゃあ、壊れやすいんでしょうか」
「そうとも限らん」
「え?」
「きちんと直してあるなら、問題ないこともある。逆に、綺麗なままでも傷んでいる船はある」
男は持っていた縄を指でしごき、毛羽立った部分を確かめた。
「船は見た目だけじゃ分からん。どこを直したかより、どう直したかだ」
「なるほど……」
ルナは、もう一度船を見た。
補修の跡があることには気づいた。
けれど、それが良い修理なのか悪い修理なのかは分からない。
「船を探してるのか?」
「はい」
「何に使う?」
「島へ行きたいんです」
「どこの?」
「神に見放された島です」
男の手が止まった。
*
「……あそこか」
男はルナを見た。
「誰かに頼まれた仕事か?」
「いいえ。私が行ってみたくて」
「物好きだな」
「よく言われます」
男は少し笑った。
「死海って名前は聞いてるか?」
「はい。船が沈む海だって」
「なら、普通の船を買って行こうとは考えるなよ」
「やっぱり、難しいんですね」
「難しいというより、準備もなしに行く場所じゃない」
男は手に持っていた縄をまとめ、近くの木箱へ置いた。
「船を買うつもりなら、何人で乗るのかも考えなきゃならん。何日分の水や食料が要るか、途中で引き返せるか。船体が丈夫でも、動かす人間がいなければ意味がない」
「……はい」
「それに、あそこへ行きたがる船乗りは少ない」
「あなたもですか?」
ルナが尋ねると、男はすぐには答えなかった。
「俺か」
少しだけ海へ目を向ける。
「名前はロークだ。今は雇われで、船長をやってる」
「私はルナです。こっちはユニちゃんと、にゃん吉君」
「ユニ・N・スターチスです」
「ワン」
ロークはユニを見た。
「……Sランクの?」
「はい」
「そうか」
それだけ言って、再びルナへ視線を戻す。
「で、どうしてあの島なんだ?」
ルナは収納バッグから手帳を取り出した。
「これを見てもらえますか?」
*
近くの空いた木箱を借りて、ルナは海図の写しを広げた。
世界樹の記録室で見せてもらった、古い海図。
その端には、出典の番号も書き添えてある。
「これは……」
ロークが顔を近づけた。
「古い海図だな」
「はい。世界樹の記録室で見つけました」
「世界樹?」
「エルフの街です」
「ずいぶん遠くまで調べに行ったんだな」
「最初は、別のことを調べていたんですけど」
ルナは少し笑った。
「途中で、これが気になって」
双岬泊。
二つの岬に挟まれた古い港。
ルナは、南の港で見つけた帰還者の記録についても話した。
ロークは黙って聞いていた。
やがて、写された二つの岬を指した。
「この二つが、港へ入るときの目印だったのかもしれんな」
「目印、ですか?」
「ああ。海から見える岸の形は、港を探す手がかりになる」
ルナは紙へ顔を近づけた。
自分が写したのは、入江の形と古い地名だった。
ロークは、その形を船から見ることを考えている。
「じゃあ、今でも見つけられるでしょうか」
「それは分からん。岸の形も海の様子も、昔と同じとは限らんからな」
ロークは指を離した。
「今の航海にそのまま使える図じゃない。それでも、こういう記録は面白い」
「面白い?」
「ああ」
男は笑った。
「船乗りってのは、まだ見たことのない海の話を聞くと、気になるもんなんだ」
ロークは、もう一度双岬泊の文字を見た。
「俺も昔、死海の縁までは行ったことがある」
「本当ですか?」
「ああ。そこから先へは進まず、引き返したがな」
「どうしてですか?」
「進めると判断できなかったからだ」
ロークの声は落ち着いていた。
「海の上じゃ、行きたい気持ちだけで進むわけにはいかん」
ルナは頷いた。
「……そうですよね」
*
「それで、俺に何を頼みたいんだ?」
ロークが尋ねた。
「もし、船が見つかったら……死海の手前まで、一緒に行ってもらえませんか?」
「手前まで?」
「はい。船で死海を越えてほしいわけじゃないんです。そこから先は、ユニちゃんとにゃん吉君と一緒に、空を飛んで島を探そうと思っています」
ロークはユニへ目を向けた。
「空を飛べるのか?」
「はい。ルナを連れて飛べます」
「ワン」
にゃん吉君が、ユニの頭上で小さく跳ねた。
「なら、最初から飛んで行けばいいんじゃないのか?」
「この港からでは、どこまで飛べば死海に着くのかも分かりません。海を知っている人と船で近づいて、そこから先を探したいんです」
「島の場所は?」
「正確には分かりません。古い海図にある入江の形が、手がかりになるかもしれないと思っています」
「飛べたとしても、島を見つけられるとは限らんぞ」
「……はい」
「帰りはどうするつもりだ?」
「帰りも、三人で飛んで戻るつもりです。でも、道を見失わないようにする方法は、まだ考えないといけません」
ロークはしばらく二人を見ていた。
「船を離れたあと、俺たちには港へ引き返してほしい。そういう話だな?」
「はい。ロークさんたちには、無事に帰ってきてほしいです」
ロークは腕を組んだ。
「すぐに返事はできんな」
「はい」
「俺の船じゃない。普段動かしているのは、船主から預かっている船だ」
「それでは、行けないんですか?」
「死海のそばまで行くと言っただけでも、まず貸してもらえんだろう」
「……そうですか」
「それに、俺一人で船は動かせん。乗組員も必要だ」
ロークは海図を見た。
「俺は双岬泊が気になる。昔、船が行き来していたというなら、なおさらだ」
ルナは顔を上げた。
「じゃあ……」
「だが、興味があるからといって、ほかの連中の命まで勝手に賭けるわけにはいかん」
ロークははっきりと言った。
「船があって、必要な人間が揃って、それでも行けると判断できたら相談には乗る。途中で危険だと判断したら引き返す。それが条件だ」
ルナは黙って考えた。
島には行きたい。
けれど、誰かを危険に巻き込んでまで進みたいわけではない。
「……分かりました」
ルナは答えた。
「危ないときは、引き返します」
ロークが頷く。
「なら、まずは船だな」
*
ロークは岸壁の向こうを指した。
「あの船と、その隣を見てみろ」
二隻とも、それなりの大きさがある。
けれど、一方は貨物を運ぶための船で、もう一方は船体の形が違っていた。
「船長のほかに、二、三人は船乗りが欲しい。それを乗せられる船を選ぶことになる」
「そんなに……」
「それでも、無事に戻れる保証はない」
ルナは値札を見た。
先ほどの小さな船とは、まるで違う金額だった。
「……高い」
「高いな」
ロークはあっさり認めた。
「それに、買って終わりじゃない。整備も要るし、人を雇う金も要る」
ルナは頭の中で計算してみた。
どう考えても、すぐに用意できる額ではなかった。
「……船って、こんなにするんだ」
「安いのもあるさ。ただ、どこへでも行けるわけじゃない」
ロークは縄を取り上げ、また指で確かめ始めた。
ルナは二隻の船を見比べた。
「ユニちゃん、これ、すごくお金が必要だね」
「そうですね」
ユニが少し考える。
「私のお金でも、足りるかもしれません」
ルナはユニを見た。
「……本当?」
「はい」
ユニはいつもの調子で答えた。
ルナは少し迷った。
ユニは、いつも一緒に旅をしてくれる。
困ったときには助けてもらったし、これまで何度も頼ってきた。
でも。
「……ありがとう、ユニちゃん」
「はい」
「でも、今回は自分で方法を考えてみたい」
「そうですか?」
「うん。私が行きたいって言い出した島だから。全部ユニちゃんに用意してもらうのは、ちょっと違う気がする」
ユニはルナを見ていた。
「私も、一緒に行きたいですよ」
「うん。だから、一緒に考えてほしい」
ルナは笑った。
「どうしたら船を買えるか」
ユニも小さく笑った。
*
ロークと別れ、二人は港の通りを歩いていた。
ルナは手帳に書いた金額を見直す。
船体。
整備。
水と食料。
船員への報酬。
書けば書くほど、必要なものが増えていく。
「……まずは、お金を用意しないと。依頼を受けて、少しずつ貯めるしかないのかな」
ユニは、しばらく考えていた。
そして、顔を上げる。
「ルナ」
「ん?」
「増やしましょう」
「……何を?」
「お金です」
「それは分かってるけど……」
ユニが通りの先を指した。
金色の看板。
大きな扉。
その上には、色とりどりの灯りが並んでいる。
港へ着いたとき、ユニが見ていた建物だった。
ルナは看板を見上げた。
「……ユニちゃん。そこって、カジノだよね?」
「はい」
「ワン」
にゃん吉君まで、元気よく鳴いた。
ルナは二人を交互に見る。
「……もしかして、最初から行きたかった?」
「はい」
「やっぱり!」
ユニは胸を張った。
「どやです」
「まだ何もしてないよ!」
港の賑やかな通りに、ルナの声が響いた。




