第4章 第22話 古い紙に残る手
帳面の字は、ルナが思っていたより小さかった。
細い線で区切られた欄に、同じ印が何度も続いている。
その途中に、何も書かれていないところがあった。
ルナは指を置きかけ、紙の手前で止めた。
「ここは、反応がなかった人ですか?」
守り手は帳面の前のページを開いた。
「空欄は、測れなかったときのものです。なかった、という印とは分けてあります」
頁の端に、印の説明が並んでいた。
途中でやめたもの。
器具を用意できなかったもの。
ルナはもう一度、空いた欄を見た。
自分に近い人の記録かもしれないと思った。だが、ここを眺めるだけでは、誰が座っていたのかも分からない。
「その日のことが、ほかにも書かれているんでしょうか」
「あります。こちらの日誌です」
守り手が、二冊目を近くへ寄せた。
*
同じ日付を探すと、少し大きな字で器具の手入れが記されていた。
光を返す石が曇ったため、午後は取り替えたという。
ルナは二冊を見比べた。
日誌には、石を替えるために人を待たせたことまで残っていた。
「ここだけ読んだら、その人のことだと思ってしまいますね」
「数字を集めた帳面と、その日の記録を分けていたのでしょうね」
守り手は椅子へ座り、器具の図を広げた。
「書庫では、使い方の抜き書きをご覧になったそうですね」
「はい。この、二つあるところが気になって」
ルナは自分の手帳を横へ置いた。
片側に小さく、器具を確かめるため、と書いてある。
守り手は説明を読み、今の言葉へ置き換えてくれた。
先に器具の側へ力を通し、決まった光が返ることを確かめる。そのあと、もう一方へ人の手を近づけ、石の光の変化を見る。
「調べる人自身に、光を出してもらうんじゃないんですか?」
「この手順では、そうではありませんね。器具から返るものを見ています」
ルナは顔を上げた。
アステリアでも、魔法を使おうとせずに受けた検査はあった。
あのときは、装置に短い表示が出た。
この古い器具では、何を調べていたのだろう。
ユニが図の下を指した。
「こちらにも、同じ石の絵があります」
続きには、置き方の違う図があった。
守り手が文字を追い、薄い紙へ読み方を書いてくれる。
「一つのやり方だけではなかったようです。順番に試していますね」
ルナはエリスの記録を開いた。
こちらの記号は読める。研究院で説明してもらった場所も覚えている。
けれど、古い図の何と対応するかを、自分だけで決めることはできなかった。
「この器具は、今も使われているんですか?」
「ここには残っていません。図と手順はありますが、同じように作れば同じ結果になるかまでは、私には分かりません」
ルナは図へ目を戻した。
手を近づける場所まで描かれているのに、今ここで試すことはできない。
しばらく見つめていると、机の脚へ枝の影が動いた。遅れて葉の音が聞こえ、ユニも窓を見た。
ルナはエリスの記録を、図の隣へ寄せた。
「それでも、エリスさんに見てもらいたいです。研究院で調べたことと、同じなのかどうか」
守り手が頷いた。
「出典を添えて写せます。読みにくいところは、一緒に確かめましょう」
ルナは収納バッグから、まだ使っていない紙を取り出した。
*
最初の線を引くとき、手が震えた。
ルナは筆を置き、息を吐いてから持ち直した。
形だけを似せて描くと、大切なところが抜ける。手を近づける側と、器具を確かめる側に、それぞれ教わった言葉を添えた。
石を取り替えた日誌も、図とは別に写しておく。
ユニは向かいから、番号を読み上げてくれた。
「次は、こちらの図です」
「ありがとう。これと同じページだね」
にゃん吉君は二人の机の間へ下り、日向の端で丸くなっている。
紙を重ねようとすると、ユニが乾いたものから順に移してくれた。
ルナは最後に、エリスへ尋ねたいことを書いた。
この方法で調べていたものは、研究院の検査と同じものなのか。
違うものなら、今も確かめる方法があるのか。
書き終えた紙を、乾かしてある図の隣へ置いた。
*
休憩に外へ出ると、記録室の若い係が樋の落ち葉を集めていた。
籠には、乾いた葉と細い枝が入っている。
「風のあとで、また詰まるかもしれません」
「明朝も見ておこう。あっちの棚まで濡れたら困る」
守り手が答えた。
ルナは屋根を見上げた。
世界樹の葉が一枚、樋の縁に引っかかっていた。若い係が長い柄を伸ばし、それを籠へ落とした。
中へ戻るとき、守り手が入口に掛けられた絵を示してくれた。
今とは屋根の形が違う記録室が描かれている。その向こうに、世界樹の幹が立っていた。
ルナは絵の中に、小さな人物を見つけた。
紙の束を抱え、階段を上がっている。
「この頃にも、もう大きかったんですね」
「ええ。この絵より古い記録にも、木の名はあります」
紙を運ぶその人も、ここで首を上げたのだろうと思った。
誰だったのかも知らない人が、自分と同じ場所を歩いた。
ルナは絵の中の階段から、足元の石へ目を落とした。
*
席へ戻ると、守り手が写した図を確かめてくれた。
ルナは違っていた記号を直し、四枚を順番に重ねた。
「これで大丈夫です。研究院から問い合わせがあれば、この番号を知らせてください」
「はい。ありがとうございます」
四枚を板へ挟み、収納バッグへしまった。
同じような人の記録は見つからなかった。けれど、エリスに見せる図と、尋ねたいことは揃った。
ルナはバッグを閉じた。
「明日も、お願いします」
守り手が頷く。
「海図の方も、一枚見つかりましたよ。地名の係が持ってきてくれました」
細長い箱が、棚の手前に置かれていた。
ルナは南の港で写した紙を思い出す。
二つの岬と、石段。
明日は、その岸を探せるかもしれない。
*
宿舎へ向かう短い道は、夕方でも木陰のままだった。
窓へ明かりを入れている係が、三人へ手を振る。
ルナは少しだけ立ち止まり、幹を振り返った。
朝は見えていた道が、根の影へ入っていた。
ルナは収納バッグへ手を添えた。写した四枚の紙が、板の間に収まっている。
朝は、遠くの枝まで見ようとした。
今、見えているのは、表面の溝と、そこへ斜めに落ちる薄い光だった。
ユニが隣へ戻ってくる。
「今日は、いろいろ見られましたね」
「うん。こんなに、長くここにいるとは思ってなかった」
顔を上げると、高い枝の端だけが夕日に染まっていた。
あそこには、まだ昼の色が残っている。
にゃん吉君が宿舎の入口から振り返り、二人を呼ぶように鳴いた。
「ワン」
ルナとユニは並んで、その小さな明かりへ歩いていった。




