↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
願いを魔法に  作者: 由吉
四章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
107/147

第4章 第21話 空に重なる森

 北の門を出たときには、まだ世界樹は見えなかった。


 朝の森を、案内役のエルフが先に歩く。


 葉の先に露が残り、道の真ん中だけが乾いている。ルナは根をまたぐたび、長杖の先を少し離れた土へ置いた。


「もう少し先の坂から、よく見えます」


 案内役が振り返って言った。


 ルナは枝の隙間へ目を向けた。


 ここを歩いているだけでも、町より木が大きい。見上げた首を戻すたびに、次の根が近づいていた。


 坂の手前で、道幅が狭くなる。


 斜面を登り切ると、急に空が開けた。


 向こうにも、森があった。


 ルナは最初、少し高い丘に木が生えているのだと思った。


 けれど、その森の下に空が見えた。


 枝と枝の間を、雲がゆっくり通っている。


「……あれ」


 ルナは足を止めた。


 緑の下から太いものが斜めに伸び、その先で、さらに大きなものへつながっている。


 幹だった。


 一本の幹から、あの森が広がっている。


「世界樹です」


 案内役の声が、すぐそばで聞こえた。


     *


 ルナはしばらく、何も言えなかった。


 ネラの言ったとおりだった。


 森が、もう一つ浮いている。


 そう聞いたときには、木の上が丸く膨らんでいるところを想像した。目の前の枝は、そんな綺麗な形には収まっていなかった。


 右へ大きく張り出した枝がある。


 その下へ潜るように、別の枝が戻ってくる。葉の薄い場所もあり、端が折れたように見えるところからは、細い緑が幾筋も伸びていた。


 どこを見ても、その続きを目で追いたくなる。


 ルナは隣のユニを見た。


 ユニも顔を上げたままだった。


「大きいね」


 ようやく言えたのは、それだけだった。


「はい」


 ユニは少し間を置き、遠くを指した。


「あそこを歩いている方がいます」


 根元の近くに、小さな動くものがあった。


 人だと分かると、木がもう一度大きくなったように感じた。


 あの人が幹のそばにいるのなら、こちらから見えている太い筋は、何なのだろう。


「根です。道は、その手前を回ります」


 案内役が教えてくれた。


 ルナは幹の下から坂の方へ、視線を戻した。


 木陰が、道のずっと手前まで届いていた。


     *


 頬を風が撫でた。


 ルナは耳にかかった髪を押さえる。


 高いところで、葉の色が変わった。表と裏が入れ替わり、緑の広がりを銀色の筋が走っていく。


 少し遅れて、音が来た。


 遠い雨のような、長く低い音だった。


 ルナは思わず笑った。


「聞こえた」

「はい」


 ユニの声も、いつもより少し弾んでいた。


 音は頭の真上からだけではない。右の枝が鳴り終わる前に、左の方から別のざわめきが届く。


 近くの草が擦れる音は、その間にも小さく続いていた。


「一度に鳴るんじゃないんだね」

「端の方は、まだ揺れています」


 ユニが葉の先を見ている。


 ルナも同じところを見た。


 音を待ってから、また別の枝へ目を移す。


 ネラから話を聞いた港では、葉が鳴るという一つの音しか想像できなかった。ここでは、その音にいくつも場所があった。


 にゃん吉君が、二人の間へ下りてきた。


「ワン」


 すぐそばの声に、ルナは顔を戻した。


「にゃん吉君の声は、すぐ分かるね」


 ユニも笑った。


     *


 坂を下りると、幹の下の方が見えなくなった。


 近づいているはずなのに、普通の木々が視界へ戻り、世界樹の枝だけが、そのさらに上に残っている。


 道はまっすぐではなかった。


 太い根に沿って曲がり、細い流れへ出て、板の橋を渡る。


 水の向こうに、低い壁のような根があった。表面には苔がつき、その窪みに草が生えている。


 ルナは橋の手前で立ち止まった。


 草の間から、小さな花が一輪だけ顔を出していた。


 こんな大きな木のそばでも、花は小さいままだ。


「全部が大きくなるわけじゃないんだね」


 小声で言うと、ユニも花を見た。


「日が当たるところを、選んで咲いていますね」


 根の陰には同じ花がなく、細い光の落ちる場所にだけ白が並んでいた。


 案内役は橋を渡ったところで待ってくれていた。


「先を急がなくても大丈夫ですよ」

「ありがとうございます」


 ルナは花から目を離し、板へ足を乗せた。


 橋の下では、細い根が水面へ触れている。


 その向こうに、使われなくなった古い石の橋が見えた。


「前は、あっちを渡ったんですか?」

「ええ。今は根に押されて、段がずれてしまいました」


 よく見ると、橋の端がわずかに持ち上がっている。


 案内役が子供の頃には、まだ使っていたという。


 ルナは根を見た。


 動いているところは、見えない。


 それでも、道を変えるほどには育っている。


     *


 幹へ近づくにつれ、空が減った。


 枝は頭上で重なり、坂の上から見た形とは結びつかなくなる。


 見上げても見上げても、幹の途中だった。


 樹皮の深い溝に影が溜まっている。裂け目だと思ったところには、小さな木が根を張っていた。


 そのさらに上で、鳥が飛び立つ。


 しばらく追っていたが、鳥は幹の端へ着く前に見えなくなった。


 ルナは首を戻し、息を吐いた。


「……全部、見られない」


 ユニも隣で立ち止まった。


 案内役は少し離れた石敷きへ進み、そこで待っている。


 近づいてもよい場所は、ここまでだった。


 触れられる距離ではない。


 けれど、ルナには十分すぎるほど近く感じられた。目を閉じても、正面に幹が立っているのが分かる気がする。


 土と、湿った木の匂い。


 日向を歩いてきた腕へ、冷たい空気が触れた。


 ルナは長杖を立てた。


 握りの下で、赤と青の紐が揺れている。


 ヘナにこれをもらった朝には、まだ世界樹を見たいと思っていただけだった。


 今は、その木陰に自分の靴がある。


     *


 石敷きの端へ座り、ルナは手帳を開いた。


 幹を描き、枝を一本伸ばす。


 すぐに紙の端へ届いてしまった。


「……入らないな」


 ユニが隣から覗いた。


「坂の上で見た方でしょうか」

「うん。でも、あの形も、もう少し違った気がする」


 ルナは線を消さず、次のページを開いた。


 今度は、さっき渡った板の橋を描く。


 その横へ、人が一人立てるくらいの隙間を残し、根の縁を引いた。


 これなら、自分が歩いた大きさを少しは残せそうだった。


 にゃん吉君が、広げた紙の端をのぞき込む。


「そこにいるところも描こうか」


 橋の上へ、小さな白い丸を一つ足した。


 ユニが微笑んだ。


「帰ったら、ネラさんにも見せられますね」

「うん。言葉だけだと、たぶん大きかったって何度も言っちゃう」


 ルナは筆を止めた。


 また葉の音が降りてくる。


 今度は、絵を描く手を動かさずに聞いた。


     *


 手帳を閉じると、古い石橋の方から木札を外す音が聞こえた。


 深緑の上着を着たエルフの女性が、道の入口で新しい札を結んでいる。淡い灰色の髪を後ろに束ね、袖をまくっていた。


 案内役が頭を下げた。


「リュエル様。記録室へ向かう旅人の方々です」

「そう。よく来たね」


 女性は結び目を確かめ、ルナたちへ向き直った。


「リュエルという。この世界樹を守っているよ」

「お一人で、ですか?」

「まさか。道を直す人も、記録を守る人もいる。木そのものに危険が及べば、私が止める。それが私の役目だよ」


 案内役が言葉を添えた。


「リュエル様は五界域の一人、エルフの頂点です。長い間、この木と共に生きてこられました」

「五界域……私、魔大陸でヴェラさんに会いました」

「ヴェラか。あの人はよく外を歩くね」

「世界樹に五界域の方がいるとは、聞いていませんでした」

「そうかい。あの人らしいね。私は、この木から離れないけれど」


 リュエルの視線が、ルナの隣に立つユニへ一瞬向いた。


 ユニが会釈すると、リュエルも軽く頷いた。


 リュエルは外した札を見せた。板の橋を示す矢印が、雨に削られて薄くなっている。


「古い石橋はもう使えないからね。こちらの札まで読めなくなったら、迷ってしまう」

「リュエルさんが、ご自分で替えるんですね」

「ちょうど手が空いていたからね」


 リュエルは記録室の方を示した。


「行っておいで。探しに来たものがあるんだろう?」

「はい。ありがとうございます」

「ワン」


 にゃん吉君の声に、リュエルは笑った。


「君も、ゆっくり見ておいで」


     *


 昼前、案内役が幹の脇へ続く道を示した。


「では、参りましょう」


 根の向こうに、低い屋根が見えた。


 石の土台に木の壁が載り、窓には薄い布が掛かっている。ここまで来なければ、建物があることにも気づかなかっただろう。


 ルナは立ち上がった。


 ユニとにゃん吉君が隣へ戻る。


 入口で札を見せると、年配の守り手が中へ案内してくれた。


 机の上には、一枚の図が置かれていた。


 街の書庫で見た器具と同じ形。


 その横には、厚さの違う帳面が三冊ある。


「こちらが、実際に使ったときの記録です」


 ルナは収納バッグから、エリスの紙を取り出した。


 窓の向こうに、世界樹の幹が見えている。


 さっきまで見上げていた木の下で、今度は昔の誰かが残したページを開こうとしていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。