第4章 第20話 守り手の問い
守り手の建物へ続く道は、街の奥で細くなった。
屋根の上まで張り出した枝から、小さな葉が落ちてくる。
入口の前で、若い男が靴の泥を落としていた。ルナたちにも石の縁を示し、森へ入る人には同じように頼んでいると教えてくれる。
ルナは靴裏を確かめた。
魔大陸で履いていた靴のままだ。溝には、街道の土が少し残っている。
ユニも隣で靴を揃えた。
にゃん吉君は入口の横に浮き、終わるのを待っている。
「今日は、そのままでいいね」
ルナが言うと、白い顔がこちらへ向いた。
「ワン」
*
机の向こうにいた年配のエルフは、ルナの照会の紙を読んだ。
「昔の測定帳をご覧になりたいのですね」
「はい。アステリアで調べてもらった結果と、比べられるものがあるか知りたくて」
ルナはエリスの記録も出した。
「私は魔法を使えません。今も理由は分からないんです」
守り手は表紙の署名を確かめ、紙を机へ戻した。
「これを見せたら、世界樹が答えを教えてくれると思いましたか?」
ルナは少し黙った。
木が、古い世界を覚えている。
ヴェラから初めて聞いたとき、その言葉だけで、何かが分かるような気がした。
「……少し、そう思っていたかもしれません。でも、今は違います」
守り手が顔を上げる。
「昨日、図を一つ見ました。けれど、使い方も全部は読めませんでした。だから、それを実際に使った人の記録を読みたいです」
ルナは手帳を開いた。
器具の片側へ、書庫で聞いた言葉が添えてある。
「この二つの場所に、どういう違いがあるのか。今の結果と比べる前に、それを知りたいんです」
守り手は手帳へ目を落とした。
ルナは続きを急がず、待った。
「その図なら、帳面と一緒に説明書も残っています。現地の係に用意できるか聞いてみましょう」
ルナの手が、手帳の上で少し緩んだ。
「ありがとうございます」
*
守り手は、もう一度ルナを見た。
「測定の結果は、こちらで写してもよいものですか?」
「持ち出せる範囲でまとめてもらったものです。でも、さらに写してよいかは聞いていません」
「では、今はお返しします。照合のためにご自身でお持ちください」
ルナは紙を受け取った。
守り手が机の引き出しから札を取る。
「ほかに、見たいものは?」
ルナは窓へ目を向けた。
ここから世界樹は見えない。近くの枝が、窓の半分を覆っている。
「木も、見たいです」
口にしてから、少し照れた。
「遠くから、森が空に浮いているみたいに見えると聞きました。葉の音が、風のあとから聞こえてくるとも」
守り手は頷いた。
「ネラさんに?」
「ご存じなんですか?」
「子供の頃、ご家族と来ています。木の話を聞いて、布を描いていた子でした」
ルナは、店で大きな布を広げていたネラを思い出した。
あの人にも、小さな葉を見上げていた頃がある。
「今も、布のお仕事をしています」
「ええ。ときどき、ここの窓の分も頼んでいます」
守り手が脇の薄布へ目を向けた。
日差しが柔らかくなって、机の紙へ落ちている。
*
森で一泊し、翌日まで記録室を使う案内が決まった。泊まるのは、訪問者のための小さな宿舎だという。
木札には、三人の名前と同行する案内役の印が入った。にゃん吉君の名前を聞いたときだけ、守り手は筆を止めて白い身体を見た。
「このお名前で?」
「はい」
「ワン」
守り手は続きを書いた。
ユニの冒険者証を求められることはなかった。
ルナは受け取った札を、手帳の間へ挟む。
「明朝、北の門へ。森では案内役について歩いてください。記録室では、担当の者が出した資料をご覧いただけます」
「分かりました」
席を立ちかけてから、ルナはもう一度収納バッグを開いた。
「あの、古い土地の記録も、ありますか?」
南の港で写した紙を見せる。
「この島のことも、旅の途中で聞いたんです。入江の形が分かれば、昔の地図と比べられるかと思って」
守り手は紙に書かれた名を読んだ。
「測定の記録とは、別に調べたいのですね」
「はい。関係があるかは分かりません」
守り手は島の名と、二つの岬を書いたところを確かめた。
「海図の目録も伝えておきましょう。すぐに該当するものが見つかるかは分かりませんが」
ルナは礼を言った。
出した紙を一枚ずつ、自分の収納バッグへ戻していく。
*
建物を出ると、ユニが並んだ。
「行けることになりましたね」
「うん」
ルナは歩きながら、手帳へ触れた。
そこに札があることを、何度も確かめたくなる。
通りへ戻ると、ネラの店の窓が開いていた。
彼女は三人に気づき、作業台から手を振る。
「どうだった?」
「明日、行ってきます」
ルナが答えると、ネラの顔が明るくなった。
「そう。晴れるといいわね」
「守り手の方が、ネラさんのことを覚えていました」
「昔のことまで話した?」
「布を描いてた子だって」
ネラは片手で額を押さえた。
「葉を描いていたつもりだったんだけど」
ユニが窓へ掛かった布を見た。
「今も、少し似ていますね」
風にふくらんだ緑の布を、ネラも見上げた。
「……そうね」
今度は、少し嬉しそうだった。
*
夜、硝子の葉を緑の布へ包むと、部屋の壁がいつもより白く見えた。
ルナは、窓のそばにいるユニへ顔を向けた。
「楽しみ?」
「はい」
ルナは隣へ立った。
夜の街では、あちこちの窓に明かりがついている。その間を黒い枝が渡っていた。
「どれくらい大きいんだろうね」
ユニも、枝の向こうへ目を向けた。
「明日は、比べるものを探すところからかもしれません」
ルナは頷いた。
手帳の新しいページは、まだ白かった。




