第4章 第18話 緑の布の窓
南の港を出て数日後、船の前に緑の陸地が現れた。
岸から丘の上まで木々が続いている。
帆を畳み始めた船員の向こうに、屋根が見えた。枝に隠れたものも、木と木の間へ長く伸びたものもある。
ルナは手すりの内側から身を寄せた。
「町は、もっと奥なんだね」
「港から続く道が見えます」
ユニが指した先で、荷車が森へ入っていった。
*
港を離れると、道はすぐに木陰へ入った。
根が張り出したところには板の歩道があり、車輪の道はその外側を回っている。
ルナは幹を見上げた。
枝に掛かっていると思った看板は、後ろの建物から細い柱で支えられていた。木と看板の間には、手が入るほどの隙間がある。
窓が一つ開いた。
長い耳の女性が布を外へ出しかけ、道を歩く三人に気づいて引っ込める。
「ごめんなさい。水が落ちるところだった」
「大丈夫です」
ルナが通り過ぎてから、布が広げられた。
落ちた水が溝へ入り、小さな橋の下を通っていく。
白い森のような静かな場所を、少し想像していた。
けれど、ここでは頭の上から洗濯物が下がり、曲がり角の向こうで荷車を呼ぶ声がする。樹の間のどの窓にも、人の暮らしがあった。
板の歩道を子供が駆けてきた。
「通して!」
大きな葉を載せた籠を抱えている。
ルナたちが脇へ寄ると、子供は礼を言って、通りの店へ駆け込んだ。奥の人が籠を受け取り、葉の上へ丸い生地を並べ始める。
ユニが店の看板を見た。
その隣には、深い緑の布を掛けた窓がある。
「ルナ」
「うん。あったね」
ルナは収納バッグへ手を添えた。中には、ネラにもらった端布が入っている。
*
店の扉を押すと、細い金属の音がした。
棚には薄い布が重ねられ、奥の台には、まだほどいていない荷が二つ置かれていた。
「いらっしゃいませ」
台の向こうで顔を上げた人が、言葉を止める。
「ルナちゃん?」
「ネラさん!」
ルナも立ち止まった。
魔大陸の港で見送ってくれた人が、今は店の前掛けをつけている。
「もう戻っていたんですね」
「六日前よ。あなたたちの三日後に港を出たんだけど、その先の便がうまくつながったの」
「私たちは、陸の道だけで九日かかりました。南の港でも五日待って」
「ああ、それなら。私は街道を五日で抜けて、着いた日に船へ乗れたのよ」
ルナは指で日数を数えかけて笑った。
「同じ道なのに、追い越されちゃったんですね」
「途中で会えるかと思って、停留所でも少し探してたの」
にゃん吉君が扉の内側へ入る。
ネラは三人を見回し、台の上を空けてくれた。
「よく来たわね。荷物、ここへ置いて」
*
ルナは緑の端布を開き、硝子の葉を取り出した。
「ずっと、これに包んでました」
「欠けてない?」
「はい」
ネラは葉の丸い縁を見て、微笑んだ。
「窓へ吊ってみましょうか」
細い留め具に掛けると、台へ青緑の光が落ちた。
ネラが布を一枚持ってくる。葉の光がその上へ移ると、淡い灰色だった布が少し緑に見えた。
「ここだと、色が変わるんですね」
「布を選ぶときも、使う部屋の光に近いところで見るの」
ちょうど客が入ってきた。
窓の布を替えたいという男性へ、ネラは家の向きを尋ねた。朝の光が強すぎると聞くと、棚から二枚を持ってくる。
ルナは葉を外し、台の端へ寄った。
ネラが重ねた布の向こうに、通りの人影が透けている。
「暗くするなら厚くすればいい、ってわけでもないんだね」
ルナが小声で言うと、ユニも頷いた。
「風も入れたいと、おっしゃっていました」
客は窓際と店の奥を行き来し、最後に一枚を選んだ。
ネラはその布を、迷わず必要な長さに切った。
遠くの市で布を探していた人が、ここでは誰かの家の明るさを整えている。
ルナは包み直した硝子を、収納バッグへしまった。
*
店が落ち着いた頃、ネラは三人を裏の小さな庭へ案内した。
木陰に腰掛けがあり、塀の向こうから焼けた生地の匂いがする。
隣の店で買った菓子には、葉脈の形が残っていた。
ルナは一つ裏返し、庭の木の葉と見比べた。薄い生地の裏に、細い筋までついている。
「焼くときの葉は、外すんですね」
ユニも自分の菓子を裏返していた。
ネラは菓子を一口食べてから、ルナへ顔を向けた。
「そうだ、泉の本のこと。帰ってから確かめたけれど、見つからなかったの。題名も分からないままで、ごめんなさい」
「探してくださったんですね。ありがとうございます」
ルナが答えると、ネラは頷いた。
「書庫へは、いつ行く?」
「明日にしようと思っています。今日は、場所を確かめておきたくて」
「夕方なら、私も一緒に行けるわ。少し遠回りしてもいい?」
「はい」
ネラが指したのは、庭の向こうの高い歩道だった。
「下の道ばかりだと、街の半分しか見えないのよ」
*
夕方の歩道は、店の屋根より少し高いところにあった。
木々の間に渡した橋を、一つずつ進む。
下の道からは見えなかった庭がある。家と家の間には洗い物の水が流れ、子供が桶へ溜めていた。
向こうの窓から、弦を爪弾く音が聞こえた。
一つの短い旋律が終わると、別の窓から同じ旋律が返ってくる。
ルナは欄干の内側で足を止めた。
「返事みたい」
「今、教えてるところね。小さい方の音が、あの家の子」
ネラが顎で示した。
演奏は途中で止まり、もう一度初めから繰り返される。
ユニは二度目の音が終わるまで、静かに聞いていた。
歩道の先に、長い屋根が見えてきた。
ネラが足を止める。
「あそこが書庫。朝は、鐘が二つ鳴ってから」
ルナは屋根の下を見た。
大きな窓の向こうで、人が机に向かっている。端の棚では、長い梯子を動かす人もいた。
エリスからもらった記録が、収納バッグの中にある。
ここへ来るために乗った列車も、途中で消えた白い森も、ずいぶん遠くに思えた。
それでも、最初に目指した場所へ、ようやく着いた。
「明日、来ます」
誰に言うともなく呟くと、ネラが小さく頷いた。




