ヘンリー編
ヘンリーはサックヴィル公爵家の王都の屋敷の自室にて、何かを書いていた。
《ようやくフローラ嬢と婚約することが出来た。とても長い道のりだった》
それは、日記だった。
ヘンリーはフローラと関わったことを出会った時から日記に記していたのだ。
その日記はもう数百冊にもなる。
「フローラ嬢、ようやく僕のものだ。一生離さないよ」
ヘンリーのエメラルドの目には、光が灯っていない。
ヘンリーがフローラと出会ったのは一年前。妹のラヴィニアが夜会で出会ったフローラと親しくなり、サックヴィル公爵家の王都の屋敷に招待したことがきっかけである。
真っ直ぐ伸びた美しいアッシュブロンドの髪、アクアマリンのような青い目、楚々とした美しさを持つフローラに、ヘンリーは釘付けになった。自分の中に電撃が走り、胸の奥からふつふつと湧き上がる感情。一目惚れではあるが、恋よりも深く激しい感情だった。心の奥底からフローラが欲しいと一目見た瞬間思ってしまったのだ。
しかしそれと同時に絶望した。
フローラは既にデクスターと婚約していたのだ。
欲しいと思った令嬢が手に入らない。ヘンリーは酷く落胆した。
しかし、フローラへの気持ちは簡単に消えてくれない。
フローラについて知りたい、近付きたい。そういった思いでヘンリーは動いていた。
フローラの趣味嗜好、社交以外の過ごし方など、調べれば調べる程フローラへの想いが大きくなる。
それと同時に腹立たしさが増す。
フローラの家族や婚約者を調べてみれば、自分がフローラの婚約者でも問題ないのではないかと思ってしまう。
フローラの父であるヴェイン侯爵は、フローラの兄やフローラに、ヴェイン侯爵家に利がある婚約を結ばせている。エジャートン公爵家とサックヴィル公爵家はネンガルド王国内でも同程度の力を持っている。特産品もそこまで変わらない。おまけにフローラの婚約者であるデクスターは、幼馴染の男爵令嬢サリーを優先している。上級貴族と下級貴族の結婚は不可能なこの国で一体何を考えているのかとヘンリーは憤っていた。
今すぐデクスターをどうにかしてフローラとの婚約をなかったことにさせたい。そう考えるヘンリーだが、フローラとデクスターの婚約を破棄なり白紙にしてすぐ自分を受け入れてもらえるかはまだ分からない。
そこでヘンリーはまず、ラヴィニアを通してフローラと仲を深めることにした。
妹であるラヴィニアに、それとなくフローラに好意を抱いていることを匂わせると、ラヴィニアは目を輝かせて協力的になる。奥手でフローラと仲を深められない振りをし、ラヴィニアに仲介してもらいながらフローラと接する。そうすることで、よりフローラからの信頼を得ることが出来た。フローラが信頼しているラヴィニア経由なので、フローラはヘンリーに警戒心を抱かなくなる。計画通りだと、ヘンリーはほくそ笑んだ。
フローラと仲を深めてから一年が経過した。そろそろデクスターをどうにかする時だと思うヘンリー。しかし、幼馴染を優先するだけでは婚約破棄や白紙にするのは難しい。
どうしたらいいか悩んでいた時、ある夜会でヘンリーはこんな会話を聞いてしまう。
「ねえ、例え話なんだけれど、もしも婚約者がいたとして、その婚約者が自分よりも異性の幼馴染を優先する場合はどうする?」
妖艶な女性の声である。
壁際で休憩していたヘンリーは、声の主に目を向けてみた。
艶やかな黒褐色の髪にサファイアのような青い目の、華やかな美人である。
(あれは……誰だっただろうか?)
サックヴィル公爵家と交流のある家や、フローラの周辺にいる人物はしっかりと記憶している。しかし声の主の女性は脳内にある貴族名鑑にはいない。しかし、彼女の周囲にはちらほらと別の夜会で見たことがある顔がいるので、ネンガルド王国内の貴族であることは確かである。
「何その例え? 私達、もう結婚しているわよ」
「まあ良いじゃない。どうする?」
貴族の女性達は楽しげに話している。未婚の令嬢よりも少し年上と思われる者達だ。会話から、既婚者であることは確かである。
「そうねえ……。婚約者を怒鳴りつけるわ」
「あら勇敢ね」
「そういう貴女はどうなの?」
「そうね……私なら、婚約者に不慮の事故に遭ってもらうかしら。馬車を細工したりしてね」
ヘンリーはその言葉にハッとする。先程話題を提供した黒褐色の髪にサファイアのような青い目をした女性の言葉である。
(不慮の事故……)
ヘンリーの中に、仄暗いアイディアが思い浮かんでしまう。
(デクスターというゴミ屑を、事故に……!)
ヘンリーのエメラルドの目からは、光が消えていた。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
その後、ヘンリーはデクスターに事故に遭ってもらうべくこっそりとバレないようエジャートン公爵家の馬車に細工をしたり、無関係な被害者を出さないよう調整をしていた。
そして、デクスターがフローラとカフェに行く日にそれを実行し、デクスターは見事に帰らぬ人となってくれた。
(フローラ嬢を悩ませるゴミ屑はもういない。雌豚にも得をさせない。僕がフローラを幸せにする。最高じゃないか)
クククッとヘンリーはほくそ笑む。フローラには見せられない悪い笑みだ。この本性は妹であるラヴィニアですら知らない。
ヘンリーは日記を閉じる。
「この日記も、そろそろ処分かな。フローラ嬢を怖がらせるわけにはいかない」
それは、先程とは打って変わって、フローラに向ける優しい表情であった。
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