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第6話  残されたもの

 イザークは、強い酒をあおっていた。


「アンリエッタ……お前さえいれば……」


 ハンナは白けた目で夫を見ていた。


 ハンナの隣では、セレーナがハンカチを握りしめる。


「許さないわ」


 ――あれは、私のものだ。


 吸血鬼も、あの城も、私にこそふさわしい。


「セレーナ、もうおやめなさい。それより、この方はどうかしら」


 母が見せる釣書に目もくれない。


「お母様はこの家を出たいだけでしょう。母親つきで嫁に入るなんて、それこそ笑い者にされるわ」


 グラスを投げつけられ、ハンナのドレスにシミが広がる。


「お前までわしを裏切る気か」


「あなた様を裏切るなど。ただ娘が心配なだけですよ」


「嘘をつくな。どいつもこいつも……」


 夫の目が据わってきた。こうなっては、誰にも止められない。


「後はお願いね」


 ハンナは逃れるように、セレーナを連れて部屋を出た。


「ふん。わしを馬鹿にしおって」


 イザークはのそりと立ち上がり、鞭を手にした。


 メイドの悲鳴が聞こえたが、母娘はいつもの事だと気にも止めない。


 楽しげなセレーナが、母の手をとる。


「お母様も幽黒城に来ればいいわ。部屋ならいくらでもあげる」


「そうね。お母様も行ってみたいわ」


 夫はもう城には行かないだろう。逃れるためにはちょうど良いかもしれない。


「私に良い考えがあるの」


 人形から奪い返す。そして、欲しいものはすべて手に入れる。そのためには何だって使ってやる。


「いいわ。お母様も協力する」


 これで、この檻から解放される。


 夫が深く眠るのを待って、ハンナは寝室へ忍び込んだ。


 ◇◇◇


 ジュールは青いつぼみに魔力を流し入れていた。


 ふうと息を吐く。


 花びらが開きかけたところで、止めた。今咲かせても、ビアンカには黒薔薇にしか見えない。


 あの瞳に色を映してやりたい。


「イゾルデを呼ぶか……」


 他に相談出来るような者はいなかった。


 フクロウはすぐに飛んできた。


「ずいぶんと機嫌がいいね」


「うるさい。それよりも相談がある」


「薬はないよ」


 大叔母はすべて見通しているようだった。


「ジュール、方法ならわかるだろう」


「できるわけがない。延々と生き続けるなど、苦しいだけだ」


 ジュールの顔に苦悶が浮かぶ。


 魔力を注げばいい。

 だが、そのためには牙を立てなくてはならない。


 共に生きてくれと言えば、うなずくだろう。何も知らずに。


 人よりも長い長い時を生きる。


 もし先に自分が消えれば――残るのは、孤独。


「時間はまだある」


 イゾルデは姿を消した。



 目を閉じると、否応なく思い出す。


 涙を流したのは一度だけ。


 あの日、両親と街へ出かけた。


 菓子を買ってもらい、あちこちの店をのぞく。


 城の外が珍しくて、つい夢中になっていた。


 気づけば、両親の姿がない。

 探して、走った。


 人とぶつかり、石畳に尻餅をつく。


「どこ見て歩いてんだ!」


 見上げると、同じくらいの子どもだった。


「おい、こいつの目……」

「気味悪いな。行こうぜ」


 背を向けたまま、声だけが残る。


「見つけたのは俺たちだからな。褒美もらおうぜ」

「あいつがいきなり火なんか出すからだ。もう友達じゃない」


 ——広場が、騒がしい。


 何が始まったのだろうと、人をかき分け前に出て、固まる。


 母が十字架に縛り付けられていた。


 ――魔女狩りだ。


 傍らで、幼い魔女が震える手で杖を抱えていた。


「早く火をつけろ! お前もここで焼かれたいのか!」


 怒号の中、首を振り「嫌だ」と叫ぶ。まだ穢れを知らない。


「この子に何ができるというの。

 目に焼き付けなさい——これが魔女の火よ」


 母は微笑み、幼い魔女をどこかへ飛ばした。


 青い炎が広場を埋め尽くす。


 一瞬だった。


 父の力でも、その火は消せない。


「吸血鬼がいる!」


 誰かが叫んだ。


 父は一度だけ、振り向いた。


 その視線が、こちらをかすめる。


 ——次の瞬間、炎の中へ踏み込んだ。


 背に迫る銀の刃にも、気づいていながら、避けない。


 炎が消えた後、必死に砂をかき集めた。


 だが、指の隙間から、すべてこぼれていく。

 父も、母も、もう戻らない。


「子どもが残っているぞ!」


 ジュールの目が赤く光る。


 それはすぐに押し殺された。


 ――残されるのが、怖い。


 空が、影に覆われた。


 無数のカラスが、空を埋め尽くしていた。

 鳴き声が降り注ぐ。


 大きなフクロウがジュールの襟首をつかむと、森の奥へ飛び去った。


 城の扉は固く閉じられた。


 ジュールは大伯母を睨みつけた。だが、その場を動けない。


「青薔薇を咲かせるんだよ。そうすれば人は、お前を傷つけはしない」


 意味がわからなかった。


 なぜ両親を奪った人のために咲かせるのか。


 大叔母は、赤い瞳をのぞき込んだ。


「生き残れ。

 お前の魂を救う者は、必ず現れる」


 消えることは、許されなかった。



 ジュールは、胸の奥に溜め込んだ息を吐き出した。


「僕にはできない」


 窓辺から、ビアンカが子ウサギと遊んでいるのが見えた。


 突然、ビアンカが子ウサギから離れて行く。


「どうした?」


 どうやら母ウサギを見つけたようだ。


「珍しい。こんなこともあるのか」


 子ウサギもビアンカに懐いていたのに、振り向きもしない。


「ビアンカ、君もかい?」


 ジュールは、親子を見送る小さな背から、目を離せなかった。

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