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第45話 白薔薇の娘

 城は歓びに満ちあふれていた。小さな足音。笑い声。それはジュールがひとりで過ごした百年を、あっさりと遠い記憶に変えてしまった。


 アンジェリカはこの城の中で、両親に愛され、大事に大事に育てられていた。


「生まれたばかりだと思ったのに、アンジェももう十六だ。早いものだ」


 年月がいくら経とうが、変わらぬ容貌のジュールがため息をつく。


 王宮からアンジェリカ宛てに、デビュタントの知らせが届いていた。行けば婚約者のいない子息に目を付けられる。それはまだ早い。


 だがビアンカが自分は出られなかったと寂しそうにしていたので、連れて行くしかなさそうだ。それにもう純白のドレスがアトラの店から届いていた。


 ついジュールの赤い目が揺らぐ。


「何もしやしない」


 すぐにビアンカの視線に気づき、ジュールはすぐに魔力を内に収めた。


「ジュール様、大丈夫ですよ。ベロニカが絶えずお側に付いていますから」


 バネッサがベロニカを呼んだ。ベロニカもお任せくださいと杖をトンと床に突く。


「そうか。それならばいい。だが二人とも、私の側から離れてくれるなよ」


「まあ。私もですか」


 ビアンカが呆れる。もう吸血鬼になった自分に、気易く声をかける者などいないのに。


「お父様。まだまだ私は、お父様の小さなアンジェリカです」


 ジュールが満足そうに微笑む。それを見てビアンカがふふと笑う。


 父が何の心配をしているかなど娘にはわからない。大好きな父からいつまでも子ども扱いされるが、それも心地良かった。


 アンジェリカは優しい父しか知らない。母ビアンカをこよなく愛し、娘を甘やかす普通の父でしかなかった。


 ◇◇◇


 一家を乗せた馬車は真夜中に王宮へ着いた。城は一家を歓迎して真昼のように明るかった。


 出迎えは王配オスカー。今ではそれが当たり前の光景になっている。


「ジュール、ビアンカ。よく来てくれた。アンジェは少し見ないうちにますます綺麗になったな。母親似で良かった」


「オスカー。それはどういう意味だ」


「アンジェが君と同じ赤い目ならば、せっかく婚約者を捜しに来た娘達が壁の花になってしまうからだよ」


「青でもそれは変わらん」


 もうこれでジュールはアンジェから離れられなくなった。後ろで聞いていたビアンカとバネッサは笑いをこらえる。


「お父様、アンジェは残念です。その目が大好きなのに」


「気にするな。赤でなくても、アンジェは私達の子だ」


 アンジェリカの目は吸血鬼のそれではなく、青だった。魔力もほとんど持っていない。生まれ落ちた日から毎日、両親は娘に魔力を注ぎ入れていた。それでも、小さな怪我ぐらいしか治せない。


 幼い頃のアンジェは、よくジュールやビアンカに、自分が本当の子か聞くことがあった。そのたびにバネッサが城の記憶を見せたものだ。


 王城の地下に吸血鬼一家の部屋がある。明かりとりの窓はない。幼いアンジェを連れてきたその日に、ジュールがクラリスやオスカーに言わず、勝手に作ってしまった。愛娘を日になど晒させない。


「ジュール様の溺愛にもほどがありますね。度が過ぎると嫌われますよ」


 バネッサは心配で仕方がない。ひとりが長すぎたのか、ジュールに周りが見えない時がある。


「私はお父様が大好きよ。別にお嫁になんて行かなくても構わないわ」


「白薔薇城がアンジェ様を離さないでしょうから、誰かお婿に来ていただきましょうね。もう一度赤ちゃんのお世話がしたいものです」


 もう幽黒城ではない。人はみな白薔薇城と親しみを込めて呼んでいた。今では年に二回、門は開かれ、薔薇を見に大勢人がやってくる。


 デビュタントの支度をしながら、バネッサはぶつくさとこぼした。たとえ力がなくても次の城主はアンジェリカだ。ジュールやビアンカ、それに城と城魔女の自分が守る。


「さあ、仕上がりましたよ。ビアンカ様と並ぶと姉妹のようですね」


「嬉しいわ。お母様は本当にお綺麗で、私の憧れなの」


「ビアンカ様が聞いたらお喜びになりますね。それに、いつまでも姿が保てる吸血鬼が羨ましいです」


「バネッサだって、青薔薇のジャムを食べているでしょう? いくら若返ると言っても食べ過ぎないでね」


 ビアンカ特製の青薔薇のジャム。おかげでバネッサの肌つやも髪も、いつも潤っている。


 コンコンと扉が叩かれた。ジュールとビアンカがアンジェの晴れ姿を見にやって来た。


「これは大変だ。アンジェをここから出せない。狼に狙われる」


 カチャリと鍵の閉まる音が聞こえた。


「ジュール様、いい加減にしてくださいな。その魔力もしまってください」


 バネッサが扉に杖を向ける。せっかく時間をかけてお姫様を仕上げたのだ。本人だって楽しみにしている。


「ジュール様は私のエスコートをお願いします。アンジェ、楽しんでね」


 ビアンカが手を差し出すと、小さなため息をついたジュールは妻の手をとった。


 扉の前では、王子ウォルフがアンジェを迎えにやって来ていた。


「ジュール様、私が狼避けになりますよ。父からも厳命されていますから」


 王子が隣にいては誰も声などかけられない。


 ジュールに城を壊されないか心配したオスカーが寄越したらしいが、ウォルフもこの可愛らしい妹のようなアンジェを、知らない男に攫われたくないとエスコートを買って出た。


「ウォルフお兄様が一緒なら心配ないわね。本当はこんな華やかな場所は苦手なのです」


 少し顔を赤らめたアンジェは、ウォルフに差出す腕にそっと手をかけた。


 アンジェの名が呼ばれ、会場に入るとやはり注目を浴びてしまった。初々しく女王クラリスにお辞儀する姿は天使のようだと囁かれた。


 すぐに子息達が列をなし、アンジェに跪く。だがすぐに諦めて下がっていった。王子ウォルフに睨まれたらこの先はない。アンジェも母と同じで、ファーストダンスは決めていると、誰が誘おうが断った。


「あの方のドレス、素敵ね。あちらの方は外国の方かしら」


 アンジェは着飾った人々を眺めるだけで十分楽しかった。


 いつの間にか二人の周りに人はいなくなっていた。


「ここはやけに冷えるな」

「あちらへ行きましょう」


 ベロニカがアンジェの周りにだけ冷気を放っていた。アンジェとウォルフに冷気はあたらない。


「アンジェ、薔薇園に“アンジェリカ”が咲いている。あとで一緒に見に行こう」


「ええ。“ビアンカ”も見たいです」


 ジュールもウォルフと一緒ならと許した。


 誰もいない薔薇園は少し風が吹いていた。アンジェの肩が少し震えた。


「温かい飲み物をとってこよう。アンジェはここにいて。幽霊がいるんだろう? 少しなら離れても大丈夫だね」


「お兄様は知ってらしたのね。隣にベロニカがいますから大丈夫です」


 すぐに戻るとウォルフが離れた。夜風に当たりながらアンジェは、母を真似て小さな声で薔薇達に話しかける。薔薇は嬉しそうに揺れた。


「アンジェ様、下がってください」


「どうしたの?」


「誰か隠れています。戻りましょう」


「でも……」


 まだ見終わっていない。それにウォルフとすれ違っては大変だ。


 ガサゴソと茂みから、男性が出てきた。


「隠れてなどいない。あれ? 君ひとり?」


 会話が聞こえたのに、そこには女の子がひとりしかいない。


「あなたは、庭師なの?」


「ローレンス・ブラッド。これでもウォルフ様の側近のひとりだ」


 着ているのは皺だらけのシャツに土で汚れたズボン。手には大きな鉢を抱えていた。庭師にしか見えない。アンジェのことはチラリと見て、すぐに鉢に植わる薔薇に目を戻してしまった。


「あっ! ローレンス、また土いじりか。お前と言う奴は。今夜くらいきちんとした格好しろ」


 そこへウォルフが戻ってきた。


「それよりも見てくれ。僕の薔薇が咲いたんだ」


 薔薇を見つめるローレンスの目は、静かでどこか父ジュールと似ていた。


「ローレンス様。その薔薇はあなた様がお世話なさったのですか」


「そうだ。やっと咲かせることができた」


 淡いピンクの薔薇。


「その薔薇のお名前は。ぜひ我が家の庭にも植えたいです」


「名は……」


 ふと、薔薇の香りがローレンスの鼻をくすぐる。ローレンスが初めてアンジェを見た。


 そして、大事に抱えた鉢をアンジェに差し出した。


「名は、初恋です」

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