第43話 君へ
遠くに小鳥のさえずりが聞こえる。朝だろうか。だが、目を開けても真っ暗だった。
暗闇に目が慣れた頃、明かりがぽっと灯された。
「ビ……ビアンカ様。おはようございます」
ベロニカが涙に喉を詰まらせ、ビアンカを助け起こした。
「すぐにバネッサも来ますからね」
「……私は幽霊になったのよね」
幽霊がベットで眠るなど聞いたことがない。幽霊ならばいつもふわふわと浮いている。なのになぜ寝かされているのだろう。
「何を仰います。ビアンカ様は生きていますよ」
――幽霊になれなかった。
失敗してしまったんだ。あとどれくらい時間は残っているだろうか。
バタンと、ものすごい勢いで扉が開き、バネッサが飛び込んできた。
「ビアンカ様!」
いきなり抱きつかれ、泣かれた。バネッサは「死なずに良かった」と何度も繰り返す。そしてもう二度とあんな真似はするなと叱られた。
「ごめんなさい」
自分勝手にとんでもないないことをしたのだ。
「バネッサ、ここは魔女の村なの?」
「違いますよ。幽黒城です。ここは城主夫妻のお部屋ですよ」
夫妻。その言葉が胸に突き刺さる。
そうだと思い出し、喉元を触ってみたが、何もない。
確かに、どくどくと血が流れるほど深く傷つけたはずなのに。
あの時、嫌がるララを無理矢理、自分に突き立ててしまった。罪を重ねて、天国への門を閉ざすつもりだった。
「ララは? ララは無事かしら」
「ほら、お隣にいますよ」
ビアンカの寝ていたすぐ隣で、白い杖は静かに主の目覚めを待っていた。
ララを抱きしめ、謝った。辛い思いをさせてしまった。
「本当にごめんなさい。もう絶対にあんなことはしないわ」
ララはほのかに光を放った。主の心の内を覗いてみると、それは残るための所業だったとわかった。それならばまだ共にいられる。
「私はどうなってしまったの?」
バネッサは、ジュールから聞いて欲しいと何も言わない。どうやら自分は生かされたのだと知った。
「それで、ジュール様は……」
怒っているのだろうか。呆れて顔を見せないのか。合わせる顔などない。
「それが、今は大変お忙しくされていて。でも今日は飛んで帰ってくるはずです」
部屋を見張るカラスがもう知らせているはずだ。
「とにかく、お着替えしましょうか。こちらへ」
バネッサに言われるままに、ベッドから降りた。
見慣れない物ばかりが置かれている。
「誰が座るのかしら。まさかね」
暖炉のそばの揺り椅子。棚には仕立屋でも開けそうなほどの布と糸。毛糸が籠いっぱいに置かれていた。
「この扉はどこへつながっているの?」
バネッサは、「覗くだけにしてください」と、扉をほんの少しだけ開けて見せてくれた。
「これは……」
バネッサを押しのけ、ビアンカが部屋へ入った。
床にはふかふかの絨毯が敷かれていた。転んでも痛くないだろう。
そこら中にぬいぐるみや人形、おもちゃが置かれていた。
それに。
天井から白い布が垂れ下がり、その中にゆりかごが置かれていた。
そっと揺らすとオルゴールの音が聞こえた。子守歌だ。
「仕方ないですね。ジュール様には内緒ですよ」
クローゼットには、魔女の村でこっそり用意した子ども服が掛かっていた。
「夢を見ているのかしら。この部屋は誰が用意したの」
その答えはわかっている。でも彼から聞きたい。
「ビアンカ……」
不意にビアンカは後ろから、強く抱きしめられた。この温かさは知っている。この薔薇の香りも。
「ジュール様。本当は。私は……」
それ以上言うなと、ジュールはビアンカの白い首筋を甘噛みした。ビアンカから甘い吐息が漏れる。
「この部屋は未来の部屋だ。僕も望んでいる」
「お顔を見せてくださいませ。私は、あなたのその目が、大好きなのです」
「僕もだ。ビアンカ、鏡を見るといい」
鏡に映ったビアンカは、深紅の瞳をしていた。
「綺麗だ。この世の誰よりも」
ジュールは胸に大事に飾っていた深紅の薔薇を、ビアンカの髪に挿した。
額の傷も消えていた。額にジュールの唇が寄せられる。
「すまない。残してやることができなかった」
ジュールに一度も醜いなどと言われたことがない。傷さえも愛されていたのだ。
「私は、生まれ変わったのですね」
ビアンカは鏡に映る、自分とジュールに微笑んだ。
◇◇◇
城の日常は変わった。
もう地下ではなく、二人は夫婦の寝室で目覚める。
ジュールと同じく、日の下に出られないビアンカに合わせ、城が活気づくのは日が落ちてから。
焼きたてのパンは夕刻届けられ、月を眺めながら食事をする。真夜中にピアノの調べが流れる。客人も来るようになった。
薔薇も昼は閉じて、夕刻になると咲き出した。
星が出る頃、薔薇園に行くのが二人の日課となる。
「まだ、だめですか」
「もう少し抑えて」
もう一度と、ビアンカが地面に両手をついて、魔力を流した。
「難しいですね」
ビアンカの周りだけ、花びらが開ききっていた。そしてすぐに花びらが落ち、葉が茶色くなる。
「魔力は肥料のようなものだ。与え過ぎると、そうなってしまう」
簡単そうに見えて、実に繊細な作業だった。
「君はまるで農家の嫁だな」
ビアンカは丈の短いワンピースにエプロン。それに長靴を履いていた。
「ジュール様がお留守の時は、私が世話するのですから」
ジュールはオスカーの要請で、騎士団とともに深い森や洞窟に住む魔物を祓いに出ていた。
この先、自分たちだけで片付けなくてはいけない時が必ず訪れる。オスカーはジュール一人に任せるのではなく、教えて欲しいと願った。
「叔父様はきっと、私達が静かに暮らせるように考えてくださったのね」
この城からただ見守る存在。それでいいのだ。
「夜風は冷える。戻ろう」
ジュールはビアンカの手を取り、ゆっくりと歩きだした。
そこへ、ひょいといつものウサギが顔を出した。
鼻をひくつかせている。餌をねだっているのだろう。すぐ後ろの茂みがもぞもぞと動く。
「あなたも大家族になったのね。今、あげるわ」
ビアンカが地面に杖を向けると、野菜くずが山盛り現れた。ウサギが食べ始めると、子ウサギたちも茂みから出てきた。
それを嬉しそうに眺めるビアンカの目は穏やかだった。
「春が待ちきれないです」
「ああ。僕もだ」
二人はくすりと笑う。
ビアンカの中に、小さな命が宿っていた。




