第42話 あなたに
ビアンカがうっすら目を開けると、枕元に白薔薇が置かれていた。
――優しいひと。
ビアンカはまた涙がこぼれた。望んではいけなかった。
それでも、永遠にそばにいたい。人には無理だ。
――方法がひとつだけある。
ずっと心に秘めていた。そうすればここに残れる。
ビアンカはララを手元に呼んだ。杖は音もなく主の前に静かに立ち、言葉を待った。
「あの人に薔薇をあげたいの」
ビアンカは微笑み、杖を握りしめた。
「愛しています。永遠に。あなただけを」
ビアンカは喉元に杖の先を突き立てた。血が滴り、白薔薇は深紅に染まる。
ジュールはビアンカを喜ばそうと薔薇園に出ていた。
色とりどりの薔薇を持ちきれないほどに抱えて、ジュールは部屋をノックした。
愛しい妻は驚くだろうか。言いたいことが山ほどある。一輪一輪に思いを込めた。
「ビアンカ、そろそろ目覚める時間だとバネッサが……」
返事も物音もしない。だが不吉な予感がした。血の匂いがする。
その時、ジュールの頭の中でキーンと耳鳴りが聞こえた。悲鳴にも聞こえる。
――杖が泣いている。
「ビアンカ!」
扉を開けると、ベッドの上でビアンカは微笑んで横たわっていた。それは安らかに眠っているように見えた。
だが、ビアンカの体は真っ赤に染まっていた。
床に転がるララが震えていた。
「ビアンカ! 何があった!」
「ジュール様……」
微かな、声にならない声。
「ビアンカ様!!!」
バネッサも異変に気づき、部屋へ駆け込んできた。突然、杖が騒ぎだしたのだ。カラス達も叫びながら空を飛びまわっている。
ビアンカの命はもう尽きかけていた。
「退いて!」
バネッサが杖を振り、ビアンカにすがりつくジュールを突き飛ばす。
そして、呪文を唱え、部屋をかき混ぜるかのように、杖を大きくぐるぐると回し始めた。
空間は歪み、すべてが二重三重に見える。すると時計の針が逆向きにわずかに動いた。
「すべて使え!」
ジュールがララを掴み、床に突き立てた。城中からありったけの魔力を集め、バネッサに送る。
時の巻き戻しは禁忌だ。城の魔力もなければ行使できない。
ビアンカの傷が少しずつ塞がっていく。だが、失われた血までは戻せない。針がぴたりと止まった。
「ここまでです!」
ジュールはビアンカを抱き起こし、その首に牙を突き立てた。
吸血鬼の魔力が流れ込む。徐々に血管を通り、全身を支配していく。
魔力が行き渡るまで、ビアンカは持つだろうか。だが、これにかけるしかなかった。
「行くな! 行かないでくれ!」
こんなはずではなかった。なぜ離れてしまった。
まだ、言っていない。ジュールの声が震える。
「ビアンカ、僕はこの先をずっと君と。ビアンカと一緒にいたいんだ」
その時、わずかにビアンカの指が動いた。
「あなたに……」
白い手がゆっくりと持ち上がり、深紅の薔薇を差し出した。
「ああ。君は僕だけの薔薇だ。愛している」
ビアンカは微笑み、ゆっくりと目を閉じた。
「ビアンカ!」
何度呼びかけても、揺すっても反応がない。
ジュールは腕の中のビアンカを離さなかった。少しでも多く魔力を注ぎ入れようと、もう一度牙を立てた。ビアンカの体が一瞬だけ強ばるが、また体から力が抜けてしまった。
ビアンカの胸に耳をあてると、不規則だが鼓動が聞こえた。
急激に強い魔力を与えたショックもあるだろう。でも、なんとか繋ぎ止めることはできた。
「すぐに地下へ連れて行く」
白い棺に寝かされたビアンカは、今にも起き出しそうだった。
ジュールは自分の髪を切り落とし、棺の中に入れた。髪は黒い羽根に変わり、ビアンカの体を包みこむ。
そうして棺に蓋がされた。
その日から、ジュールは深紅の薔薇を胸に付け、ララを離さなかった。
ララの先は黒くなっていた。命令とは言え、主の命を削り取ってしまったのだ。また失う。ララの嘆きは、城のずっと奥まで届いた。
城はビアンカの眠る部屋に薔薇を咲かせた。濃密な香りは魔力に代わり、棺の中へ届けられた。
ジュールは棺の前でひとり、誓った。
「君が目覚めるまで、君の愛した薔薇と人々を僕が守る」
ただ嘆いているなどできない。ビアンカに笑われてしまう。それがジュールに出来る事ならば何でもした。ララもジュールに従い、白い魔法しか使わなかった。
そして季節が三度巡ったある日。
「今日も僕の薔薇は蕾のままかい」
ジュールが棺を開け、そっとビアンカに話しかける。そして、その日一番の薔薇を棺に入れる。
「これは……」
ふと気づくと、ビアンカを包む黒い羽の先が白くなっていた。
ビアンカから魔力が漏れ出ている。ジュールの口元が思わず弛んだ。
「もう少しだ」
ジュールは部屋を整えた。家族の部屋だ。
暖炉脇には揺り椅子と小さなテーブル。
きっとビアンカは縫い物をするだろう。色とりどりの毛糸と刺繍糸が箱いっぱいに詰め込まれた。バネッサもベロニカも呆れるくらいに。
ピアノが調律され、国中から楽譜を集めた。白い指が奏でるのを待っている。
庭にはブランコが備えつけられた。
その昔父に、夜が明けるまで背を押してくれとねだった。母はそれを日傘の下で優しい目で見ていた。
そんな幸せな日々をビアンカと過ごしたい。二人で築いていく。
「早く君に見せたいな」
ビアンカの長い睫毛がわずかに震えた。
もうじき目覚める。
ジュールは棺からビアンカを抱き上げ、二人の寝室へと運んだ。




