第40話 胸に抱くもの
ビアンカがイゾルデの屋敷に帰ると、知った気配がした。
「ジュール様!」
居間へ駆け込むと、座っていたのはバネッサひとりだけだった。
「ビアンカ様、ただいま戻りました」
「お帰りなさい。用事はすんだのね」
どこか誇らしげなバネッサ。無事に戻って来てくれて嬉しい。
でも確かに幽黒城の気配がしたのに。少し肩を落としたビアンカに、バネッサは立ち上がり礼をした。
「ビアンカ様に申し上げます。私はついに幽黒城の城魔女になりました!」
「まあ。それはおめでとう。ここにいると幽黒城の妙な噂ばかり耳にするの。とてつもない魔力に覆われていて、普通の魔女では近寄ることもできない。入ったら最後、幽霊になっても使われるとか」
ふふと笑うビアンカ。噂通りなのだが、ぜんぜんわかっていない。それはそうだ。「花嫁」とは特別な存在。人であったらなおのこと知らなくて当然だ。
幽黒城の様子を聞きたがるビアンカ。ジュールは元気にしていると教えると、ほっとした表情を浮かべる。そして、また寂しげになる。そんなビアンカを早く帰してやりたい。
「ビアンカ様、杖をお貸しください。どのくらい進んだか確かめますね」
バネッサはララを握り、魔力を通す。魔力は真っ直ぐに地へと戻っていく。
「短期間でここまでとは驚きです。頑張りましたね。ビアンカ様、体の具合はどうですか」
「元気いっぱいよ。一日中井戸から水汲みもできそうなくらい」
バネッサが、まさかとベロニカを睨む。させていないとベロニカが首を振る。
「しなくていいですからね。これからは魔法を使えばいいんです」
そんな便利な魔法もあるらしい。
「明日から、ビアンカ様に幽黒城の持つ魔力を少しずつ流します。体が馴染めば、帰れますから」
「本当に? 今からでも流して欲しいわ」
「駄目です。杖が耐えられる分の魔力を流してしまったので。この杖は貪欲に欲しがる。これ以上は私が持ちません」
それならば仕方がない。でもこれで帰れる。
「ふふ。代わりにこれを。頑張っているビアンカ様にご褒美を預かってきました」
バネッサが杖を振るうと、ビアンカの手に紙の束が乗せられた。
「こんなに……」
ジュールからの手紙だった。
出そうか迷っていたジュールの手から、半ば奪うように持って出た。今頃、棺の中で顔を赤くして呻いているだろう。
バネッサにとってジュールは、尊敬する魔女の息子であり、守らなければならない弟のような存在でもあった。不器用すぎる彼の背を押してあげたい。
「ありがとう。あの、部屋で読むわね」
手紙を胸に抱いて、ビアンカは一人部屋へ閉じこもってしまった。
バネッサもベロニカもくすりと笑う。
「バネッサ。すごいわ。よくあそこから無事に戻ってきたわね」
ベロニカには、万が一のために先に伝えてあった。
「何度も折れそうだったわ。でも私も杖も諦めなかった。ビアンカ様に出会って、ますます城魔女になりたいと思ったのよ。どうしてかしらね」
「さあね。私が幽霊のままここにいる理由と同じでしょう。それに城があの方を導いたのかしらって思う時があるわ」
城はビアンカの心の中を覗いて、門を開いたのではないか。引き返すことなく、居着いてしまった花嫁。何も望まない。ジュールにも与えるばかりだ。
城に深い情を思い出させた存在。あとはジュールが踏み出す番だ。
◇◇◇
ビアンカは手紙を読みながら、意味不明な声を上げていた。恋文など初めて。それも愛する夫ジュールからだ。普段は寡黙。あまり感情を表に出すこともない。それが字になると饒舌だった。
「夢かしら。間違って小説の写しをいただいたのかしら」
何度読み返しても、ビアンカと名が書かれている。その次には愛しているとも。
顔が真っ赤に火照る。だが、急にふと冷めていく自分に気づいた。
「私はジュール様との子が欲しい。でもきっと許してくださらない」
自分でもわかっている。先がそう長くない。それは父が長く王宮に呼ばなかった理由のひとつでもあった。人より少し心臓が弱いのだ。医者は静かに暮らすことを父に勧めた。
それなのにあの出来事があった。心を揺らさないよう閉ざさなくてはいけないと、体が勝手に蓋をしたのかも知れない。
「長く一緒にいたいのに。このままではまたジュール様をひとり残してしまう。それだけはだめ」
時折、一緒にいても哀しい目をするジュール。ならば私を噛んで欲しいと叫びそうになる。
でも、どうしても言えなかった。
◇◇◇
「流しますよ。目を閉じて楽にしてくださいね」
椅子に深く座り、右手に杖を持つ。バネッサと重ねた左手が温かくなるのを感じた。そして身も凍るほどの冷たさも。
「大丈夫。必ず杖がビアンカ様を守ります」
「ララに無理はさせられないわ。ララ、苦しくなったら教えてね」
その時は杖を離せばいい。多少の辛さは承知の上だ。
「帰る、帰る、帰る」
城へ帰る。ジュールの元へ帰る。そう声に出して念じた。
それは毎日繰り返された。杖はびくともしないでビアンカを守り切り、ビアンカもまた耐え抜いた。
「もう城に入っても大丈夫ですよ。むしろ城に、ビアンカ様の魔力を流してあげてください」
バネッサの「合格です」を聞いて、ビアンカはララを抱きしめて泣いた。
イゾルデが部屋の隅に座り、じっとその様子を見ていた。
「ジュール、聞こえているかい。一度だけだ。ここへ迎えに来ておやり」
その声に、イゾルデの屋敷が揺れた。風が窓ガラスを破って、黒い羽が床に散らばる。その中からジュールが姿を現した。
「ジュール様……」
驚くビアンカを、何も言わずジュールは抱きしめた。
「ビアンカ、会いたかった」
「私もです」
ビアンカがジュールの胸に顔を埋める。細い腕を伸ばし、ジュールに抱きついた。もう一時も離れたくない。
「我が家へ帰ろう」
準備はすべて整った。
ジュールはビアンカのためなら城を捨てようが構わないとさえ一時は思った。でもビアンカは戻ると強い意志を示してくれた。それに応えようと、ジュールも城の魔力を抑えるばかりでなく、遠く外へ放った。それで活発になった魔は後で祓えばいい。
「ジュール! お待ち!」
「待てない」
「ああ、もう!」
イゾルデが止めるのも聞かずに、ジュールはビアンカを抱き上げ、そのままかき消えてしまった。




