第4話 届いた声
夜空を、大カラスが一羽、飛んでいた。
遠く、遠く、王宮へ。
風にはためく旗が見えた。紋章は、あのブローチと同じだった。
城から少し離れた場所に、焼け跡を見つけた。
降り立ち、姿を現す。
「……まだ匂う」
火の不始末では、こうは燃えない。
「これを見たのか」
胸が痛んだ。
人の目から隠すように、墓標が立っていた。
――アンリエッタ
――ロザリア
日付は、三年前。
ジュールの指笛に狼が集まってきた。
「ここを掘れ」
棺がふたつ現れた。
――やはり。ひとつは空だった。
「もうロザリアはいない」
花を手向け、ジュールは空へと舞い上がった。
◇◇◇
「勝手な真似をしおって!」
女が床に頭をこすりつけていた。
それでも領主イザークの怒りは収まらない。留守をしていた間に宝を持ち出したと、妻を責め立てた。
「なぜセレーナを連れて行かなかった?」
「旦那様は実の娘に贄になれと?」
「そのための娘だ。アンリエッタの忘れ形見を手放すことなどできない」
妻ハンナは唇を噛みしめた。
夫は妹を異常なほど溺愛していた。妻などただの飾り。
義妹を上手く言いくるめて、王宮へ行儀見習いに行かせたが、ほどなくして子を宿したと知らせが届いた。
夫は何度も妹を連れ戻しに行ったが、その度に追い返された。
それなのに。
ある日、夫は妹にそっくりな娘を連れ帰って来た。
「セレーナはもうここにはいません」
「どこへ隠した! さっさと連れてこい! 見つけ次第、わしが連れて行く」
「隠してなどしていません! このまま見逃がしてやってください!」
「言い訳など聞かん!」
妻の言葉は届かなかった。
◇◇◇
幽黒城に戻ったジュールは、窓辺でひとり、葡萄酒を飲んでいた。
――力を使い過ぎた。
目の奥が痛む。それでも、口元は緩んでいた。
ビアンカを喜ばせようと、白薔薇を咲かせた。
自分から好んで咲かせようなど、思ったことはなかった。
「驚くだろうか」
次は青薔薇を咲かせよう。
誰かのためでなく、ビアンカのために。
翌朝、ジュールは食堂でビアンカを待ちわびていた。
廊下が騒がしい。
目を細め、外を見るが変わりはない。
息を切らしたバネッサが駆け込んできた。
「何が起きた?」
「ジュール様! ビアンカ様の姿がどこにも!」
「いつからだ!」
村からの行商人と話しているうちに消えていた。
――連れ去られた。
怒りで、頭の奥が熱くなった。
「迎えに行く」
ジュールが姿を消した。
カー カー カー
「おかしいな」
「なにかの前触れか……」
突然、霧が立ちこめ、カラスが無数に飛び回る。
村人達は不吉だと皆、家の中に隠れた。だが窓は突き破られ、家の中までカラスが入り込む。
人々は山の上に住む、吸血鬼の存在を思い出した。
「ここにいれば見つからない」
荷車から降ろされたビアンカは、教会の床下に押し込まれた。
「んん……」
口を塞がれ、助けも呼べない。
もがき、逃げだそうとするが、男に腕をつかまれていた。
「ロザリア、一緒に逃げよう」
男は領主の息子、アイザック。
「大人しくしてくれ。ほら、これで楽になったろう」
「……お願い。帰してください」
「お前は僕のものだ。誰にも渡すものか」
「いや……」
また良くないことが起こる。
アイザックの顔が近づく。目は血走っていた。
ありったけの力を振り絞り、アイザックの体を押し戻した。
「苦労はさせない。ほら、金ならある」
袋には金貨。だがビアンカには黒い塊にしか見えない。手で払ってしまった。
アイザックがビアンカの頬を打つ。
ひっと、ビアンカが喉をなった。
「ごめんよ。そんなつもりじゃなかった……」
頬を撫でられ、ビアンカは体を固くした。
「僕が助けてやる。あの吸血鬼からも、父上からも」
男の顔は、真っ黒に歪んで見えた。
帰りたいと言いたいのに、喉がつまって声が出せない。
カー カー カー
カラスの鳴き声。
――呼ばれている。
ドン ドン ドン
ビアンカは壁を叩いた。
「静かにしろ!」
また頬を打たれた。
「……ジュール様」
「お前みたいな醜い娘、誰も欲しがらない。助けなど来ないんだよ」
前髪を掴まれ、ひきつった皮膚があらわになる。
――誰も。
頬を涙が伝う。
その時、頭上からバリバリと大きな音が響いた。床板が剥がされ、大カラスが覗き込む。
「ビアンカを返せ」
ジュールが姿を現した。
「ここにいるのはロザリアだ。誰が……」
赤い目が、光った。
男はその場に崩れ落ちる。
ジュールが腕を伸ばし、ビアンカを引き寄せた。
「もう大丈夫だ」
「ジュール様……」
震える体をかき抱いた。
「城へ帰ろう」
教会の前に黒い馬車が止っていた。馬は繋がれていない。
「これしかなくてね」
肩をすくめるジュールに、ビアンカは首を振った。
「怖くないです」
ジュールは微笑み、ビアンカの手をそっと取った。
二人が乗り込むと、馬車は音もなく霧の中へ消えた。
修道服を着た娘が、じっとその様子を見ていた。
「あれが、吸血鬼なの?」
絹糸のような黒髪に、透き通る白い肌。そして、あの赤い瞳。
この世の者とは思えなかった。
――あれは、自分のものだ。
娘は心を奪われてしまった。
「セレーナ様、まだお隠れになっていないと」
「家に帰るわ。馬車を出してちょうだい」
どうせ今頃、父が自分を探している。見つかる前に出て行けば、少しはましだろう。
「アイザック様はどういたしましょうか」
「連れてなど帰れないわ。お兄様も馬鹿よね。あの人形はお父様のものなのに」
父が人形に鞭を打つ時でさえ、一度たりとも止めなかったくせに。ずっとあれを狙っていたなんて。
「急いで、花嫁衣装を作らせなきゃ」
修道服を脱ぎ捨てたセレーナは、ほくそ笑んだ。




