第38話 城魔女
ビアンカは村の暮らしにもすぐに慣れた。だが、杖とのおしゃべりだけでは時間が余ってしまう。
バネッサにイゾルデの屋敷で下働きしたいと言うと、絶対にだめですと却下された。他をしたことがない。
「お願い。私も何か仕事がしたいの」
好奇心いっぱいのビアンカに、バネッサが折れた。
「外へ出てみましょうか。面白そうなものが見つかるといいですね」
魔女の村と言っても、男性の魔法使いはいる。ただし数は少ない。一人でいることを好む者が多いからだ。魔女達は力を合わせ、何でもこなさなくてはならない。
それぞれが得意の魔法を活かして職につくことが多い。火だったらパン屋、水だったら粉挽き小屋で水車を回す……。あとは好きに。誰も強制などしない。ゆっくりと時を重ねる。それが魔女。
村の通りを歩いていると、どこからかパタンパタンと機を織る音が聞こえた。
「面白そうね」
「ビアンカ様、機織りは相当の魔力がないとできません。そうですね。お得意の針仕事はいかがでしょうか」
「それなら魔法に頼らなくていいのかしら。私にもできるなら、やってみたいわ」
連れて行かれたのは、ジュールも贔屓にしている仕立屋だった。店に入ってみると、魔女達が夢見るように機を織っていた。思い思いに魔力を流し入れている。
「ビアンカ様はジュール様の奥方ですけど、新米魔女として扱って欲しいとのことです」
ビアンカも「よろしくお願いします」と頭を下げる。店で働くなど初めてで少し緊張気味。
「あの蜘蛛のドレスの。まあ、なんて可愛らしいんでしょう」
刺繍の腕は間違いないと、バネッサがハンカチを取り出して見せた。精緻な薔薇の刺繍は、王宮でも評判が良かった。
女主人アトラはビアンカの素性を聞いて驚きはしたが、すぐに仕事にかかっておくれと、小さな上着を渡してくれた。
「これはモーリア国から頼まれた品さ。うちにいる子達はみんな魔法に頼り過ぎる。確かに縫い目は綺麗だけど、面白みに欠けるんだよ。お前さんにできるかい?」
「あそこは、たしか……」
海沿いの小さな国だ。幼い王子の遊び着。ならば貝殻などどうだろうか。
貴族の着る服など柄はだいたい決まっている。それでもお気に入りの一着になれば。女王時代の知識が役にたった。
「それはいいね。どうせすぐに大きくなって着られなくなるが、いくらかでも楽しめるだろう」
アトラはビアンカ一人で刺すように言って、忙しく店の奥へ入ってしまった。
「頑張るしかないわね。ララ、そこで見ていてね」
ビアンカは杖に“ララ”と名付けた。ララの点ける火はいつも暖炉の中で楽しげに踊っている。ビアンカが歌えばほんのり光る。そんな杖だった。
「前はどんな方が使っていたのかしら。私、ララとは前からお友達だって気がするわ」
杖は返事をしない。それでも嬉しそうだということは何となく伝わる。
ビアンカは一針一針、願いを込めて刺していく。糸に絡まった魔女の祝福が縫い込まれていく。
「もし時間ができたら、ジュール様のお召し物に何か刺したいわ」
カラスにしようか、やはり薔薇だろうか。そんなことを考えていると、無性に会いたくなる。
「はあ。まだ十日しかたっていないのに。早く帰れるように応援してね」
幽黒城やジュールの話をすると、ララは気前よく魔法を教えてくれる。
最初は小さな種火。次は切り花を長持ちさせる魔法。雨水を煮沸しなくても飲めるようにする。どれもビアンカにとっては大魔法だ。
仕事を終えてイゾルデの屋敷に戻ると、バネッサが出掛ける準備をしていた。
魔女の正装、黒いマントに黒いドレス。頭にはイラクサの冠。
「ビアンカ様、用事で出掛けてきます。しばらく留守にしますが、心配なさらないでくださいね」
代わりにベロニカを寄越すと言う。
「イゾルデ様もアトラさんもいるから大丈夫よ」
「アトラが、ビアンカ様は筋がいいと褒めていました。杖とも相性が良かったんでしょうね」
魔女大先輩のアトラやバネッサに褒められたのは嬉しい。体も軽くなってきた。すぐにでも帰れるかも知れない。
「準備が整うまで、もう少し辛抱してください。ほら、ジュール様と一緒に薔薇を咲かすのでしょう?」
「わかったわ。それを目標に頑張る」
どこへ行くのかも聞かずに、ビアンカはバネッサが消えるのを見送った。知れて良い場所ならバネッサは言うはずだ。言わないのなら、聞いてはいけない。
◇◇◇
幽黒城の地下。
開かずの扉の前で、バネッサはジュールを睨み付けていた。
「なぜビアンカから離れた」
「守るために、ここへやって来ました」
「無理だ。ここはあまりにも濃い。お前を失うなどビアンカは望まない」
「私は百年近く修行を積んできました。すべてこのためです」
あの時、母が逃がした幼い魔女。よもや生きてここへ来るとは思わなかった。いくらイゾルデの元で修行を積んだとしても耐えられるものじゃない。
「必ずやり抜いて見せます。どうか結界を解いてください」
もし城魔女になれるとしたら、バネッサしかいないとも理解している。それでもジュールは開けようとしない。
「ビアンカ様はここへ戻るため、魔女となることを決めました。もし私が城魔女になれば、助けになるはずです」
城を覆うほどの魔力が、今も絶えずに奥底で脈打っている。なのに、まだ呑み込もうと口を開けている。ジュールでも扉の向こうへ入りたいなどと思ったことがない。
「ビアンカ様には時間がありません。人であったならあと数年。魔女になったとしても、どれだけもつかわかりません」
「僕が守る」
ジュールに死神は見えない。だが近づいて来たなら、牙を立てる覚悟もあった。
もうビアンカを失うなど考えられない。
それでもバネッサは杖を床に突き立て、扉の前から動こうとしない。
「……わかった。だがこれを連れて行け」
ジュールが一本歯を抜くと白いカラスが現れた。ジュールと同じ力を持つ。
扉が重い音を立てて開かれた。
「必ず、戻ります」
そう言って、肩に白カラスを乗せたバネッサは城の最奥へと歩き出した。
◇◇◇
階段などないのに、地下深く潜った気がした。どこまで行っても何もない。
空気は重く、いや、空気はないのかもしれない。魔力の中を彷徨っている。
自分の心臓の音だけが聞こえた。
杖が小刻みに震える。その度にバネッサは握り直した。
不意にカラスが、カーとひと鳴きした。
ここだ。
バネッサは杖を掲げ、城に呼びかけた。
「バネッサが城魔女の試練を受ける。決して逃げない」
返事代わりか、ゴーと渦を巻いた魔力が体を締め付ける。一瞬息が出来なかったが、杖が呑み込んでくれた。
「離しなさい!」
闇の中から無数の腕が伸びてきた。バネッサをつかみ、引き倒そうとする。カラスがそれをすべて払った。
バネッサは杖を床に突き立てた。杖は微動だにせず、自身の意志で立っているかのようだった。
また城から魔力が放たれた。
床が波打ち、大嵐の荒海に放り出された小舟に乗っている気さえする。
城から流れる魔力はすさまじいものだった。杖は絶えず震え、バネッサの頭の中を城の記憶が駆け抜けていく。
どれほどの憎しみ、悲しみだろうか。その中に優しい光も見え隠れする。
腐った死肉の匂い。灰となった吸血鬼達の叫び。
笑い。産声。
失った悲しみ。嘆き。そして新たな声。
すべてが混じり合い、やがて静寂が訪れる。
その繰り返し。
どれほどそこにいたのかはわからない。
最後に薔薇の香りと、カラスの鳴き声がして、終わったと知った。
まだ自分の足で立っている。その手には杖があった。
「ありがとう」
バネッサは杖を抱きしめた。共に生きてきた杖。これからも共にある。




