第37話 魔女の住む村
ビアンカが幽黒城に足を踏み入れると、城は一気に華やぐ。
花瓶の花はピンと上を向き、昼間だというのにコウモリ達が小鳥のようにさえずる。幽霊達までどこか踊っているように見えた。
二人の部屋で待っていたジュールが、腕の中にビアンカを閉じ込めた。
「ビアンカ、おかえり。道中、何か困ったことはなかったか」
「おしゃべりしていたら、あっという間に着きました」
でも寂しかったと言えば、ジュールがビアンカの額に唇を寄せた。
「ジュール様、道中何もなくても、ビアンカ様はお疲れですよ」
バネッサが荷を浮かせて運んできた。
扉が空いていたので入ってみたら、二人が抱き合っていた。ジュールはビアンカを当分離しそうにない。
「そうだな。横になって休むといい。少し顔色が悪い」
ジュールが心配そうにビアンカの顔を覗き込む。
「大丈夫ですよ。お土産に叔父様からワインをいただきましたの。一緒に……」
「ビアンカ!」
腕の中でビアンカの体が突然ぐらついた。ジュールの支えがなくては立っていられない。馬車に長く座っていたせいだと言っても、ジュールはすぐさまベッドへと運んだ。
「ビアンカ、もう君の城へ帰ってきたんだ。無理はするな」
「はい……」
夫の気遣いに頷き、まぶたを閉じた。なぜだか急に体が重くなった。薔薇園にも行きたいのに。
眠るビアンカの顔に血の気はなかった。息をするのも苦しそうだ。ついさっきまでは明るい表情だった。
「バネッサ、変った事はなかったか」
「無理などさせてはいません」
「そうか」
食事もきちんととって、休憩も入れていた。それにしてはおかしい。
「イゾルデを呼んでくれ」
「かしこまりました」
カラス達が一斉に飛び立ち、イゾルデを迎えに向かった。
すぐにやって来たイゾルデが、ビアンカの額に手を当てる。何も言わない。
「具合はどうだろうか」
おろおろするジュールの背を、イゾルデは「来い」と押す。黙ったまま地下まで連れて行かれた。
「何故ここへ?」
「原因がここにあるからだよ」
開かずの扉の前。その奥から、わずかに魔力が漏れ出ていた。
「城の持つ魔力か」
「そうだ。ビアンカにお前の魔力を与えたね」
「ほんのわずかだ。それに噛んではいない」
「少しでもそれが道となり、城へ入った途端、一気に流れたのだろう」
そして王家の血には、古くから魔除けの魔法がかけられている。ビアンカの体の中で、今、お互いを消そうとしていた。
「そんな。では最初からビアンカは、人としてしか生きられないと言うのか」
「諦めるのかい?」
「ビアンカが大事だ。わずかな時間を過ごす。それでいい」
ジュールが壁を強く叩く。ボロボロと剥がれ落ちるそばから、すぐに壁は再生する。
「こんな力。誰も救えない」
砂になった両親も、やっと手に入れた愛しい妻も。
「八つ当たりはおよし。そうだね。しばらくビアンカを預かろう。今は城から離れるしかないね」
「その先は」
「私を誰だと思っているんだい?」
「大魔女イゾルデ。妻を頼む」
ジュールは躊躇なく己の手首を切り、小瓶に血を滴らせた。不老の秘薬となる。これ以上の報酬はない。
「これは村の子達が喜ぶ。私もあと数十年はこのままでいられるねえ」
「好きなだけ持って行け」
「そうはいかない。魔女であっても、過ぎれば毒になる」
イゾルデの杖が小瓶にコツンと当てられ、蓋がされた。
◇◇◇
ビアンカが目を覚ますと、知らない天井が目に入った。
「一体どうしたのかしら……」
「ご気分はどうですか? ビアンカ様は魔力酔いにかかってしまわれたのです」
脇にバネッサが座っていた。
「どうぞ」
つるりと真っ白な水差しから、深緑の液体がグラスに注がれる。薬草茶だった。ビアンカの頭の中の霧が晴れて、呼吸も楽になった。
「ここは何処なの?」
「ビアンカ様、ようこそ。ここは魔女の村。大魔女イゾルデ様のお住まいです」
「ふふ。なんだか面白そうなところね」
壁には所狭しといろいろと飾られていた。ビアンカはもの珍しくキョロキョロと見回してしまった。
針のない仕掛け時計から、鳩がポポと顔を出す。くるくる回る羅針盤。見たことのない花が飾られ、薬草も吊してあった。
絵の中の住人がビアンカに手を振ってくる。
「こんにちは。お邪魔しています」
どれも可愛らしく、ついビアンカの口がほころぶ。
「当分ここで静養が必要だそうです。イゾルデ様を呼びますね」
少し目眩がしただけだったのに。そんなに重症だとは思ってもみなかった。初めて聞いた病気のようなそれに、自分がなぜかかったのかまでは教えてくれなかった。
今頃ジュール様は何をなさっておいでだろうか。ジュールの側を離れる。その方がビアンカにとって病気よりもずっと辛いことだった。
「突然移されて、戸惑っているのかい?」
振り向くと、いつの間にかイゾルデが椅子に座っていた。
「はい。いつ城に帰れますか?」
「体を魔力に慣らしていく必要がある。あそこは特別でね。今まで倒れなかったのが不思議だよ」
「それは、どのくらいかかるのでしょう」
「数年はかかる。だが覚悟があるなら、それよりも早く……」
数年も……。本当は今すぐにでも帰りたい。
「あります! 何でもしますから、早くジュール様の元へ帰りたいです」
イゾルデの言葉を遮って、即答してしまった。
「そんなにかい」
イゾルデは目を見開き、ジュールは果報者だと笑う。
本当は泣きたい。でも頑張れば早く帰れる。
「その覚悟とは、何でしょうか」
「本当の魔女になることだよ」
本当の魔女。今はベロニカからほんの少し魔力を分けてもらって、使えるようにしてもらっている。出来るのは幽霊達が見えて、ほんのわずか話が出来ることだけ。
「魔女になります。それは私の願いでもありました」
「そう言うと思ったよ」
イゾルデから渡された杖は、とても綺麗だった。真っ白に見えたが、少し奥の方に青みがあった。
「よく見つけられたね。さすが幽黒城の花嫁だ」
イゾルデの目が細められる。きっと特別な杖なのだろう。だが、憧れの杖は重かった。
「毎日話しかけて、杖を可愛がっておやり。そのうち杖が、魔法を教えてくれる」
「わかりました」
イゾルデが消えると、早速杖に話しかけてみた。
「初めまして。私はビアンカ。あなたに名前はあるのかしら」
杖はうんともすんとも言わない。
その日から、ビアンカは杖を傍らに置き、毎日話しかけた。




