第36話 記憶の欠片
「完全に新婚旅行でしたね」
バネッサは、ビアンカの幸せそうな顔に何か書いてあると、帰りの馬車の中であれこれ聞きたがった。
「王宮は実家のようなものよ。でも楽しかったわ」
何より嬉しかったのは、ジュールが両親の墓前で結婚の報告をしてくれたこと。墓の周りにだけ、“ビアンカ”が枯れない魔法をかけてくれた。ずっと側にいられる。
「ジュール様は黙っていても、なによりビアンカ様を大事になさってますからね」
「私も同じよ。誰よりも大切な方だわ」
ほんの少しらしいが、魔力を与えられたと聞いて、バネッサも思わずため息をつく。
「ついにそこまでなさいましたか」
普段言えないことでも女同士の気安さか、ビアンカはつい色々と話してしまった。本人がいたらとても言えない。
ジュールは用事があると言って、朝食が済むと先に帰城してしまった。
「ご用って何かしら」
「何でしょうね。愛妻を置いて行くほどの用事だなんて、さっぱりわかりません」
バネッサは知っていたが、ビアンカには内緒だ。
今頃ジュールはイゾルデと共に城の地下にある、空の棺の前にいるはずだ。
命日と言えばいいのか。前城主ジュリアンと妻ブレンダが灰になった日。
人のような行いだと笑われようが、ジュールは毎年決まって、この日に青薔薇を手向ける。もう百年は続けている。今年は青だけでなく、白の薔薇も供えられるだろう。
城はまだジュリアンとブレンダを覚えている。幼かったジュールを隠し、守り通してきた。
ジュリアンが消えたと知れ渡れば、色々な輩が城を狙ってやって来る。城は全てを黒く塗りつぶし、盾にしてきた。
そんな城の城魔女になることは容易いことではない。でもやり遂げて見せる。バネッサは拳に力を入れた。
「どうしたのバネッサ。顔が怖いわよ」
「いえ。もうすぐ城に着きますからね。気合い入れです」
馬車は元領主館の前を通った。バネッサは心の中でそっと手を合せた。
遠い昔。まだ幽黒城が、青薔薇城と呼ばれていた頃だ。人の街で暮らしていたことがある。
父は薬屋を営む、人だった。はぐれ魔女だった母は早くに亡くなったが、父は男手ひとつで一生懸命に育ててくれた。
忙しい父にお遣いを頼まれ、外へ出た時だった。
「お前、本当は魔女の子なんだろう。魔法を見せてよ」
隣に住む男の子に通せんぼされた。嫌だと言っても退いてはくれない。
「少しだけでいいんだ。こいつに、俺の友達が魔女だって、自慢したいんだ」
友達なのかよくわからない。だけど他に声をかけてくれる子はいなかった。隣に立つ初めて見る子にも、一度でいいから見たいとせがまれ、断れなかった。
「まだ上手く使えないの」
「何でもいいよ」
渋々杖の先から火を出して見せた。父が暖炉の前で「助かるよ」といつも頭を撫でてくれる魔法。
「やった!」
男の子達はゲラゲラと笑い出した。するとどこに隠れていたのか、魔女狩り隊がやって来て、腕を捕まれた。
「この魔女がいきなり火を出して、脅してきたんだ!」
「違うわ!」
何を言っているかわからなかった。
ただ、早く父を隠さなくてはと空に向かって隠匿の魔法を放った。
母がいざというときのために、杖に持たせてくれた一度きりの魔法。自分が捕まれば家族までが殺される。そんな時代だった。
叩かれ、杖を奪われ、引きずられた。そこへ異変に気づいた魔女が、縄を断ち切って助けてくれた。
その魔女は、魔女狩り隊の前に立ちはだかる。
「こんな小さな子に人を脅すような力などないわ。それも半分は人の子じゃないの」
「なぜそれがわかる?」
「私が魔女だからよ」
真っ白な杖を掲げる。紋章は付けていなかった。
「はぐれ魔女か。こいつの方が見せしめにはちょうどいい」
魔女とはいえ、子どもでは後味が悪い。それにどこか見覚えのある顔だった。
「青薔薇城にとりつく吸血鬼の手先だ。連れて行け」
「連れて行くなら私を! だめ! ブレンダ様を連れて行かないで!」
時折母のいない自分を訪ねては、困ったことがないか気にかけてくれる、優しい魔女。そんな方が、自分を庇って辱めを受けるなどあってはならない。
必死に訴えたが、自分もまた縛られた。魔除けの木で編まれたそれは、幼い魔女には切れなかった。
魔女狩り隊が、どこかに吸血鬼と子がいるはずだと探しに駆け出した。家族で歩いているのを見た者がいた。
それなのに、十字架に磔にされたブレンダは笑っていた。
「この悪しき行いはもう終わりになさい! もしここで同じことが繰り返されるなら、城も黙ってはいない。必ずこの地に報復する。呪われたくなければ、私を最後の生け贄にすると約束なさい!」
ブレンダの杖が一瞬、強い光を放つ。光はどこまでも空へ昇り、やがて領を覆った。
「でまかせに決まっている! 早く焼き殺せ!」
「そうだ。お前が火を付けろ!」
杖を返されたが、震えて、助け出すことも、逃げ出すこともできなかった。
一瞬だけ、赤い目をした小さな男の子と目があった。
その目は怯え、今にもこちらへ駆け寄ろうとしていたが、見えない壁が男の子を足止めしていた。
その時、ブレンダの声が耳元で聞こえた。
「大魔女イゾルデ様に知らせて」
それが最後の言葉だった。
その後の事はイゾルデに聞かされた。お前は悪くない、後悔はいらないと何度も言われた。それでもいつかは自分も誰かを守れるようになりたい。そうしてイゾルデに教えを請うようになった。
「ビアンカ様。この先、何があってもこのバネッサがお守りします」
「それは心強いわ」
城魔女になるには、血が滲むような魔女修行よりも、さらに過酷で辛い試練が待ち受ける。
膨大にたまった記憶をのぞき、魔力を身に受ける。呑み込まれ、倒れたら、二度と魔法は使えなくなる。命も尽きるだろう。バネッサは自分の体を両腕で抱いた。
「バネッサ、寒いの?」
「いえ。ビアンカ様こそ大丈夫ですか?」
向かいに座るビアンカの顔に、疲労の色が見える。
「到着まで、少しでもお眠りください」
「ありがとう。着いたら起こしてね」
ビアンカは隠しているが、前にベロニカがそっと教えてくれた。
『もう時間がない』
バネッサに迷いはなくなった。




