第32話 魔女の杖
イザークの屋敷の前には警備兵が立っていた。
ビアンカとジュールの訪れに戸惑う。ビアンカが住んでいたとは、誰も知らなかった。
「申し訳ございませんが、中の物は一切持ち出しはできません」
「大丈夫よ。最後にお別れを言いに来ただけだから」
債権者達がすでにやって来て、金目の物は押えられていた。
ビアンカは伯父が残したものが、本当に母のものなのか疑わしいと思っている。
ジュールも「約束しよう」と警備兵の前を通り過ぎる。
「ジュール様、銀に触れないよう気をつけてくださいね」
あちこちに魔よけが置かれていた。
「心配ない」
ジュールは分厚い皮の手袋をはめる。ビアンカは、いつの間に用意したのだろうと、きちんとはめられているか確かめた。
母アンリエッタの部屋は三階の一番日当たりの良い場所にあった。
伯父は吸血鬼が妹を狙うのでは、ドアノブ、格子の入った窓にも銀を使う念の入りよう。
雨漏りした痕がある薔薇模様の壁紙。小さな化粧台。本棚は空っぽだった。
修繕人も入れなかったのかと、ビアンカはため息をつく。本は母が持って出たか、伯母に処分されたのだろう。
「ここにお母様がいたのね。実は一度も入れなかったのですよ」
「ここは……」
ジュールは扉の前で立ち止まり、中へ入ろうとはしなかった。
「どうされましたか」
「まるで牢獄だな。驚かないのか」
「母から窮屈な生活をしていたとは聞いていました。あの伯父のことですから」
使用人に厳しい。それをどうしても止めることは出来なかったと母が一度だけこぼしていた。まさか母の兄が使用人に体罰を与えているとは思わなかった。
「母にだけは優しかったそうです」
「人とはわからないものだな」
だがジュールは床をじっと見ていた。妹に優しかったのではない。怖かったのだ。
この部屋の真下、地中奥深くから漏れ出る魔力を。
アンリエッタが、なぜ無事に過ごせていたのかはわからない。
怨嗟と魔力が混ざり合い、ジュールは目眩を覚えた。
領主の屋敷が移されるずっと昔のことだ。ここは罪人や魔女を焼く処刑場だった。
そんな忌まわしい場所にと訝ったが、当時の領主は魔を恐れず、自分はその上に立てるとでも思ったのだろう。
「ビアンカ、もう見るところはないのか」
「もう一度だけ、自分の使っていた部屋へ」
懐かしむためではない。部屋の隅で俯いていた自分に、胸を張って会いに行く。
突然、無気力だった自分が幽黒城へ行くことになって、もう人の世界には戻らないと思った。なのに城の主は追い出さず、城は迎え入れてくれた。今では街の人も。
あの頃の自分に「居場所ができたの。罪はなかったの」そう言ってあげたい。
ビアンカの部屋は屋根裏に近い四階にあった。
「ここか」
「ええ。殺風景でしょ。でもこれが良かったのです」
薄い敷物。ベッド。戸棚。花瓶にはカラカラに乾いた花が一輪。祈るためだけの部屋。
ビアンカはじっと部屋の真ん中に立ち見回した。
「持って出なければいいのだったな」
部屋は白薔薇で埋め尽くされた。
◇◇◇
バネッサは、魔女の住む村の中央に建つ、イゾルデの屋敷にいた。
「よく、見つけてくれた!」
イゾルデはバネッサが大事に抱えてきた包みを開き、声を上げた。
「これは、ブレンダ様の杖ですね」
「そうよ。私の姪ブレンダの杖だよ。主を失って隠れていたんだろう」
賢い杖だと愛おしげに触れる。白い杖は傷ひとつ付いていなかった。
子だけは何があっても守らなければならない。
ジュールを城へ連れ帰り、すぐに引き返した。だが、杖は消えていた。
「ビアンカ様の住んでいた屋敷の床下にいました。厨房のあたりです」
怖がらせるために屋敷内をうろついていたら、ほのかに薔薇の香りがした。
辿ってみると床下から、知らない杖に呼ばれた。
驚いたバネッサは床板を外し、朝までかかって掘り起こした。
そして出てきた杖には、懐かしい魔女の気配がした。抱きしめて泣いた。もう二度と会えない魔女。
少しでも近づきたくて、必死に修行した。いつか幽黒城へ。それが叶った今でも、苦しさは消えない。
「ああ。ブレンダは火の扱いが上手かったからね。火の側で眠ることにしたんだろう」
「ジュール様に返すのですか?」
吸血鬼は杖は使わない。だが、ジュールは魔女の子でもある。
「今はまだ返す時じゃない。いずれ時が来たら渡すとしよう」
ブレンダの杖は、石の箱に収められた。




