第30話 彷徨う吸血鬼
翌日も街へ出たビアンカは、戸惑いを隠せなかった。
「どうしてなの……」
やはり人の目はどこか冷たかった。
顔なじみになった子ども達も、親がビアンカに近寄るなと腕を引っ張り、家の中へ押し込んでしまう。一瞬目が合っても、何か言いかけて、反らされる。
まるでビアンカをいない者としているようだった。
いつものパン屋で、いつものパンを籠に入れてもらった。
「ありがとう……」
ビアンカの元気のない声に、女将はため息をつきながら、小声でそっと教えてくれた。
「ビアンカ様が悪いんじゃないの。でもね、吸血鬼様に夜うろつかれるのは、みんな怖いのさ」
「うろつく? ジュール様が? まさか」
「見たって者がいるんだよ。夜道を赤い目をした男が歩いていたって。若い娘の家の前をうろついていたなら、間違いないだろう」
誰が見たのか聞いても、噂だからと要領を得なかった。
「違うわ。ジュール様は用もないのに城の外へはお出かけにならない。それに、訳もなく人を傷つけるような方ではないわ」
自分を見ろと、手提げから銀貨を取り出し掌にのせる。ビアンカの体に何も起きない。
「ずっとそうやって歩く気かい。およしよ」
パン屋の女将は、ビアンカの言葉なら信じる者もいるが、皆が皆、そうではないと言う。
「バネッサ。宝飾店にある一番大きな銀を買いに行きます」
「ビアンカ様、そこまでなさらなくても。ひとまずジュール様に相談いたしましょう」
ビアンカだって城に銀は置きたくない。
女将に必ず違うと証明してみせると言い残し、ビアンカは店を後にした。
薄暗い方が落ち着くからと、馬車の窓にはカーテンが引かれた。少し頭を冷やしたい。
「ねえ。バネッサ。女将さんは、噂って言っていたわよね。それに若い娘の家だなんて、話が作られたみたい」
「そうですね。昔、若さや美貌を求めて、貴族の娘が城へ忍び込んだことがありましたからね。それを利用されたんでしょう」
それ以来、城の周りはカラスが目を光らせるようになった。
吸血鬼の魔力。知られているのは治癒や再生、自身も人とは比べものにならないほどの時を生きる。
そんな魔力にすがり、欲しがるのは、ほとんどが残り時間の少なくなった者。強欲に寿命を延ばそうと密かに頼みに来る者もいる。
共に生きるためならともかく、先の長い娘に、貴重な魔力を与えることはない。
◇◇◇
「助けて! 誰か、助けて!」
路地から若い娘が這うようにして出てきた。
仕事帰りに近道をしようと路地に入ったところ、後ろから誰かに襲われた。
娘の服は引き裂かれ、首が露わになっていた。
「目が光っていたわ。吸血鬼よ。吸血鬼が出たんだわ」
銀の鎖を付けていたから助かったと、泣きながら駆けつけた警備兵に訴えた。
警備兵達は顔を見合わせ、懐に忍ばせてある銀のナイフを確かめた。
いくら警備兵が見回りをしようが、それは、毎夜どこかで起きた。
街を知っている。あの高い場所から見られている。瞬く間に噂は広まった。
とうとう酒場も閉じられ、夜の通りに人の姿は消えた。
ある夜、街の鐘がけたたましく鳴り響いた。
「死人が出たぞ!」
大店の一人娘が、部屋で首から血を流し倒れているのが見つかった。銀は身につけていなかった。
「メアリー! お願いよ、目を覚ましてちょうだい! あれほど銀を離すなと言ったのに!」
母は、変わり果てた娘の体にすがって泣き続ける。
「許さん! 必ず捕まえろ!」
父親は怒りに震え、警備隊長を呼びつけた。同時に医者も駆けつける。
「息絶えている」
娘の胸にそっと十字架が置かれた。
「探せ! まだ近くにいるかも知れない!」
警備兵達の靴音が、四方八方に散っていった。
闇に隠れていたカラスが動き出す。
どの家も店も、朝まで灯を消せなかった。
だが、ただ一軒だけ真っ暗な屋敷があった。
暗闇の中でアイザックは、自分の手を見下ろしていた。銀の鎖がジャラリと指の隙間から落ちる。
「はは。今頃、大騒ぎだろうな」
乾いた笑い声が漏れる。娘溺愛のあの父親が黙っているはずがない。
この街を出されてから、娘との婚約は破棄された。忍び込み「迎えに来た」と耳元で囁きながら、この手で元婚約者の首に針を刺した。
娘の、なぜ? という顔、自分の名を呼ぶ声が頭から離れない。
別に誰でも良かった。ただ、被害者が必要だっただけだ。
父とは違う。そう思っていたのに、同じだった。
すべてを奪われたことへの復讐。
元から何もなかったのだと、認めることも出来ない。
屋敷の鍵はかかっていなかった。
扉は音もなく開かれ、暗闇の中、靴音だけがした。
「隠れていないで、出てこい。それともあぶり出されたいか」
静かな声は、屋根裏部屋にまで届いた。
ギシッと階段を上る靴音に、潜んでいた男はナイフを構える。その手はブルブルと大きく震えていた。
靴音は扉の前で、ピタリと止まった。
「そんなもので、殺せるとでも思っているのか。お前の妹もそうだった」
カタン。
固い床にナイフを落としてしまった。
「セ……セレーナはどこにいる? あれもお前がやったのか」
「まさか。望みが叶って、今頃どこかで馬鹿騒ぎでもしているだろう」
「嘘を吐くな! 吸血鬼など信じるものか!」
「おやおや。信じもしないものを真似て、罪もない者を手にかけるなど。人の方がよほど恐ろしい」
吸血鬼は、ノブをカチャカチャとまわすが、決して扉を開けない。
アイザックはどうにかナイフを拾い上げた。姿を見せないのは、これが怖いからだ。
屋敷を歩き回る重い靴音。近づき、また遠退く。
アイザックはまんじりともせず、ひたすら扉を睨んでいた。
もうすぐ夜が明ける。太陽さえ昇れば、勝ちだ。何食わぬ顔をして、犯人を見たと警備隊へ行く。そして二度とこの街には戻らない。
いつの間にか気配が消えた。気づくと、もう日は高い。
「ははは。これで、あの城も終わりだ。ロザリアが泣き叫ぼうが、あれは焼かれる。僕を選ばなかった、罰だ」
そこへ自分が現れる。哀れな従妹は今度こそ、僕だけを見るだろう。
階段を上がる音がした。もしかしたら、ロザリアがここにいると気づいたのかもしれない。
「僕はここだ!」
扉を開けると、大勢の警備兵がなだれ込んできた。
「こいつが犯人だ!」
「捕まえろ!」
アイザックは大した抵抗も出来ず、縄で縛られた。
「なぜだ! 僕が何をしたと言うんだ! 捕まえるならあいつだ」
「あいつとは誰だ?」
「吸血鬼に決まっているだろう」
「ジュール様なら昨夜は一歩も城を出ていない。城には王宮から客が来ていたからな。朝まで話し声が確認されている」
そんな馬鹿なとアイザックは叫ぶ。吸血鬼はここにずっといたのだ。
「それに、なぜって……殺された娘の部屋からここまで、お前が連れて来たんだろう」
道に点々と血が付いていた。
日が昇り、警備兵のひとりが見つけ、辿って来た。
「僕じゃない! 奴に騙されるな!」
「聞かせてやれ」
警備隊長が手をあげると、警備兵が姿絵をアイザックの前に置いた。
『何故なの……アイザック様……私を愛してると言ったのに』
アイザックの顔が蒼白になる。メアリーの声だ。
「娘は何と言っている? その様子だと自分の名でも呼ばれたか」
絵は繰り返し何度も、自分を裏切った男の名を呼んでいた。
「この屋敷にいた魔女は、死んだ者の最期の声が再現出来るそうだな。よくイザークが自慢していた」
警備隊長がいくら力を貸して欲しいと言っても、イザークは首を縦に振ったことはない。
「立て! ここはもうお前の家ではない」
アイザックは後ろを振り向くことはなかった。
自分には、最初から何もなかった。それだけはようやく分かった。




