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第28話 願い

 明け方、ジュールはイゾルデと薔薇園に来ていた。


 姿の良い白薔薇を一輪選び、黒い羽に乗せる。

 羽はふっと消えた。ビアンカが目を覚ます頃には届くだろう。


「まだ、眠れないのかい」


 大叔母イゾルデの声はどこか優しげだった。姪夫婦が残した子をただ案じる。


「体もずいぶんと軽くなった。なのに眠れないな」


 土は柔らかく、水も空気も澄んでいる。地力が幽黒城にまで戻ってきた。青薔薇も今は静かに開花を待っている。


 それでも眠れないのは、ビアンカがいないからだ。


 つい城のあちこちを探してしまう。


 厨房の隅。図書室のいつもの席。地下の白い棺。どこにもいるはずがないのに。


「迎えに行っておやり」


 ジュールは答えなかった。今すぐにでも飛び立ちたいが、選ばれることを待っていた。


 カラスの目を通して届くビアンカは輝き、凛と咲き誇っていた。


 もうあの厨房の隅でひとり蹲っていた娘はいない。だが、どこか寂しげな顔をする時がある。


 もしそれが、自分のためのものだったら。


 それを思うと眠れなくなる。


 この目があれば引き寄せることもできるのに、目が離せなくなったのは自分の方だった。


 ジュールはふうと深いため息をついた。


 時間がこんなにも長いと思ったのは初めてだった。


「魔女達がずいぶんと手を貸してくれたようだな。僕からも礼を言う」


「おや。やけに素直だね。それにお前ほどではない」


 お互いをクスリと笑う。


 それでも動こうとしないジュールにイゾルデは呆れる。


「まさか、あの白い棺桶を空のままにしてはおかないのだろう?」


「どうかな」


 ――ビアンカを人のまま見送る。


 思い出だけで、ひとり生きるのには慣れている。

 それでは何も埋まらないことも知っている。


「ビアンカ……」


 声は霧の中に消えた。


 ◇◇◇


 畑が黄金色に染まった。風に吹かれた穂が波のように揺れる。


 ビアンカは目を細め、それを見つめていた。金のブローチをそっと握りしめる。


「お父様の描いていた景色だわ」


 父の書斎から見つけた調査報告書を、ビアンカは夢中で読んだ。


 父ロベルトは、吸血鬼が咲かせる青薔薇だけに頼る国のあり方に疑問を抱いていた。


 本来、青薔薇は豊穣を祝うために咲かされたのではないか。


 それがいつの間にか、「咲けば豊穣が約束される」と言われるようになっていた。


 確かに翌年は穀物庫はすべてが埋まった。だが詳しく調べてみると、開花しても大きな争いがあった年には実らない。


「大地が怒っている」と魔女からの警告、それを鎮めるように薔薇を咲かせた記述を見つけた。


 ロベルトは弱腰だと言われても、決して無駄な争いを許さなかった。


 そして国中から種を集め、精査させていた。地力にあった種を見つけ出す。


 その結果がすべて残されていた。


「お父様は正しかった。青薔薇が咲かなくても、こんなに豊かに実った」


 父と同じ青い瞳が揺れた。


 ◇◇◇


「ロザリア様、クラリス様がお見えです」


「叔母様、出歩いても大丈夫なのですか」


 ロザリアは、大きなお腹を抱えたクラリスの手を取り、そっと座らせた。


「ありがとう。この通り私もお腹の子も元気よ。ただオスカーが心配して出さないだけなの」


 優しく自分のお腹を撫でるクラリス。触らせてとビアンカも手を伸ばした。


「今、蹴ったわ。男の子かしら。とっても元気ね」


「あなたが城を出る前には生まれそうよ」


「ええ。楽しみです」


 幸せそうなクラリスに、ロザリアは私もと思うが、口に出せなかった。


 ――あの人はそれを望んでくれるだろうか。



 出産を待ち、ロザリアからクラリスへ王冠が渡された。


「クラリス女王陛下。幽黒城からのお祝いにございます」


 ビアンカの手にはオレンジの薔薇。「いつまでも共にある」と。


 ◇◇◇


「これでやっと帰れますね。ここは肩が凝って仕方がなかったです」


「バネッサ。本当にありがとう。苦労させてしまったわね」


「いえ。ビアンカ様の疑いも晴れて、清々しました。女王陛下付きの魔女も悪くなかったし。でもこれからは幽黒城の城魔女になるために杖を振るいます」


 頼もしいと言うビアンカの隣で、ベロニカはひどく寂しそうだった。


 ベロニカがぽつりと呟く。


「杖、いいな」


 ベロニカの杖は、もう施しようがなく土に還っていた。


 バネッサが、黒く曲がりくねった杖を取り出した。


「はい。これからはこれを大事にしなさい。きっと白に戻るわ」


「これ、お婆ちゃんの杖よ!」


 バネッサから杖を奪うように手にとった。間違いない。


 身寄りのないはぐれ魔女だった自分を、「店を手伝いな」と住まわせ、わざと魔法をかけるのを見せてくれた魔女がいた。


 師匠と呼べば違うと言われ、お婆ちゃんと呼べば背を向ける。そんな人だった。別れてから居場所を変えたのか、消息がわからなかった。


「これをどこで」


「それは言えない。私が持っていても使えないから、ベロニカにあげるわ」


 ベロニカが杖を握りこむと手に馴染む。杖も新しい主を気に入ったようだ。


「今、ほんの少し光った気がするわ」


 ビアンカが杖を不思議そうに見ていた。


「私にも杖を使うことは出来るのかしら」


「お嬢様に私の魔力をほんの少しですがお渡ししていますから、使えるかも知れませんね」


「杖は、どうやって手に入れるものなの?」


「簡単ではないですね。家に代々伝わる杖もあれば、今はほとんど姿を見ない杖職人に作ってもらうかです」


「そうなのね。いつか私も魔女の仲間入りがしたいわ」


 もし魔法が使えたなら、一緒に薔薇を咲かせたい。


 あの強大な魔力の前では笑われるかも知れないが、それでもとビアンカは願う。

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