第26話 光の中で
ロザリアを女王にと望む声は高かった。
城を縛る重い鎖は解かれた。すぐにでも幽黒城へ帰りたい。
「ロザリア。あなたの気持ちはわかるわ。何よりもあなたは幽黒城の城主ジュールの妻ですものね」
でも。とクラリスは続けた。
「私は兄ロベルトの隣に妻アンリエッタの名をここに記したいの」
王族の系譜。ロベルトの隣に名はなかった。ロザリアの名も。
「女王の母なら名は記せる。どうかしら」
ビアンカはすぐには答えられなかった。ジュールが待ってくれているはずだ。
でも、父もそれを望んでいたのなら、こんな機会は二度と訪れない。
身分の低い母と子を守るために、いずれ自分の力が万全となるまでの間、父は隠し通した。それほどまでに危うい立場にあったのだ。
「それならば。ただし一年です」
母は決して前に出ようとはしなかった。
父を愛し、ひたすら支えつづけた母を誇りに思っている。
父と母。そして娘である自分の名を一緒に刻みたい。
「ええ。それにあなたにはやりたいこともあるのでしょう。女王が望めばすぐに許可が出るわ」
「クラリス様、なぜそれを」
「庭番に相談していたと、あなたの侍女が言っていたわよ」
「バネッサったら」
「早くしないと、あの子達が……」
ビアンカがしっと指を立てた。
「それに、アンリエッタに変わって、私にあなたの嫁入り支度をさせてちょうだい」
「クラリス様。とても嬉しいです。今度は堂々と門をくぐります」
逃げ帰った花嫁の衣装を着せられ、捨てられるように城へ行けと言われた。
まさか本当に吸血鬼がいるとは思わなかった。
ただ、母が見たかったという青薔薇を咲かせたかった。
もう自分を圧し殺し、何も持たなかった娘はいない。
「私の隣には、ジュール様のお名前を刻んでください」
「当然ね」
クリスタが笑顔でうなずいた。
◇◇◇
ビアンカは真っ白なドレスに身を包み、胸に継承者の証である金のブローチを着けた。
今日から私は、第一王子ロベルトの娘ロザリアだ。
「行ってきます」
ジュールの薔薇に口づけ、ロザリアは、皆が待つ大広間へ向った。
すでに玉座の箱は、蓋が閉められないほどの札が入れられていた。
「ありがとう。ロザリアは、この国のために尽くしましょう」
それは嘘ではない。たとえこの城を離れてビアンカに戻ろうと、国を思う気持ちは変わらない。
クラリスの手によって、ロザリアの頭に王冠が載せられた。
窓から光が降り注ぐ。温かな風が吹いてきた。花びらが風にのり、ロザリアの唇に触れた。
「青……青薔薇が」
――祝いだ。受け取れ。
どこからか、あの優しい声が聞こえた。
青い花びらが大広間を埋め尽くしていく。
敷き詰められた花びらの上を、ビアンカは歩いた。
そして、両腕を高く伸ばした。
愛しい人に、この手をとって欲しい。
「ジュール様。私に青が見えるの。色が見える……」
ビアンカの目から涙があふれる。
自分にかけ続けていた呪いは、ようやく消えた。
◇◇◇
焼け跡は綺麗に整地され、薔薇が植えられた。不思議と、小さな苗も翌日には花を咲かせた。
花びらをそっと揺らして、ビアンカは微笑む。
ここに王家の新しい礼拝堂が建てられる。
先にロベルトの棺は妻アンリエッタの隣に移された。そこにロザリアの墓標はない。
「お父様。お母様。ゆっくりお休み下さいね」
「お嬢様! あそこに!」
ビアンカが振り向くと、薔薇の中で微笑む両親が立っていた。
「……」
ビアンカの唇が動く。声には出さなかった。
確かに目が合った。微笑みをかわした。それで十分だった。
カールの部屋で見つかった遺体は、カール本人だとされた。
胸に付けた銀のブローチは黒ずみ、ひび割れていたが、本人で間違いないと判断された。
クラリスの手で丁重に、ブローチと共にハンセルの隣に埋葬された。
「お父様、これでいいですか」
ハンセルは、シュバルツがカールを。カールもまたシュバルツを変えると信じて待っていた。それをずっと悔やんでいた。どちらも救えなかったと。
女王となったロザリアは、カールとその影武者であったシュバルツを隠すことなく、公表し記録させた。犯した罪もだ。
額の傷すら隠さない。
「正直、それは必要ないと思っていました」
「確かに存在した者を消すなどできません。私がこうしてここにいるのも、理由がどうあれ、忘れられなかったからです」
傷もそうだ。あの惨劇を忘れないために。
ロザリアの側近となったオスカーが目を細める。この方はやはりロベルト王子の娘だ。
「お父上もきっと同じことをされたでしょう。曲がったことだけはなさらなかった」
父の事はあまりよく知らなかった。王宮の役人だと思っていたこともある。
魔法が使えたら、毎日二人に会いに来られるのにと笑っていた、優しい父しか知らない。
父の私室に入ることが許された。あの夜から、何ひとつ動かされず残されていた。
ベッドの脇に、小さな母子像が置いてあった。よく見ると母にそっくりだった。女神に抱かれた子は私だ。
続く隣の部屋は整えられ、王子妃を迎える準備がしてあった。
母は父と暮らせることをとても楽しみにしていた。どんな困難でも受け入れる覚悟を決めていたのだろう。
どちらの窓からも小さな薔薇園が見えた。
「あっ!」
突然声を出して、ロザリアが駆けだした。バネッサがそれを追う。
「ロザリア様、待ってください! 急にどうしたのですか?」
「バネッサ。見て。ここにも青よ」
ここに咲くはずはない青薔薇。
幽黒城から贈られた“ビアンカ”のつぼみが、うっすらと青く染まっていた。
「あんな場所からよく見つけましたね」
「ほら。カラスちゃんが教えてくれたのよ」
ビアンカを追ってやって来た門番カラスが、木の上からご褒美をねだっていた。
「幽黒城は、青薔薇で満開なのかしら」
ロザリアの声は弾んでいたが、バネッサは首をふった。
「あの時の花びらは、つぼみを散らしたもの。きっと今頃、城の薔薇園は何もないと思います」
「そうだったのね。でもきっと咲くわ。だってジュール様がいらっしゃるもの」
ここにつぼみを付けたのは、城が正されたからだ。
この国を正す。きっとそれが、ジュールの助けになる。
「バネッサ、行きましょう。ベロニカも手伝って。これからやらなくてはいけないことが山ほどあるわ」
ビアンカに戻るのはそれからだ。




