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第25話 荊の冠

 戴冠式までひと月。城中、誰もが大忙しだった。


 食事が運ばれない。手紙の遅配。衣装の仮縫いでは針がわずかに肌をかすめる。無造作に生けられる花。


 シュバルツは忙しさのせいだとした。自分のために城が動いている。気分が良かった。


「ここをカール様が通られる」


 使用人達が手を止めて並ぶ。決して顔をあげてはいけない。


 護衛を引き連れたカールが通りすぎる。


「ちっ」


 誰かが舌打ちする。


 だがそれを護衛に咎められることはなかった。護衛もまた、前を歩くカールから目を反らしていた。


 その背は、倉庫近くの廊下で闇に消えた男に似ていると、密かに囁かれていた。



「賓客の出迎えはどうなっている」


「準備は整えてあります。ただ、参列をすると返事が来たのが、あまり国交のない国ばかりなのですよ」


 オスカーが、参列者リストを見せた。


「急とは言え、少ないな」


 これは外交に行く度に恥だけ残してきたカールのせいだ。今後は変わるだろう。


 毎朝、“カール”を確認しなくてもいいはずなのに、姿見の前に立つ。


 それも今日で最後だ。


「醜悪だな。だが悪くない」


 薔薇の蔦が王冠のように、頭に巻きついていた。


 鏡の中のカールは応えない。表情も変えずに冷たい目のままだった。


「まだ自分をカールだと思っているのか。無能なお前には、この荊の冠がお似合いだ」


 豪奢なマントを翻し、ほくそ笑むシュバルツは戴冠式へと向かった。


 ◇◇◇


 シュバルツが、大広間を見つめたまま呟く。 その声は、すぐ後ろに立つオスカーにしか聞こえない。


「これはどうしたことだ」


「外国からの賓客は皆、途中で引き返しました」


 オスカーは、ただの事務報告のように答えた。


「理由は?」


「がけ崩れ。狼に襲われた。各国の城魔女が呼び戻したとの報告も」


 この期に及んで恥を掻かされた。許しがたい。人がいるはずだった床を睨み付けた。


「あら。参列者がいないわね。道理で静かだと思った」


 クラリスの声が、がらんとした大広間に響く。


「あなたを迎えようとする臣下も、ずいぶんと少ないのね。この人数では、とてもあなたの上に、冠は載せてあげられないわ」


 この場でもう一度、第一継承者の名が呼ばれ、臣下はそれぞれの家紋が記された札を玉座の前の箱に収める。


 箱が満ちなければ、次の継承者の名が呼ばれる。


 その名を呼ぶ司祭すら、ここにはいなかった。


「誰の企みだ?」


 だがシュバルツが睨んだ先は、オスカー。クラリスひとりでできるはずがない。


「クラリスはもう王家を出ました」


「では継承者はやはり私ひとりだ。札など後でいくらでも集まる」


「いるわよ。ここに」


 クラリスがビアンカの手を引き、玉座の前に立たせる。


「ロザリアはまだ私の妻ではないぞ」


「そうね。でも第一王子ロベルトの子よ。第二継承権はロザリアにあります」


「ロザリアは幽黒城に嫁いだのだろう。無効だ」


「おかしなことばかり言うのね。あなたがそれを認めなかったくせに」


 クラリスが扇を広げると、大広間の扉が開かれた。司祭を先頭に続々と臣下達が集まってきた。


 皆が集まり、静寂が戻る。


 シュバルツが奥歯を噛みしめる。玉座までほんの数歩。ここで塞がれてなるものか。


「では、王になるかふさわしいか、ここで証明して見せろ。こんな小娘に何ができる。この国をここまで支えてきたのは私だ!」


「違います。あなたは歪めてきただけです」


 ビアンカの小さいが凛とした声。


 ここにいる者すべてが耳を傾けた。


「そうか。あの吸血鬼はこの娘を使って、国ごと狙っていたのか。騙されるな。魔の者に渡してはならない」


 ――黙れ


 頭の中に響く声が、シュバルツを縛り上げた。息も出来ない。


 ――お前は悪魔に心を売った。それはここにいる者が知っている。


 シュバルツの目の前に、ロベルトとアンリエッタが現れた。


 屋敷にいた使用人。他にもシュバルツに殺された者達がシュバルツをとり囲む。


 ――覚えているだろう

 ――私達は殺された

 ――殺したのはお前だ


 油の匂い。火を付けた瞬間。懇願。悲鳴。ナイフの先で止まった震え。すべてが蘇る。


「違う! 殺したのはカールだ! カールが仕組んだ。すべてカールだ!」


 大広間中、何事が起きたかとざわつく。


 突然、カールは倒れ、床を転げ回った。

 暴れ、服を掻きむしる。


 ロベルト夫妻を殺害したのはカール。


 そうカール自身が叫んでいる。もう言い逃れは出来ない。


 もがけばもがくほど、見えない薔薇の蔓がシュバルツを締め上げ、棘が深く食い込む。目の前が、真っ赤に染まる。


「……赤」


 こんなことができるのは、あの吸血鬼より他にいない。


「お前も道連れだ!」


 口から泡を吹きながら、シュバルツはビアンカの足元へ這いずってきた。


 あまりの恐ろしさに、ビアンカは後ずさる。


「あれを捕らえて」


 クラリスはビアンカを抱きしめ、シュバルツを指さした。


「離せ! 私じゃない!」


 クラリスは、連れて行かれるカールを見ることはなかった。


 ◇◇◇


 シュバルツが目覚めると、牢に寝かされていた。


 冷たく固い石の床。

 そこにカラスの羽が一枚落ちていた。


「許さない!」


「何を許さない?」


「元に戻せ!」


「お前を変えたのは私ではない。お前が選んだんだ」


 声はそれきり聞こえなくなった。


 自分でこんな道を選ぶわけがない。


「食事だ」


 牢番が盆を持ってきた。


 水と野菜の切れ端が浮くスープ、小さなパンがひとつ。


「こんなもの!」


 投げ付けようとして、ふと思い出した。


 傾いた扉。薄暗い部屋。火の落とされたかまど。


 水と欠けた皿にほんの少しのスープと固いパン。いつも自分の前にだけ置かれた。


 それなのに「一度でいい。腹いっぱいに食べてみたい」と言って、母を悲しませた。


 その後、立派な服を着た男に手を引かれ、両親に手を振った。母はうずくまって泣いていた。父の手も震えていた。だが見ない振りをした。


 憎みながら、カールを羨ましいとも思った。


 いつから自分は、自分を捨てたのだろう。


 気付くと牢の鍵は空いていた。シュバルツは抜け出し、隠し通路を使って私室へ辿り着く。


 鏡の前に立つと、“カール”が待っていた。


 一瞬、誰だかわからなかった。


 髪は真っ白に変わり、目は落ちくぼみ、唇はひび割れ、頬はこけていた。死人のようだ。


 刺さった棘が、するすると抜け落ちていく。棘は時間を吸っていた。もうシュバルツに残された時間はない。


 頭に巻かれた蔓から、黒い薔薇が咲きはじめた。


「金の冠だ。とうとう私は手にいれた」


 鏡の向こうでカールが笑う。


 そして、カールが冠に手を伸ばしてきた。


「触るな! これは私のものだ」


『私のものだ』


 鏡の中から伸びた蔓が床を這い、シュバルツの足に絡みつく。


 しだいに蔓は、シュバルツをすべて飲み込んだ。


「やめろ! 離せ!」


 抗えないほどの力に、シュバルツは鏡の中へ引きずり込まれる。


「違う!私はカールなんかじゃない!」


 ガシャン!


 大きな音に警備兵が扉を開けた。


 中には、割れた鏡の上で、枯れ木のような老人が息絶えていた。


 その頭には、黒い薔薇が一輪咲いていた。

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