第23話 根
カールの執務室に呼ばれたビアンカは、顔を伏せ、拳を握りしめていた。
「なぜ呼ばれたかわかるか」
ビアンカの前に置かれたのは、民からの陳情書。
「私にどうしろと」
「咲かせるように言え。妻なんだろう?」
「できません。あの薔薇は神聖なものです。私にはわかります」
「神聖だと? 獣が作るまやかしだ。お前は言われたことだけすればいい」
――第一王子が亡くなってから、青薔薇が咲かなくなった。
城から離れようとしない幽霊達は、皆そう口をそろえた。嘘など言うはずもない。
それにあれだけの魔力を操るジュールが、咲かせられないなどおかしい。
まるで薔薇が開花を拒んでいるかのようだ。つぼみのまま待っている。
「あなたが真実を語り、正しい行いをしない限り、青薔薇が開くことはありません」
「私はいつだって正しい。お前のような小娘に何がわかる。ロベルトは負けた。あれが立てばこの国は人ではなく、魔が治めるようになっていた」
「父はいつも、魔女も吸血鬼も良き隣人だと仰っていた。それをあなたが、悪に仕立て上げたのでしょう」
「そこらを這いずり、飛び回る虫と同じだ。害虫を排除して何が悪い」
この男には何を言っても無駄だ。ビアンカは口を閉ざした。
「その傲慢さは王家そのものだな。確かにお前には、呪われた血が流れている」
「あなたと同じでなくて良かったわ。では私は失礼いたします」
「待て。その血は私のものになる。せいぜい大事にしろ」
「私は吸血鬼ジュールの妻です!」
「あの城がどうなってもいいのか」
「城は守り固められています。人の力など及ばないわ」
ビアンカは振り返らず、部屋を飛び出した。あの場にいたならば、ジュールに何を願ったかわからない。
唇を噛み締めたまま、小さな薔薇園に走っていた。
きっと“ビアンカ”が咲き誇っているはずだ。
今は勇気が欲しい。
――許す
それは難しいことだ。出来るはずない。
でも、この憎しみは城へ持ち帰りたくない。
◇◇◇
「人払いを」
カールが呟けば、使用人達は静かに部屋を出て行く。
そろそろ薬が切れる。声だけは魔法で似せることは出来ても、同じにはならなかった。
「そのうち、誰も気づかなくなる」
いずれ声も、ひとつになる。
「これは?」
指先が、土のような茶色に染まっていた。覚えがない。
這っていた異物は感じなくなった。代わりに、体の奥へ何かが根を張ったような感覚だけが残っていた。
そして次の日。
いつものように姿見の前に立ち、“カール”を確認する。
「今のは、何だ」
鏡に映る“カール”が、少し笑った気がした。
顎に手をやる仕草。髪を整える手つき。
どれも見慣れたもののはずだった。
鏡の“カール”は同じでなければならない。
気のせいではなく、何かが引っ掛かった。
あの男の顔が脳裏をよぎる。
「お前もか」
もうひとりは死んだ。だが死体は見ていない。
「どうせなら、時間を貰っておけばよかったか」
『時間を分ける魔法』
確かイザークがそんなことを言っていた。家魔女から奪ったと。
「そんな便利なもの。代償を払えなどと言いだしかねん。私は騙されない」
鏡の“カール”を睨み付けるが、わずかに目を反らされた。
◇◇◇
ビアンカは、毎日小さな薔薇園を訪れた。
薔薇に微笑みかける姿に、使用人達は皆つい足を止めて見入ってしまう。
「姫がいらしてから、薔薇が毎日競うように咲きだしたわね」
「本当に。姫の周りだけ、空気も違うようよ」
死んだとされていたロザリア姫が見つかった。なのに、カール王子は何を血迷ったのか、姫を大罪人だと言って牢へ入れてしまった。
こうして姫が自由の身となり、使用人達は皆ほっと胸を撫で下ろしていた。
「あの姫がそんなことするはずがない」
「もしかして、本当の犯人は……」
「滅多なことを口にするな。どこで聞かれているかわからないぞ」
カール王子の私室へ行った者が、時々突然いなくなる。それを噂にしてもいけない。
「あのお方が次の王になるのか……」
皆が望む、第一王子はもういない。
夜、ビアンカは幽霊騒ぎのあった倉庫へ花を供えに行った。
「ロザリアよ。誰かいませんか」
物音ひとつしない。影も動かない。
「お嬢様、もうここには誰もいないようです」
ベロニカも呼んでみるが、返事はなかった。
バネッサは杖を振り、倉庫に封をかけた。
「さあお部屋へ戻りましょう。こんなところにいて、あいつに見つかると面倒ですから」
シュバルツのビアンカを見る目は、まるで獲物を狙うヘビのようだった。
ビアンカの顔が曇る。本当に避けることができるのだろうか。自分に力はない。
「大丈夫ですよ。ビアンカ様にはジュール様がついています。それに私達も」
「そうね。ありがとう」
あの帽子屋の前で馬車に乗ったことを悔いてはいない。ジュールと幽黒城の名にも傷を付けたくなかった。
でも寂しい。
離れても、一時たりと忘れたことはない。
どうか無事でいてと、願うばかりだった。
その夜、大カラスは音もなくビアンカの部屋へ入り、姿を現した。
「ビアンカ……」
眠るビアンカの髪をそっと手に取る。
「なぜお姿をお見せにならないのですか」
ビアンカを守るように、ベロニカが静かに座っていた。
「ビアンカは、やっと自分の足で歩き始めた。止めるわけにいかない」
「きっと帰られます。ひたすらそれを願っておいでですから」
「楽しみに待つとしよう」
ジュールは微笑み、ビアンカの枕元に白薔薇を置いた。
もう少しだ。終わりは近い。




