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第20話 はじまり

 城の灯が落とされると、衛兵が夜回りを始める。


「今夜も異常なし」


 そう報告するはずだった。


 いつもは静まり返っている城のどこからか、微かに声が聞こえた。


 どこを探しても人影はなく、何か焦がしたような匂いだけが残されていた。


「誰か火を使っているのか?」

「厨房だ」


 衛兵たちが厨房を覗くと、誰もいない。火も落とされていた。


「なんだ。床がベトつくな。掃除もろくにしていないのか」

「もうここはいい。行くぞ」


「……待て。今また何か聞こえた」


 今度はガラスの割れる音だ。


「倉庫だ!」


 普段使われていない倉庫の扉に聞き耳を立てる。


 ……助けて ……出して ……熱い 


 今度ははっきりと聞こえた。

 だが、倉庫を覗くと中は真っ暗。


「誰かいるのか?」

「おかしいな。入るぞ。熱っ!」


 体中が火にあぶられるように熱く感じた。

 火などどこにもない。


 ……助けて ……お願い


「確かに聞こえたのに……」

「いる……絶対になにかいる」


 廊下の奥を、誰かが横切った。


「おい! 男が逃げて行くぞ」

「あいつの仕業か。捕まえるぞ!」


 追いかけようとした瞬間、男の姿がすうっと闇に消えた。


「……消えた」


 衛兵達は震え上がり、詰め所へ逃げ帰った。


 朝、掃除道具を手にしたメイド達がざわついていた。


「誰がこんなことを……」


 いたるところが黒い煤にまみれていた。家具、調度品、戸棚にしまわれたカップ……。壁、天井までが。


 夜回りをした衛兵達も、首を傾げた。


「おかしなことを言っている者がいるが、俺達が回った時にはどこにも異常はなかったぞ」


 毎日、何かしらの異変が起こる。


 ついには亡霊が出たと、まことしやかに囁かれるようになった。


「カラスどころか、ネズミも見なくなったわね。どこかへ逃げたのかしら」

「嫌だ。不吉なこと言わないでよ」

「この城、呪われてるんじゃない?」


「さぼっていないで、さっさと仕事なさい」


「すみません」


 メイド長に見つかり、煤を払いに散って行く。


 その夜。メイド達は同じ夢を見た。


 知らないメイド達が、机に突っ伏し眠っていた。


 次の瞬間、彼女達は火の海の中にいた。


 ……助けて ……出して ……熱い 


 机の上には、食べかけの菓子。

 包み紙がチリチリと燃えていく。


 どこからか、くぐもった男の笑い声が聞こえた。


 その声は、夢から覚めたメイド達の耳にこびりついて離れなかった。


 ◇◇◇


「ここがお前の家だ」


 荷馬車から放り出され、「そんなわけはない」と言っても、荷馬車は男を置いて走り去って行った。


 男は仕方なく、農家の扉を叩いた。


「何の用だ。働き口なら他をあたれ」


「私を城へ連れて行け」


 家人は男の顔を見るなり、「お前など知らない」と慌てて扉を閉めた。


「開けろ! 中へ通せ」


 いくら扉を叩いても、一向に開く様子はない。


 この国で自分を知らない者がいるとは思いもしなかった。


 それになぜ、ここへ連れて来られたのかもわからない。


 姿見の裏、隠し通路を通り、城の外へ出された。


 ひたすら歩かされ、着いたのは街外れの裏通り。怪しげな店の奥で、魔女が待っていた。


 飲めと無理矢理、どろっとした液体を口に流された。

 瞬間、顔が火のように熱くなり、四肢が裂けるような激痛が走った。


 気づくと荷馬車の上に転がされていた。

 戻せと言えば、無言で殴られた。


「そうだ。母上の屋敷へ行こう……どこだ?」


 男は、母がどこに移されたかも知らなかった。


 とぼとぼと当て所なく歩くうちに、足は動かなくなる。腹を空かせたことなどなかった。


 元は家畜がいたのだろう。見つけた小屋は酷い匂いがした。


「せめて水だけでも。なんだ。コップも水差しもないのか」


 木桶に雨水が溜まっていた。飲めるわけがない。


「こんなもの!」


 蹴飛ばすと、水がこぼれた。


「誰だ……」


 水たまりに、知らない顔が映っていた。


「私はカールだ。第二王子カールだ。こんな……こんな顔じゃない!」


 奴に違いない。この顔はシュバルツだ。


「許さない!」


「何を許さない?」


「……!」


 いつの間にか馬車が止まっていた。馬はつながれていない。


 扉が開き、降りて来たのは赤い目をした紳士。それは死神に見えた。


「誰でもいい。私を城へ連れて行け」


「なぜ?」


「私がカールだ。城へ連れて行け。その後はどこへでも連れて行け」


「まあ、いいだろう」


 男を乗せた馬車は、霧の中に消えて行った。


 ◇◇◇


 カールの執務室に、衛兵長、メイド長が呼ばれた。


「これは何だ」


 机の上には大量の退職届。


「皆、もう限界なのです!」


 煤を掃除した者は、必ず同じ夢を見る。

 メイド長の目の下も真っ黒。眠ることが怖い。


「これは、あのお屋敷で起きたことではないのですか!」


 古参の衛兵が、惨劇を覚えていた。

 焼け跡に残ったメイド達の亡骸。男達は皆、胸にナイフが刺さっていた。


「たわけたことを。すべて作り話だ」


「ですが。ロベルト様が夫人と一緒に彷徨う姿を見た者もいるのです」


 小さな薔薇園で寄り添い、悲しげに白薔薇を見つめていた。


「兄は丁重に葬ってある」


「カール様、どうか……ロベルト様のお墓参りだけでもお願いします」


 メイド長の声は震えていた。


「このままではこの城に仕える者が、ひとりもいなくなります!」


 メイド長と衛兵長がいくら頭を下げて訴えても、カールは眉ひとつ動かさない。


「幽霊などいない。話は終わりだ」


「カール様。せめてもう一度犯人をお捜しになってはいかがですか」


 ロベルトの補佐をしていた事務官オスカーが、書棚の前に立っていた。


「お前にはもうここへは来るなと命じたはずだが」


「忘れ物をとりに。もうカール様に、私めの書いた手引き書はご不要のようですから」


「貴様、何が言いたい」


「いえ。ではカール様、失礼いたします。お前達も仕事に戻りなさい」


「はい」


 扉が閉まり、シュバルツは椅子に体を沈めた。目の奥がじんと痛む。


 シュバルツ自身も、夜な夜な悪夢を見ていた。


 暗闇からじっとロベルトが自分を見つめている。その後ろでアンリエッタも。


 ――何も言わず、じっと。


「カー」


 シュバルツは、飛び上がるように窓に駆け寄った。


「お前の仕業か!」


 大カラスは瞬きもせず、赤い目でじっと、シュバルツを見下ろしていた。


「消えろ!」


 銀のナイフを投げつけるが、届かない。


「これはまだ、ほんの始まりだ」


「はじまり、だと?」


 シュバルツはじりじりと後ろへ下がる。

 体中を冷たい汗が流れ、思わず銀の鎖を握りしめた。


「……!」


 何かがシュバルツの首に触れた。そして耳元で囁かれた。


『……お前達を決して許さない』


 ――あの世からの、声だった。

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