第2話 迎えられた娘
カラスの鳴き声で、ジュールは目を覚ました。
「起き出したか……」
ようやく眠りについたのに、頭から離れない。
昨夜、ビアンカは井戸の水をくみ上げ、服を脱ぐと頭から被った。
水よりも先に、背の鞭痕が目に入った。
声も上げず、体を拭き、厨房へ戻る。
膝を抱え、寒さに震えていても、火にあたることはない。
隣の部屋で火を熾し、通風口から暖かな空気を送り込んだ。
ビアンカが外へ出て行くのを見て、ようやく息を吐いた。
カラスが教えた林檎の木。落ちている実を拾うビアンカ。
少し顔をしかめたような……。
見ると、まだ青いものを口にしていた。
妙だ。
熟した実には手を伸ばさない。
食べ終わると、薔薇園へ向かう。
この城にしか咲かない青薔薇を、ただ見つめている。
咲かせると言っていたが、人にあれを咲かせることはできない。
「……!」
ビアンカが消えた。
気づけば、薔薇園まで飛んでいた。
「……何をしている?」
茂みの中で、ビアンカは白い子ウサギを抱いていた。
親ウサギが隠していたのだろう。人の匂いがつけば、もう親は来ないかもしれない。
「……」
ビアンカは返事を返さない。
その目は大きく見開かれ、ただじっと見つめていた。
姿を隠すのを忘れてしまった。
「ジュールだ」
「ごめんなさい……」
「なぜ謝る?」
「私は……不幸を呼ぶから」
「人にそんな力はない」
大魔女と言われる者でさえ、呪いなどそう容易くかけられるものじゃない。
またビアンカの表情が消えた。
もう帰すなどできない。
「着いて来なさい」
歩き出したはいいが、気配が薄くなる。
ジュールが振り向くと、子ウサギを抱いたビアンカが小走りで追ってくる。
誰かと並んで歩くことなどなかった。
少し歩調を緩めた。
ジュールが正面の扉を開く。
そして厨房ではなく、階段を昇る。
部屋の前で立ち止まり、ビアンカに鍵を渡した。
「今日からここがお前の部屋だ」
使用人の部屋ではないのは明らか。
ビアンカは動かない。
「厨房で寝起きすることは許さない」
小さくうなずき、鍵を開け中へ入る。
扉が閉まると、ジュールは小さく息を吐いた。
ようやく、部屋へ入れた。
今までどんな扱いを受けていたのだろう。
自室へ戻ると、フクロウの羽が一枚、机に届けられていた。
「……人の世話ならば仕方がないか」
返事代わりに、カラスの羽を飛ばす。
この幽黒城にも使用人はいる。望めば出てくるが、今は人の気配を嫌って隠れていた。
◇◇◇
まだ日の高いうちに、若い女が大きなカゴを抱え門をくぐった。
大きな眼鏡に、杖を持っている。
迷わず厨房へ入ると、火を熾し、スープを作る。
そして階段を昇り、ビアンカの部屋をノックした。
扉が少し開き、ビアンカが顔を覗かせた。
「お嬢様、本日からお世話をさせていただくバネッサです」
ビアンカの返事を待たず、バネッサは部屋へ入る。
盆を置くと、立ったままのビアンカを椅子へ座らせた。
「まずはお食事を。次にお風呂……」
動かないビアンカに、ほらとスプーンを握らせた。
ゆっくりとひとさじ、口に含む。
「これは、想像以上に大変ね」
バネッサは腕まくりをして浴室の準備に向った。
浴室でも会話はない。
ビアンカはバネッサにされるがまま。服を脱がせても、恥じらうこともない。
赤く開いた傷口に薬を塗り込むと、小さな声で「ありがとう」とだけ。
「これ、捨てますよ。雑巾にもなりゃしない」
ビアンカの着ていた服は、杖の先でぽんと消えた。
代わりにどの服がいいか聞いても、クローゼットの前で立ち尽くすだけ。
「この赤なんてどうですか?」
ビアンカは無言で白い服を指さした。
「いいと思いますよ。リボンは赤にしましょうか」
だがビアンカが選んだのは白。
ジュールの瞳は赤。どこかに赤を入れたい。
「赤はお嫌いですか?」
「……わからないから」
「わからない?」
試しに色とりどりのリボンを並べて見せた。
「この中でお好きな色は?」
どれも選ばない。
じっと待っていると、やっと口を開いた。
「……ぜんぶ同じ。黒に見えるの」
白と黒の区別しかできない。
そんなものは、聞いたことがない。
「お支度がすんだら、ジュール様にご挨拶に行きますよ」
鏡の前に座らせ、長い髪を梳く。
「結い上げるのが楽しみ……」
バネッサの手が不意に止まった。
前髪は下ろされたまま、髪は結い上げられた。
「ジュール様、お連れしました」
ビアンカはドレスの裾を持ち、膝を折って礼をした。
ジュールは思わず目を見張った。
「バネッサ、魔法を使ったのか?」
「まさか。お風呂に入れただけですよ」
思っていたより、ずっと美しい娘だった。
バネッサはジュールの反応にくくっと笑った。
こそりとバネッサがジュールへ耳打ちする。
うなずくジュール。
何を聞いてもビアンカは答えないだろう。
「明日からは食堂へ来い」
ビアンカは少し首をかしげた。
「一緒に食事をなさりたいようですよ」
「余計なことを」
ジュールは背を向けた。
「では部屋へ戻りましょう」
バネッサがビアンカの手を引こうとすると、動かない。
「……私に、仕事をください」
振り向けば、どこか必死な様子のビアンカ。
「まずは傷を癒やせ。それからだ」
「そうですよ。仕事ならウサギの世話があるじゃないですか。あとで野菜くずをお持ちしますよ」
ビアンカの口端がわずかに上がった。




