第18話 揺らぐ記憶
「誰も通すな」
衛兵に命じ、シュバルツは第二王子夫妻の部屋へ入った。
むせ返る花の匂い。シュバルツが眉をひそめる。
「遅かったわね。あっちは出掛けているわ」
王子妃のマリアがひとり、しどけなくソファにもたれていた。密かに、二人の夫を持つ。
もうひとりは不在。隠し通路から外へ出掛けていた。
「あれと違って私は忙しい。何度言ったらわかる」
「言いつけを守って、大人しくしてるのよ。少しは構って欲しいわ」
グラスに酒が注がれる。
シュバルツは一気に飲み干すと、これでいいだろうと、姿見の後ろへ姿を消した。
「つまらないわ」
マリアは、グラスになみなみと酒を注ぐ。
どう見ても王子妃にふさわしいとは思えなかった。秘密を守らせるために、低位貴族の娘を金で雇ったのだろう。
コン コン
窓ガラスをつついた。
「あら。カラスね。ずいぶんと艶のある羽。帽子飾りに使えるかしら」
王子妃に出来るのは、目立つことだけだった。
「大人しいのね。カラスには気をつけろだなんて、少しも怖くないじゃないの」
少し、脅してやることにした。
次の朝。城のあちらこちらに、カラスが止まっていた。
追い払っても、すぐに舞い戻る。庭番も棒を持って走り回り、とうとう諦めた。
城中のカーテンが閉められたが、鳴き声までは閉め出せない。
「地下牢に兵を。銀を身に着けさせろ」
カールのいらつく声が執務室に響き渡る。
そこへハンセルが侍従を従えやって来た。
「カール。どうした。そんなに声を荒げて。廊下にまで聞こえたぞ」
「不吉な予兆が。吸血鬼が来るやもしれません」
「親の敵討ちか。それとも何か他に、捜し物でもあるのか」
ハンセルはカールをじっと見つめた。カールは目を逸らさない。
「吸血鬼に情などありません。あれは血に飢えた、ただの獣だ」
「そうであったな」
「標的は陛下です。今年こそ青薔薇を咲かせろと、手紙を送っていたそうじゃないですか」
「民からの願いだ。だが気をつけるとしよう。城の守りを固めろ。いいな」
「仰せの通りに」
シュバルツが隙間から外をのぞき見ると、まだカラスはいた。
ただいるだけで、何も起こらない。それがかえって不気味だった。
これは急がねばならない。いくら警戒しようが、相手は魔の力を持つ。何をするかわからない。
「部屋へ戻る」
廊下を歩いていると、庭に王女クラリスが見えた。
「姉上。外は危ない。部屋へ戻られよ」
「ここは私の庭よ。誰の指図も受けない」
「もうじき、この庭もマリアのものだ」
小さな薔薇園。国花を育てるのは王妃の役目だが、クラリスの母はもういない。
「悪魔にこの国は渡さない」
「悪魔? それを作ったのはお前達だ。そろそろ身の振り方を考えろ」
むしり取った薔薇を握りつぶし、シュバルツは足早に去って行った。
クラリスはそれを苦々しく見送る。
弟の顔をした悪魔は、義母が城に入れた。
母が亡くなり、次に迎え入れられた王妃は野心家だった。
「自分の子だけでは、この先はないと思ったのね」
クラリスは深く息を吐いた。
「もう出てきてもいいわ」
大カラスが茂みから顔を出す。
「私に出来る事があれば、なんなりと」
父から聞いていた赤い目をした大カラス。不思議と怖くなかった。
「メイドがひとりここを通る。そばに置くといい」
うなずくと、もうカラスは消えていた。
◇◇◇
地下牢に鎧を着けた騎士が見回りに来た。いつもと違い、じっと鉄格子の前で動かない。
視線に気付き、ビアンカはふと顔を上げた。
「ロザリア……なのか」
ビアンカが小さくうなずくと、騎士は膝をついた。
「顔を……顔を見せておくれ」
祖父の声だ。だがビアンカは下を向いてしまった。
あの時、逃さずに罰してくれたなら、どんなに救われただろう。
「許しておくれ。まだ犯人を野放しにしている。今のわしに、力はもう残っていない」
「犯人? 屋敷に火をつけたのは私です」
つい声に出してしまった。言葉にするのも恐ろしい。
「違う。ロザリアではない。愚かなカールとその影武者だ」
「そんな……」
今までも、違和感はあった。
思い出すのは、ガラスの割れる音。油の匂い。黒い煙。
でも確かに、自分が落とした蝋燭からすぐに燃え広がったのを見た。
額の傷をなぞる。
真っ赤に燃えた板が落ちてきた。
まだ炎はそこまで回っていなかったはずなのに。
あの時は助けを呼び行かなくてはと、足を動かすことだけしか考えていなかった。
「私では、なかったの? お父様もお母様も、みんなも、あれに殺されてしまったの?」
鎧がうなずくと、金属を引きずるような足音がした。
「何をしている? 交代だ」
鎧騎士は、立ち上がり、静かに立ち去った。
何も考えられなかった。苦しくて苦しくてたまらなかった。何度ナイフを手にしたか。
その度に、母の「逃げて」がよみがえり、思い留まった。
「お父様、お母様。私にできるでしょうか。天から見守りください」
まぶたを閉じると、火が見えた。
思わず自分の体を抱きしめた。逃げてはいけない。
もう一度、あの夜を思い出す。最初から。
静か過ぎた屋敷。夜中の訪問者。激しい口論。滑る床……。
火に包まれた屋敷。
そして、男の笑い声。
真の犯人がここにいる。すべてを明らかにする。
――そして、あの人の元へ帰る。
袋を探り、金のブローチを、強く握りしめた。




