第17話 小さな願い
老人は礼拝堂へ向かった。
そこから私室までは、隠し通路で繋がっている。
「ハンセル様、お帰りなさいませ」
長く仕える侍従が、待っていた。
「吸血鬼が妙なことを知らせてきた。地下牢へ行く」
王宮に戻れば、国王ハンセルに戻る。
なぜ自分に行けと言ったのか。思い当たるのは、すべてを奪われた孫娘だけ。
「陛下、それはなりません」
「わしが行けば、また奴が動くか」
「さようにございます」
第二王子カールの背後に立つ男がいる。名はシュバルツ。
強かで、抜け目のない。いずれは陰から支配する気だ。
「大魔女イゾルデはまだ見つからないのか」
「生死もわかりません……」
イゾルデならば、あれを解く事が出来るかもしれない。
後継者としていた魔女ブレンダを亡くして以来、イゾルデは表には出なくなった。その存在は今では伝説となっていた。
「吸血鬼は、ブレンダの子であったな」
イゾルデの居所など、決して吐かないだろう。
足元の地下へ向かうことさえ、今のハンセルには難しい。
◇◇◇
「お嬢様……」
耳元の優しい声に目を覚ますと、暗闇にうっすらとベロニカの姿が浮かんでいた。
「お嬢様、これを」
小袋にぎっしりと炒り豆が入っていた。
「もういいのよ。私はここでお終いにしたいの。あなたから時間をもらったのに、ごめんなさい」
「許しません。最後まで使い切ってください」
「ベロニカ……」
「それほど長くはありませんけど。もう少しだけ、お願いします。ここで諦めてはいけません」
「そうね。このままでは、すべてが消されてしまう」
あの夜、何が起きたのか知りたい。
「ジュール様が力を貸してくださいます」
「ここへいらしているの?」
「私を呼んだのはジュール様ですよ」
もう二度と会えないと思ったのに。危険を承知で来てくれた。
「無理をされないよう、それだけは伝えて。私なら大丈夫だから」
「はい。では私は、話の聞けそうな幽霊を探してきます」
静かな気配が消えた。
「ジュール様……。もし私の罪が許されたなら」
――あなたの隣で眠りたい。
小さな窓から見える月に、祈った。
◇◇◇
「やっと、手に入るぞ」
カールがグラスを高く上げた。
「そのようだな」
向かいに座るシュバルツも、同じくグラスを上げた。
「あとは、あの娘の証言だけだ」
「疑惑が晴れれば、うるさい第一王子派も黙るしかない」
次の国王は“カール”だ。
ロベルトと違い、カールに国を導く力はない。手を貸すと言えば、あっさり信じ、兄のいる屋敷に行った。
「しかし、誰があの娘を逃がしたのだろう」
「そんなことができるのは、魔女くらいなものだろう」
カールに教えてなどやらない。そんなこともわからないのかと、哀れにさえ思う。
「シュバルツ。国中の魔女を消せ。あの吸血鬼もだ」
「ああ。わかっている」
お飾りに言われるまでもない。残らず消し去る。
◇◇◇
城のどこへ足を運ぼうが、誰も止めない。
地下牢の番人も頭を下げて、扉を開けた。
「迎えは来ていないようだな」
地下牢に現れたのは、カール。
執務室で見た時よりも、顔が歪んで見えた。
「これをつけろ」と格子の隙間から投げ入れられたのは、太い銀の鎖。
ビアンカは無言で首にかけた。
カチャリと音がして、これは自分では外せないのだとわかった。
「本当にまだ餌食になっていなかったのか」
砂になれたほうが良かったのに。風に乗ってあの城へ帰れた。
「あなたは誰なの。声が違う」
「薬がきれていたか。そうだ、カールではない。だが、私もカールだ」
同じ顔。違うのはわずかに低い声だけ。
「血は流れてはいない。たまたま似ていてね。それが、魔法でこの通りだ」
カールの影武者。それがシュバルツの役割だった。
「貧しい村では、売れる物なら何でも売られる。自分の子どもでさえもだ」
誰にも知られずに、教育され、ひたすら同じになれと言われてきた。同じ食事、同じ動作。まるで自分など最初からいないようだった。
背が違うと言われ、それも魔法で矯正された。あの時の痛みは、忘れることなどできない。
「あなたには、呪いだったのね」
「そうでもない。これからは私が表だ。そして私の子には、王族の血が入る」
少しも笑っていないのに、口端が上がるのを見て、怖気がたった。
「私は、吸血鬼ジュールの妻です!」
「吸血鬼など恐るるに足らん」
冷たい床を探るが、投げつける石はない。
「私が真実を話します」
「誰が罪人の戯れ言を聞く? 権力の前では、無力だ」
「小さな声でも、誰かが聞いてくれるわ」
「何を言おうが、覆らない。大人しく罪を認めろ。そうすれば命だけは助けてやる」
――足音が遠のく。
その背を追うように、黒い羽が張り付いた。




