第13話 契約の果て
「……杖が呼んでいる」
バネッサの指先が熱くなった。
「おや。ずいぶんと馴染んでいるね」
イゾルデが目を細めた。
「お言い付け通り、大切にしていますから」
杖は魔女と共に生きる。
主がいなくなれば杖は沈黙し、再び誰かが手に取るのを静かに待つ。
それを渡さなくてはならなかったのは屈辱だった。すぐにでもセレーナに杖を向けたかったが、どうにか堪えた。
短い付き合いだが、バネッサはビアンカを気に入っていた。その命が危ないと聞き、どんなことをしても救いたいと思った。
「家魔女になるのかい?」
「城魔女です」
バネッサは少し誇らしげに胸を張った。
「イゾルデ様、私の体をお願いしますね」
バネッサはベッドに横になり、杖に導かれるまま幽黒城へと飛んだ。
――気づけば、人の体の中にいた。
ベロニカは禁術を使い、バネッサを呼び寄せた。
「お願いです。お嬢様をお助けください」
「あなたも魔女でしょう?」
「私は縛られた家魔女。セレーナに背くことはできない」
「わかったわ。それにしても、私の杖で禁術だなんて……」
一体どこで、こんな危ない魔法を知ったのだろう。
少し先が黒くなった杖に泣きそうだったが、時間はかかっても浄化は出来ると、ため息を飲み込んだ。
「お嬢様は心を覗かれないように、ただ一心に、祈っておいでです」
「ビアンカ様らしい」
ジュールと城、そしてベロニカ、きっと自分のこともだ。
ビアンカは昔母に教わった花びらで占いをしていた。ジュールの咲かせた薔薇の花びらを、そっと引き抜く。思いが届けと祈り続けていた。
――領地に雨が降った。
人々は安堵した。これで収穫が出来る。
セレーナは満足そうに、感謝だと届く箱を開けもせずに眺めていた。
「これで私は名実ともに幽黒城の主よ」
青薔薇がなくても困ることはない。
ジュールも強がりだけで、結局は自分に負けたのだ。
だが、どこかがおかしかった。
扉が軋む。水差しは空だ。
音が、消えている。
城が、自分を無いものとしている。
日に日に募る不安に、セレーナは何度も名を呼んだ。だが、返事はなかった。
ある日、セレーナは空を覆う黒い虫の群れを見た。
それは、領地へと向かっていた。
黄金色に実った麦を食べ尽くし、黒い虫が去ったあとは、何ひとつ残されていなかった。
「こんなこと、命じていないわ!」
「虫までお前の配下だとは知らなかった」
クククと笑い声が響く。姿はなくても目の前にいる。
「今すぐに、青薔薇を咲かせなさい」
「無理だ。あの黒薔薇にすべての魔力を注ぎ込んだ」
「嘘よ。姿を見せなさい」
現れたのは、大カラス。テーブルの上で大きな羽を広げた。
「目玉をくり抜こうか。それとも心臓か……」
「ベロニカ! 来なさい! これを追い払って!」
いくら呼んでも来ない。
ベロニカは静かに、自分の中で眠っていた。
「追い払うなどお前には出来ない。吸血鬼の妻になりたいのだろう? 」
カラスの目が赤く光った。
「私が欲しいのは、永遠の命よ!」
「永遠……いいだろう」
目も開けられないほどの強風が、室内を吹き荒れ、おさまると大カラスは消えていた。
「絶対に許さない」
乱れた髪を振り払い、セレーナは引き出しから、銀のナイフを取り出した。
地下への階段は長く感じられた。
蝋燭の火がゆらゆらと石壁に影を作る。
影が勝手に動き回る。腕を高く上げ、勢いよく振り下ろす。セレーナがこれからする事を知っているかのようだった。
頭上にはコウモリが飛び交い、奥へ行かせないように邪魔をする。足元にはヘビが這い、鎌を持ち上げ、セレーナをじっとりと見ていた。
「脅しはきかないわ。次はお前達よ」
重い扉を開けると、棺がふたつ並んでいた。
真っ白な棺の上には、白薔薇が置いてあった。
「私は黒よ」
漆黒の棺を開けると、ジュールが眠っていた。
今にも起き出して、牙を突き立てられそうだ。
「本当は生かしておきたかったのに。あなたが悪いの」
震える手で、心臓にナイフを突き立てた。
ジューと焼ける匂いに、思わず顔を背けた。
次第に手応えがなくなり、ジュールの体が、さらさらと崩れ落ちた。
「……これでいいのよ」
心臓が早鐘のように打つ。
逃げ出すように、部屋を出た。
朝、セレーナは寒さに震え目覚めた。
「……ここは、どこ?」
傾いたベッド。破れた天蓋は垂れ下がり、気味悪く風に揺れていた。
震える肩を抱き、母を呼んだが返事はない。
ひび割れ、あちこち崩れ落ちた壁。床には赤黒い染みが広がる。
ビアンカを閉じ込めた部屋まで辿り着くが、誰もいなかった。
「誰かいないの!」
まるで知らない城だった。
窓の外はいつもと変わらない景色が広がっていた。
街へ戻ろうと、山道を下る。
途中転んで足を挫く。杖代わりに落ちていた棒きれを拾った。
どうにか街へ辿り着き、生まれ育った屋敷を目指す。
「……どこにも、ない」
散々歩き回って屋敷を探した。
あったはずの場所には十字架が建っていた。
胸騒ぎがする。
立ちすくんでいると、頭に何かが当たった。
「痛い! やめなさい! 私を誰だと思っているの?」
次々に石が投げつけられた。
「この人殺し魔女め」
「魔女? 私は領主イザークの娘、セレーナよ」
「嘘をつけ。そんな名は知らん。それにお前のその手の杖はなんだ?」
「杖?」
セレーナははっとした。
よく見ると、ベロニカが使っていた杖だった。
「すべてこの魔女のせいだ。青薔薇城まで穢された。もうこの地は終わりだ」
「いつの話よ。 あれは幽黒城よ」
カー
十字架の上に、大カラスが止まっていた。
なぜ、ここにいるの……
「捕まえて! あれがすべてを引き起こした吸血鬼よ」
「でたらめばかり並べて」
セレーナが泣こうが叫ぼうが、取り囲まれ、十字架に縛り着けられた。
「嫌よ! 離して! ベロニカ! 助けて!」
どこからか、カチッと時計の針が止まる音がした。
そして、耳元に微かな声がした。
「時間です。契約は、ここで終わりです」
セレーナの目の前で、ボッと契約書が燃えた。
「ほらあれを見ろ。火を使って逃げる気だ。早く燃やしてしまえ」
足元に油が撒かれ、火がつけられた。
パチパチと火が爆ぜる。あっという間にセレーナは炎に包まれた。
「永遠が欲しかったのだったな」
燃えさかる炎の中に、二つの赤い瞳を見つけた。
「ジュール、お願いよ! 助けて!」
「願いを叶えてやろう」
それは一瞬だった。
「お前は私のものだ」
「誰? あんたなんて知らない!」
首筋に触れた牙は、ジュールのものではなかった。
地中深くに眠らされていた、かつて村人達を幾人も襲った吸血鬼。
「望みどおり、おまえは吸血鬼の妻となった」
「嫌よ。来ないで! なんでもあげるわ! 近づかないで!」
セレーナは叫び声と一緒に、地中深くへと沈んでいった。
「帰るぞ」
いつの間にかジュールの隣にイゾルデが立っていた。杖を大きく振ると、街は元に戻っていた。
「私の杖まで汚してくれるとはね」
だが、イゾルデの口元は笑っていた。
「代償なら、いくらでも払うさ」
「なら幽霊をひとり、城に置いてやっておくれ」
「そのつもりだ。ビアンカもそれを望むだろう」
大カラスとフクロウは揃って、空へ舞い上がった。




