第12話 小さな抗い
ベロニカは部屋の隅で膝を抱えていた。
部屋へ戻されたビアンカは、ただすすり泣いていた。
眠ってさえくれれば、すべてを渡すつもりだった。なのに側に寄ることも出来ない。
やがて疲れ果てたのか、静かになった。ベロニカはビアンカの手を握った。
「……お嬢様なら、きっと打ち勝てます」
時間とは別に、もうひとつ流れ込んだ。
その時、ベロニカの手に何かが触れた。
「待て」
知らない男の声に、思わず手を引っ込めた。
「それ以上は削るな。ビアンカは望んでいない」
振り向くと、赤い目をした吸血鬼が立っていた。
すぐに目を伏せた。
家魔女は契約者以外に服従できないはず。なのに、その目に吸い込まれそうになった。
「呪いを解くにはこれしか方法がないのです」
術者の死。それ以外にはない。
「手はある。それまで守れ」
「出来るな」
「……はい」
気配が消えると、ビアンカの手に黒い羽が一枚残されていた。
ビアンカは目を覚まし、虚ろな目で羽を見つめた。
「……会いたい」
声は、ほとんど音にならない。
窓の外で、カーとひと鳴きしたカラスが飛び去った。
◇◇◇
セレーナが庭へ出ると、白薔薇は消えていた。
「黒にしたのね。情熱的だこと」
吸血鬼はもう自分を無視できない。
「跪いて、許しを請えばいいのよ」
薔薇を一輪手折り、髪に挿した。
城に戻ると静かだった。幽霊は音を立てない。
だが、それとは違う静けさだった。
「セレーナ、戻ったのね。お客が来ているわ」
どこか落ち着きがない。母の様子が変だ。
「誰? まさかお父様なの?」
「ええ。あなたに話があるそうよ」
応接室に行くと、イザークがイライラと足を揺らして待っていた。
「遅いぞ」
「支度に手間取っていたの」
「勝手ばかりしおって。吸血鬼はどうした」
「知らないわ」
「雨が降らない」
「だから何? 霧は晴らしてあげたわ」
「もうひと月以上も雨が降らない。このままではすべて枯れる」
「それよりもお茶が出てこない」
イザークが机を叩いた。
「それだけじゃない。山から獣たちが下りて来た。作物は荒らされ、人にも被害が出た」
「狩ればいいじゃない。そんなことも出来ないの?」
イザークは顔を赤くして立ち上がり、腕を振り上げたが、鞭がないことに気づき、舌打ちした。
「もう引退なさい。そしてもうここには来ないで」
「魔女はやる。……ロザリアを渡せ」
「絵は返したでしょ。実の妹に懸想するなんて本当に気持ち悪い」
酔えばアンリエッタと繰り返し名を呼んでいた。子どもの頃から嫌でたまらなかった。
「お兄様のほうがまだましね」
「あれにやるつもりか?」
「まさか。他にも欲しがる者はいるでしょう」
王宮のある東へ目を向けた。
「それだけはならん!」
セレーナがほくそ笑む。
「とにかく、吸血鬼に雨を降らせるように言え」
イザークが出ていくと、やっとお茶が出て来た。
「……ぬるい!」
カップを床に投げ捨てた。
無性にイライラする。
「ジュール! 出てきなさい! 人形が痛い目をみるわよ」
窓がガタガタと鳴り、湿った風が流れ込む。
気づくと、足を組んだジュールが向かいに座っていた。
「聞いていたのでしょう。領民を困らせないで」
悪戯をした子どもを叱るような口ぶりだった。
「お前が困ることは何もないだろう」
「そうね。でも騒がしくされるのは嫌よ」
「だから?」
ジュールの前に、音もなくカップが置かれた。
良い香りがセレーナにも届いた。
「私に忠誠を誓うように言いなさい」
「忠誠? 幽霊にそんなものはない」
おかしなことをとジュールが笑う。
「私はあなたの妻よ」
「勘違いするな。入れろと言うから、城へ入れてやった。それだけだ」
「あれがどうなってもいいのね」
「好きにすればいい」
ジュールがまた姿を消して、どこかへ行ってしまった。
同時に、セレーナの髪に挿した黒薔薇が、ボロボロと崩れ落ちた。
「セレーナ、ロザリアがどこにもいないわ!」
ハンナが様子を見に行くと、部屋は空っぽだった。
「ベロニカ! すぐにロザリアを探しなさい!」
城中にセレーナのわめき声が響く。
ベロニカが何事かと慌ててやって来た。
「セレーナ様、お嬢様ならお部屋にいます」
「嘘よ。誰もいなかったわ」
ハンナはこの目でしっかり確認したと言う。
「いいわ。私が行く」
セレーナが扉を開けると、ビアンカが窓辺に座っていた。
その手には黒薔薇が一輪。
花びらを一枚づつ引き抜いては、風に飛ばしていた。
呼びかけても返事はしない。
「お母様までどうしたのよ。あれは壊れたままの、動かないただの人形じゃない」
「おかしいわね。さっきは本当にいなかったのよ」
ハンナが首を傾げる。
「あら」
セレーナがいくら入り込もうとしても、ビアンカの心は、固く閉じられていた。
「呪いはまだ効いているはず。お前がまだ生きているのが証拠」
「私の時間は残り少ない。魔力も切れかかっているのでは」
杖だけではどうにもならない。
「その杖の魔女を呼び出しなさい。お前の代わりにするわ」
『魔女はお前達を、決して許さない』
ベロニカの声が揺らぐ。
セレーナは身震いした。一瞬、体が凍るように冷たくなった。
「命令よ。契約書がある限り、お前は最後の瞬間まで私に逆らえない」
ベロニカがゆっくりと頭を下げた。
扉が閉まり、ビアンカとベロニカだけになった。
「ビアンカ様」
ベロニカがビアンカを抱きしめた。
「遅くなってすみません。もう大丈夫ですよ。バネッサが付いていますからね」
ビアンカは、静かにうなずいた。




