第11話 呪い
鞭のしなる音にベロニカは体を縮ませた。新しい主人も、結局は同じだった。
だが最後の命令には喜んで従うつもりだ。
「半年でいいわ。それくらいは残っているでしょう」
目の前にカランと見覚えのない杖が落とされた。
顔を上げると、冷たい目が見下ろしていた。
言われるままに、節くれだった細い指で杖に触れると、じんと体の奥が熱くなった。
まだ穢れを知らない杖。
ひび割れ、黒く汚れた――自分の杖とは違う。
これなら……。
――残りの時間を、分け与える。
寿命を縮めることになるが構わない。ベロニカに迷いはなかった。
「では。半年だけ」
ベロニカは立ち上がり、ビアンカの待つ部屋へ急いだ。
「これでお嬢様をお助けできます」
ところが新しい杖を見せても、ビアンカは少しも喜ばない。
「それはバネッサの杖ね。無事なのかしら」
「使い手だった魔女はここにはいません。でもこの杖の持ち主ならきっと大丈夫です」
そうよねと、安心したのか表情が和らいだ。
ベロニカの胸がチクリと痛んだ。今からしようとしていることは杖を汚す。
「お嬢様。横になったままでいいですから、私の手を握ってください。私がいいと言うまで決して離さないように」
「何をするつもりなの?」
「ただの治癒魔法です。これで元の元気なお体に戻ります。お食事もお散歩だって出来ますよ」
「また二人で炒り豆が食べたいわ」
「またお作りします。屋根裏で豆を煎るなんて、考えつきもしなかったです」
「ポケットに入れられるのが、あれしかなくて」
隠れて小さな火を使った。
「それでは目をつぶって、楽にしてください」
握った手を通して、命が流れ込む。
半年分。
「お嬢様、もういいですよ。あら……」
ビアンカは安らかに眠っていた。
朝、ビアンカが目覚めると隣にはまだベロニカが眠っていた。
ビアンカはそっとベッドから降りた。
寒くない。どこからか、暖かな空気が流れ込んでくる。
コトン。
振り向くと、小さな机に二人分の朝食が置かれていた。
「幽霊さんね。待っていて。ベロニカを起こすわ」
ビアンカに揺り起こされたベロニカは幽霊から話を聞く。
「あの方達が近づけば、教えてくれるそうです。それと、ジュール様はご無事だそうです」
「良かった……。見えなくても心強いわ」
「いくらセレーナ様が女主人を気取っても、みんなビアンカ様にお仕えしたいと」
「ありがとう。いつか私にもお話が出来るといいわね」
ビアンカが微笑むと、カーテンがふわりと揺れた。
「お嬢様の望みはきっと叶いますよ」
それからもベロニカは、こっそりとビアンカに『治癒魔法』を使い続けた。
――一度に渡せるのは、半年分だけ。
「ベロニカ、最近疲れやすくなったのではない? 顔色もなんだか悪いわ」
「お嬢様、ご心配には及びません。ほら、食事も残さずいただいています」
毎日ハンナが様子を見に来るが部屋には入らない。外から声をかけるだけ。
「あれの具合はどうかしら」
「変わりはございません」
ハンナはその言葉を鵜呑みにして、すぐに足音は遠のく。
「ねえ。セレーナ達を追い出す方法はないのかしら」
「難しいですね。私は契約者を傷つけることはできませんし……」
「それは絶対にだめよ。かえってあなたが傷つけられてしまうわ」
「契約が終わるか、変えることができれば……」
ベロニカが深いため息を漏らした。
「……ジュール様は何かを待っているのかしら」
力を使えば、簡単にこの城から人なんて追い出せるはずなのに。
ベロニカは答えなかった。
◇◇◇
セレーナは苛ついた顔も隠さずに、部屋を歩き回る。
見せかけでも約束は果たしたのに、ジュールが現れない。
「ロザリアをここへ」
「また私が行くの?」
「仕方ないじゃない。人はお母様だけなんだから」
ハンナは渋々、階下まで呼びに行った。
セレーナに睨まれ、ベロニカは杖を強く握りしめた。
「半年……それだけよね」
「お言いつけどおりです」
久しぶりに見たビアンカは、以前よりも美しくなっていた。頬も唇もピンク色。艶のある髪。
セレーナがベロニカの頬をパチンッと打った。唇が切れ、血が滲む。
「嘘つきね。命が半年長らえたくらいで、こんなに元気になるはずないわ」
「セレーナ、何を言っているの」
「気づかなかったの? この魔女はあんたに時間を渡していたのよ」
「そんな! ベロニカ、あなたに返すことは出来るの? 私ならもういいのよ」
「お嬢様、それはできません。それに私は……もう、縛られたくない」
「それでもあなたに生きてて欲しい」
ビアンカがベロニカの手を握った。だが、時間は動かない。
ベロニカはセレーナを睨み返した。
余計なことを話してくれた。
もう、何を言ってもお嬢様は受け取ってはくれない。
「契約書がある限り、あんたに逃れる術はないの。死ぬまで使ってやる」
セレーナが鞭を手にした。
「セレーナ、やめて! 責めは私が受かるから。ベロニカをこれ以上傷つけないで」
「決めるのは私よ」
ビアンカは懐からハンカチを取り出し、ベロニカの血を拭う。
セレーナの目がすぼめられ、にやりと笑った。
「いいことを思いついたわ」
突然、ビアンカの表情が抜け落ちる。
無言でセレーナから鞭を受けとると、ベロニカに打ち付けた。
「どう? 大好きなお嬢様の鞭なら痛くないでしょう?」
「お嬢様! それを持っていてはいけない」
ベロニカがビアンカの持つハンカチを取り上げ、燃やした。
「無駄よ。お前のかけた呪いは消えやしない」
セレーナが声高く笑う。笑えば笑うほど、ビアンカは激しく鞭を振るう。
「お嬢様! お許しください!」
ベロニカがビアンカに杖を向けた。
ビアンカは鞭を握りしめたまま、床に崩れ落ちた。
はっと気付くと、目の前に顔が赤く腫れ上がり、血を流すベロニカがいた。
そして自分の手の中にある物を見た。
「どうして……私がこんなものを持っているの?」
嫌だと手を離しても、その手はまた鞭を拾おうとする。
「馬鹿ね。あれは私のハンカチよ」
母親の声を聞いたら泣くに決まっている。そしてその涙をふくのは母親のハンカチ。
銀は諦めても、ハンカチの一枚くらい隠し持つはずだ。
壊れた心に忍び込む、呪いがかけられていた。




