修行⑥
前回のお話→水篝火との契約を無事成し遂げた渚。自分の本当の力を知りたいと、盃の水に自分の姿を映す。
盃の水面が揺れ、その水面に映していた渚の姿も揺れる。渚の耳に、雫が落ちる音が甲高く響く。
渚がはっと目を開けると実際の盃の中の水も揺れていた。水面の揺らぎはどんどん細かくなって、小刻みな振動になり、その震動は段々と渦のようになり、盃から上に高く伸びる竜巻のようになる。渚は思わず手を引き下げようとした。
「そのままだ!」
スオウがきつく声を上げる。怖さと意味不明さとで、渚の膝はガクガクと震えた。
水の竜巻が天井まで達しそうになった時、渦の表面、渚と対面するように女の人の姿が一瞬映った。それが誰であるかを渚が認識する前に、水はザァァと音を立てて盃に返ってしまった。何も無かったかように水面が静かに天井を映している。
しかしさっきまでと違って、盃の中央、水の上に小さなトカゲのような生き物が浮いていた。その姿はまるで、四辻御堂で見た絵巻物に出てきた龍のように青い。
「これ……トカゲ? それとも……」
鋭い眼光、長く美しい爪に角、艶やかに青く光る鱗、背中には豊かなたてがみが揺れている。ただし、手の平ほどの大きさ。あまりにも可愛いサイズで、渚はそれを龍と言っていいのかわからなかった。
「なんとなんと! こりゃあ凄い! たまげて言葉にならねぇや!」
渚とは裏腹に、スオウは心底感心したというように喜んでいる。水の上でゆっくりと周りを見回した小さなそれは、ゆっくりと渚の方に飛んでくる。渚が両の手を差し出すと、それは抵抗するわけでもなくちょこんと手の平に乗った。頭をクイクイと動かす様子は、実に愛らしい。渚が顔を近づけて見ようとすると、それはサッと飛び上がり、部屋中を楽しそうに飛び回り始めた。残された渚の手の平から水篝火が姿を現す。
「こりゃあ思ったよりも大物だねぃ」
「あの、これは一体……?」
「我は契約した者の力を引き出し、その力と契約者との架け橋になる」
「力との……架け橋?」
「契約した者の霊力とか妖力とか、潜在的な力のことだな。正式な手順で契約すれば、水篝火様は本人も気づかないような力を引き出してくださる。それにもの凄く物知りだ。火と水はこの世界ができた時からあるものだからな」
「じゃあ、この子は……?」
「あんたの中に眠っていた力だな。力は潜在意識の中で眠っているが、本来はそれを修行で呼び起こし、自在に使えるようにする。力そのものは、その者の力量によって様々な姿をしているが……あんたのはまさか龍になるとはな」
「やっぱり……この子は龍なんだ。でも、そんなチートみたいなことできるなら、修行なんて要らないんじゃ……」
渚がそう言うと、スオウと水篝火はわかりやすく顔をしかめた。水篝火の方は大きなため息までついている。
「我々が他者に力を貸す、つまり他者と契約をすることは滅多に無い。普段はそもそも、人前に出んのでな」
「そうなんですか!?」
「左様。今回は狸じじいの盆に呼ばれたのでな、来てみたのよ。そしたらどうだい。お前、よく見たらじじいのとこの坊主じゃないか」
「へぇ。ご無沙汰しておりやす」
「まったく。まぁ我としても狐に囚われた仲間を助けたいのは本当だ。もう長く囚われてしまっているから、姿形は無くなっているかもしれんがな」
「え、どうして?」
「正式な契約をせず、無理矢理精霊を使役しようとするには、魂を封じ込める呪いを使わにゃならんのさ。呪いに魂を囚われたら最後、多くの精霊は自我を失い、形を失い、そして消えていくんだ」
「そんな! 酷い!」
「それだけ、狐どもはこの戦いに必死なんだろうのぅ」
「あの、私の中の水篝火様は消えたりしないですよね?」
渚の問いに、水篝火は目を大きく見開き、そしてとても愉快そうに笑い出した。
「ははは。この娘は優しいのぉ。え? 坊主」
「何も知らぬが故、でございます」
「龍の娘よ、心配するな。正式な契約の元、お主とは魂で繋がっておる。我がお主に力を貸したとて消えはせん。それに我はそなたのこと気に入ったぞ。もう暫くここで行く末を見ていることにする。何かわからないことがあれば呼びなさい。頭の中で呼びかければ、いつでも応じようぞ」
その言葉に安心して、渚はホッと息を吐き出す。水篝火は満足そうに頷くと、また渚の手の中へ消えていった。手の中に、まるで水の中に潜るように静かに沈んでいく姿が、とても美しいと渚は思った。
しかし自分に呪いを解くことなんて、本当にできるのだろうか。渚の中でまた、不安が大きくなっていく。
突然肩にヒンヤリとしたものを感じて、渚は思わず、「ひゃっ!」と声を上げる。肩にはさっき現れた小さな龍が乗って、渚を訝しげに見つめていた。
「えっと、この子はじゃあ、私の力が具現化した子、ということ?」
渚は恐る恐るスオウに尋ねる。さっきのスオウと水篝火の喜びようを考えると、どうやら龍を出すというのは凄いことらしい、ということは渚にもわかった。しかしこの力が自分のものであるという実感が渚には無い。何か、別のところから借りてきたような感覚だ。
「それについても、説明せにゃならんな」
スオウがひと仕事終えたというようにどかりと腰を下ろすと、扉に向かって、「クロ!」と呼びかけた。
「お呼びですか師匠」
間髪を入れずにサッとクロが現れた。まるでずっとここにいたかのような早さだ。
「ちょっと変化の術を解いてみてくれるかい?」
「変化をですか?」
さも当たり前のように続く会話に、渚はツッコミを入れるのを諦めた。ここではこれが普通なのだと、自分を納得させる。
訝しげにしていたクロは、ちらと渚と、渚の肩にいる小さな龍を見て、合点がいったというように顔をパッと明るくさせた。
「そういうことなら! いきますよ!」
クロが、くるりんと宙返りを打つ。同時に体は茶色くなり、地面に着地する時には3本の尻尾の生えた子狸になった。服は元の物をちゃんと着ているが、狸サイズでは少し大きいようでダボッとなっている。そこがまた、渚の可愛いもの好きを押さえていた。
「こらクロ。宙返りは余計だといつも言っているのに」
「だってこっちの方がかっこいいじゃありませんか!」
いかにも子供らしい意見だ。やれやれとため息を吐くスオウの横で、渚は微笑まずにはいられなかった。
「クロ君かっこよかったよ! 素敵な尻尾だね」
一層顔を輝かせたクロは自慢げに尻尾を見せてくれる。ふさふさの尻尾が3本。まるで漫画でよく見る九尾の狐のようだと渚は思った。しかし最初にクロに会った時は、1本しか尻尾がなかったはずだ。
「あれ、でも四辻御堂に居る時は1本だったよね?」
クロは、えっへんと胸を張る。スオウがクロを撫でながら説明を続けた。
「あれも修行の一環。己の力を見せびらかさない。そして人間界で溶け込む為の修行なのさ。尻尾が3本もある狸なんて、見つかったら大変だろう」
「確かに……」
「この尻尾も言うなればあんたのその龍と同じ。クロの力が具現化した物なんだ」
「尻尾が?」
「そう。動物の姿のアヤカシはよく尻尾に力量が現れるな。例外もあるが」
「じゃあ人間とか、動物じゃないアヤカシならこういう風に生き物として見えるようになるってこと?」
「そいつの力やイメージなんかに1番近い物の形となって現れる。そういや昔は、日本刀になって現れた奴もいたなぁ」
「え、物のパターンもあるの?」
「確かその日本刀は、今は妖刀って呼ばれてるんじゃなかったかな」
「しかもまだ残ってるんだ……」
「思念が強すぎてなぁ。そいつの魂が刀にも少し渡っちまって、持ち主が死んでも形が消えなかったのよ。いやぁ、あれを手懐けて大人しくさせるのは骨折ったなぁ」
「怖すぎる……」
よほどの強い剣士だったのだろう。できるだけ関わりたくない。渚は話を戻す。
「じゃあ、クロ君は結構凄い力を持ってるってことなんだ」
狸姿のクロがソワソワとしている。今すぐに撫で回したい気持ちを、渚はぐっと堪えた。
「クロの尻尾が3本になった時には、俺ぁ驚いたのなんのって。近頃じゃ2本を越える奴だって稀だってのに。いやはや、優秀な子だよこの子は」
「えへへ。師匠には敵いません。何せ8本の尾を持つ狸なんて、化け狸界で後にも先にも師匠だけですから」
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