修行⑤
前回のお話→スオウのペースに乗せられていたことに苛立った渚。スオウが用意した大きな盃に張られた水に指を入れると、突然目の前に何者かが現れた。
くるんとした1つ目が揺れる炎の中から現れて渚を見る。渚は咄嗟に1歩下がる。
「……宮路家の者か。それとこっちは狸だな?」
「え、なんで私のこと知って……?」
「こちらは水篝火様だ」
「水……篝火? 水なのに、火?」
「水の中に棲む火の精霊様さ。空気の中ではすぐに燃えて消えてしまうんだ。だから話をするには、こうして狭間の世界にお越しいただくのさ」
「へ、へぇ?」
「それともあんた、水の中で息ができるのかい?」
「できるわけないでしょう!」
「何の用なのだ。用が無いなら我は帰るぞ」
水篝火という火の精霊が苛立たしげにそう言うと、空間に揺らぐ光が赤色に変わった。スオウが慌てて水篝火に頭を下げる。
「申し訳ない。水篝火様、この者は仰る通り宮路家の者です。そして次期当主になることが先日決まりました」
「おぉ! そいつはめでたい。これで戦いは鎮まり、仲間も戻り安寧だ」
赤色の光が青や白に戻った。
「それが、訳あってこの者は何も知らないのです。そして巫女の修行もしておらず、ご承知の通り修行をする時間ももうありません。そこで水篝火様のお力をお借りしたく」
「なるほど、ふーむ」
水篝火は目を引っ込めて何かを考えているようだった。渚は、自分のことなのに会話に全く入れないことにも、勝手に次期当主に決められたことにも納得できず、スオウを睨んだ。
スオウは、人差し指を口に当てて、「しー」と音無しで渚に黙っているように促す。渚は腕を組んで抗議の意を表明した。その間も水篝火は、「うーん、うーん」と唸っている。
「よし! いいだろう」
突然くるんと現れた2つの目が渚を向いた。渚は内心ギョッとした。
「このままでは我々一族も滅んでしまう。狐め、我々を片っ端から捕まえて自分たちの勾玉に封じていきおった。誰も帰って来ぬ……」
水篝火は目を伏せた。揺れていた炎は小刻みに震え、パチパチと弾ける音が渚にも聞こえてくる。まさか精霊の世界にも影響が及んでいるなんてと、渚は酷く悲しい気持ちになった。
「この娘が本当に巫女の力を受け継いでいるのなら、きっと我の力で目覚められるだろう。その代わり、条件がある」
厳しい視線が渚へ注がれる。水篝火の視線からは切実な思いが渚の中に流れ込んできた。渚は目を逸らせず、じっとその目を見つめ返す。水篝火は渚の視線から何かを感じ取ったのか、ふっと眼力を弱めて、今度は懇願の気持ちを渚に投げてきた。
「もし、そなたに巫女の力が目覚めたら、その力で無理矢理捕らえられた我の仲間たちを解放してやってほしい。せめて、その魂だけでも」
水篝火の震える声が擦れ、パチパチという音が一層大きくなった。その様子から、水篝火の仲間たちがどのように捕まり、今どんな扱いを受けているのか、渚は想像するのも辛かった。
しかし渚は、捕まった精霊を解放させる方法など知りもしない。これから勉強すればわかるかもしれないが、自信を持ってできると、今この場では言えなかった。
「やはり難しいか」
水篝火の炎がシュンと小さくなる。
「や、やります! 必ず助け出してみせます!」
渚は咄嗟に返事をしていた。スオウがニヤリと笑う。水篝火の目が一気に輝いた。
「そうか! 有難う! 有難う! 契約成立だ。娘よ、利き手の平を出せ」
「こ、こうですか?」
渚はゆっくりと水篝火の方へ右手を差し出すと、水篝火の炎の一部がにゅうっと伸びて渚の手に触れた。その瞬間、水篝火の炎が弾け、人型の姿になった。体はピンクで、髪の部分はさっきまでの炎のように揺れ動いている。シルエットを見るに女性のようだと渚は思った。精霊に性別という概念があるのならば、だが。
炎の人になった水篝火は、手のひらに乗るほど小さくなって、それからニコッと微笑んだように渚には見えた。そしてスーッと、渚の手の中に溶け込んでいった。渚は慌てて自分の手のひらを見て、さすったり甲を見たりしたが、特に何も変わらない。
「ど、どうなったの?」
渚は慌ててスオウに聞く。
「水篝火様があんたの中に入って、あんたの魂とひとつになったのさ」
「つまり?」
「つまり、あんたは今、精霊と契約したってこと。さて、詳しいことは一旦戻ってからにしよう。確かめたいこともあるし。いやぁ良かった良かった」
スオウが1度柏手を打つ。すると、渚とスオウは元の部屋に戻った。水は変わらず盃の中にあり、どこも濡れてはいなかった。
呆然と自分の手を見る渚を見て、スオウは満足そうに話を進める。
「さぁて、お手並み拝見といきますか」
「え、な、何?」
「まずは右手をこのに盃に向けてみな」
渚は言われた通りに手の平を水の張られている盃に向ける。大いに不服ではあった。が、自分に今起こったことの意味を知りたいという気持ちが強かった。
―スオウが私を利用するなら、私もスオウを利用すればいい―渚はそう思い直して、長く息を吐く。自分の気持ちを、まずは落ち着かせたかった。
「よし。そしたら盃の水に意識を集中させてこう言ってみろ。『我、求める者。その真の姿を見せよ』ってね」
「えっと……我、求める者。その真の姿を見せよ!」
スオウに言われた言葉を盃に向かって唱えると、渚の手のひらからピンクの炎が上がった。突然自分の手首から先が燃え上がって、思わず渚は叫ぶ。しかし不思議と熱くはなかった。むしろ、さわさわと穏やかな水の中に手を入れているような心地良さを感じて、渚はその不思議な炎をまじまじと見た。
スオウが、満足そうにうんうんと頷く。
「水篝火様のお力は、問題無くお借りできたようだな。それじゃその手のひらをそのまま盃に向けて、水面に集中しろ。あんたの力を見てみようじゃねぇか。そうだな……この水に自分のパワーを送る気持ちで」
「な、なにそれ……意味わかんない」
渚は文句を言いつつ、言われた通り盃の水面に集中する。ふいに渚は、小さい頃の記憶を思い出した。
「渚、水はね、すごく強いの。水を甘く見ればその力に呑み込まれてしまうけど、正しく纏えば渚の力になってくれる。貴女の本当の姿を教えてくれる。もしこの先困ったことがあったら、まずは水を探しなさい。その水に、自分の姿を映しなさい。貴女ならできるから」
庭に小さなプールを出してもらって遊んだ時、渚は母の澪にそう言われた。その時は、澪が何を言っているのか幼い渚にはわからなかった。単に、水は怖いということを言っているのだと思ったのだ。
しかし今、渚はその意味をようやく理解した。スオウの助言は無視して、渚は頭の中で盃の水面に自分の姿を映し、そして願った。
「教えて。私の力。本当の私を―」
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